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原発事故について思うこと

東日本大震災が発生してから、三週間が過ぎた。事故を起こした福島第一原発は、未だに予断を許さない困難な状況が続いている。それに関連して、今感じていることをつらつらと。

僕個人としては、福島第一原発の現状について、楽観も悲観もしていない。罹災直後の数日間に比べれば、東京を含む遠方のエリアまで危険な状況に陥る可能性はいくぶん低くなった。しかし、福島第一原発に近い周辺地域の住民の方々に対する安全性の担保は、十分であるとは思えない。政府は、陸上および海上の周辺地域での放射線の計測を綿密に進めて、万全の上にさらに万全を期して、住民の方々を絶対に安全な環境下に保護すべきだ。「今すぐ健康被害が及ぶものではない」などという言葉は、けっして安全宣言にはならない。政府の仕事は、国民を安心させることではなく、安全を確保するための正確な情報を提供することだ。

今回の原発事故への一連の対応や情報開示の不明瞭さという点で、東京電力に一定の非があることは間違いないし、それらに対して、専門家による冷静な分析と批判は必要だ。でも今、専門家でもない人たちが、恐怖に駆られて感情的になって、東京電力に罵詈雑言を浴びせかけることは間違っていると思う。福島第一原発では今も、何百人もの作業員の方々が被曝の恐怖と戦いながら、決死の覚悟で復旧作業を進めている。自分の代わりにそんな危険を犯して作業してくれている人たちに対して、僕は申し訳ない気持とともに応援こそすれ、罵声を浴びせる気にはなれない。

この事故をきっかけに、これから日本では「脱原発」への動きが加速していくだろう。僕もそれには賛成だけど、「今すぐ、日本の原発を全部ストップしろ!」などという後先考えないヒステリックな主張には同意できない。そんなことをしたら間違いなく、日本という国の社会と経済が破綻する。これからどういった形で原発への依存度を段階的に減らし、代替エネルギー源をどのように確保していくか。そのための具体的で実現性の高いロードマップを示すことなく、ただ闇雲に「止めろ! 止めろ!」と主張するのは、無責任だと思う。まあ、こうしたロードマップは、政府がいち早く主導して示すべきものだと思うが。

僕自身、どちらかといえば原発に対して否定的な感情を持ちつつも、その原発で生み出された電力を甘受して暮らしてきたという矛盾を抱えている。まずは少しでも早く、福島第一原発が安全な状態にまで復旧し、周辺住民の方々が安堵できる日が来ることを祈りたい。

小さな痛み

今日は四月一日、エイプリル・フール。もし、何でもいいから、何か一つの出来事を嘘にすることができるなら、三週間前に大震災があったことを嘘にしてほしい。そんな風に思った人は、きっとたくさんいるのだろうな、と思う。僕もその一人だ。

でも、震災が起こってしまった現実は、もうどうにもならない。僕たちはその結果を受け入れ、少しでも早く、被災した人々が窮状を脱し、普通の暮らしを取り戻せるように、自分にできることを一つずつやっていくしかない。

今、誰もが胸に感じている痛み。それは、被災地の人々に比べれば、何百分の一の小さな痛みでしかないのかもしれない。でも、大切なのは、その小さな痛みを忘れないこと。自分が穏やかな時間を過ごしている時も、被災地には悲しみに暮れている人がいるという事実を忘れないことだと思う。

小さな痛みを胸に抱えて、僕たちはこれからを生きていく。

三陸産の新わかめ

昼、市ヶ谷へ。今作っている本のデザインの打ち合わせ。確かな腕を持つプロフェッショナルの方々と組んで仕事ができるというのは、本当に愉しい。仕事を通じて、何だか元気をもらえる気がする。

打ち合わせが終わった後、市ヶ谷から新宿までぶらぶら歩いてみることにした。市ヶ谷の自衛隊駐屯地の前を通りがかると、何台ものジープが出たり入ったりしていて、ものものしい雰囲気だった。がんばって、と遠くから念を送る。

震災後に初めて来た新宿は、思っていたよりも人が多かったが、それでもちょっとおとなしい雰囲気。日が暮れてきても、ネオンやショーウインドウは明るくならない。これはこれで、いいんじゃないかな。外国の街なんて、もっと真っ暗だし。

夜はリトスタで飲み。たけのこと塩昆布のチャーハンやいちごのババロアなどをいただく。どれもおいしかったけど、一番感動したのは、新たけのこと新わかめのあっさり煮。この煮物に使われている新わかめは、先日震災に見舞われた三陸産のもの。今あるストックが尽きたら、しばらくは入荷のメドが立たないという。柔らかくて、優しくて、心にしみる味。この新わかめを届けてくれた方々のことを思いながら、ありがたくいただいた。ごちそうさまでした。

疎開について思うこと

近頃、巷では「疎開」という言葉がよく使われている。依然予断を許さない状況が続く福島第一原発や、未だに時折発生する余震、計画停電や物資の不足などに不安を感じて、東京から西日本に疎開する人が増えているのだという。

個人的には、今の東京の状況は、あわてて逃げ出さなければならないほどの非常事態とはどうしても思えないのだが、疎開をすること自体は、別に周囲に引け目を感じる行為でも何でもないと思う。実際に危険かどうかは別として、東京から離れることで精神的な安定を得られるのであれば、そうした方がいい。特に、幼い子供を家族に持つ方は、子供の心のケアのためにも、考慮していい選択肢だと思う。

でも、そうして疎開をする人には、絶対に忘れてほしくないことがある。こうしている今も、地震に見舞われた被災地の避難所には、逃げたくても逃げられない状況で、飢えや寒さに耐えながら、それでも必死に生きようとしている人たちがいるということを。

僕は東京で暮らしながら、今の自分にできることをやっていく。

課せられた不自由の中で

東北関東大震災が起こってから、一週間が過ぎた。被災地の状況は依然として深刻だ。今は一人でも多くの人が救出されて、安全な場所に避難されることを祈るしかない。郵便局で募金くらいしかできない自分が、つくづく歯がゆい。

ラダックのブログでも書いたのだが、今、被災地でない安全な場所で暮らしている人たちができるのは、「課せられた不自由の中で、できるだけいつも通りに生活すること」なのではないかと思う。死者を悼む気持は大切だし、被災者の方々を常に思いやることも忘れてはならない。でも、必要以上に不安にかられて縮こまっていては、心がかちこちにこわばって、そのうちぽきりと折れてしまう。これから被災者の方々を支えていかなければならない側の人たちが、そんな状態では話にならない。

計画停電や交通網の乱れ、買い占め(苦笑)による物資やガソリンの不足などは、被災地に比べればちゃんちゃらおかしいレベルの不自由だ。そうして課せられた不自由の中で、家族や友達と話し合ったり、遊んだり、一緒にごはんを食べたりして、できるだけいつもと同じように暮らす。そうすればきっと、気持がふっと和らいで、他人を支える余裕も出てくる。

僕自身、そうした日常の大切さを、今、あらためて噛みしめている。