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日帰りで大阪へ

朝四時起床。昨日買っておいたコンビニおにぎりを頬張り、身支度をして、出発。今日は大阪での日帰り取材だ。外に出たとたん、真っ暗闇を吹き荒ぶ木枯らしに早くもトホホな気分になる。

東京駅六時過ぎ発の新幹線は、品川と横浜でどやどやと客が乗り込んで、かなり込み合っていた。ビジネスマンは大変だなあ。窓の外には、青空に屹立する富士山。iPhoneで音楽を聴きながら、しばらくの間、うとうとする。

九時ちょっと前、大阪に到着。大阪駅がものすごく豪華になっているのにびっくり。エスカレーターに乗る時の並び方が左右逆だ。そして女の子たちの関西弁がかわいい(笑)。

十時から始まった取材は、先方のご協力のおかげで、スムーズに終了。帰る前に、梅田界隈を少しぶらつく。小さな飲食店がたくさん並んでいるあたりで、小さなお好み焼き屋にふらっと入り、モダン焼とビールを注文。うまい‥‥。取材が終わった後は、五割増しでうまい(笑)。

その後、再び新幹線で東京に向かい、夕方頃に三鷹に戻ってきた。明日も午前中から新宿で取材だけど、とりあえず、今日はもうポンコツ(苦笑)。

茶番劇

最近、仕事中はラジオを聴いていることが多いのだが、今日の午後は、テレビの国会中継を横目で見ていた。内閣不信任案の採決の行方を。

今朝の段階では、民主党内から大量の造反者が出て、不信任案が可決されるのではないかという見通しだった。ところが、菅首相が代議士会で「震災の復興に一定のメドがついたら退陣する」と言明したことで、事態は急変。結局、民主党内からはほとんど造反者は出ず、不信任案は否決された。

妙な話だ‥‥。「辞めろ辞めろ」とさんざん責めておきながら、「そのうち辞める」と言ったら、その人を信任するなんて。僕のような青二才が、日本の政治を支える錚々たる先生方にこんなことを言うのも何だが‥‥。

バカじゃねえの? とんだ茶番劇だ。

この人たちには、被災地の人々の苦しみなんて、本当には、これっぽっちも伝わっていない。そう確信した。

祈りと元気と

昼、電車に乗って護国寺へ。来日中のダライ・ラマ法王による東日本大震災の四十九日法要に参加する。

セキュリティチェックを終えて階段を上ると、本堂の前の広い境内は、三千人もの人々でぎっしりと埋まっていた。四基の大型スクリーンに、法王のご様子が映し出される。読経の声を聞きながら、家から持ってきた数珠を手にかけ、しばらくの間、じっと手を合わせて、震災で亡くなった方々や、被災地で不自由な暮らしを余儀なくされている方々のことを想った。

僕が祈ったからといって、苦しんでいる方々が救われるわけではないけれど、自分自身の心に祈りを刻むことで、何か変わるものがあるかもしれない。こういう機会に立ち会うことができて、よかったと思う。

夕方、新宿に移動して、新宿眼科画廊で今日から始まるたかしまてつをさんの個展のオープニングパーティーに行く。たかしまさんの作品は以前からいろんな場所で何度か拝見してきたけど、今回の展示は圧巻。白い壁一面にびっしり貼られているのは、キャンバスやダンボール、手帳のページ、レシート、文庫本のカバーなど、ありとあらゆるものに描かれた絵たち。奥の小部屋には、四枚のふすまにどーんと描かれた、文字通りのふすま絵もあるのだ。

パーティーの間も壁のあちこちをずっと眺めて回っていたのだが、見ていて感じたのは、たかしまさんは本当に、骨の髄まで絵を描くことが好きな人なのだなあ、ということ。見る人に元気を与えられる絵というのはすごいと思う。

祈りと元気とで、心が少し軽くなったような気がした。

二つの居場所

朝から代々木公園へ。アースデイ東京に出展しているジュレーラダックのブースで物販を手伝う。何人ものお客さんに声をかけていただいて、ありがたいかぎり。まったく初対面の人なのに、相手は自分のことをかなりいろいろ知っているという状況には、いつまで経っても慣れないのだが(苦笑)。

お客さんの一人に、こんなことを訊かれた。

「そんなにラダックのことが好きになった後に日本に帰ってきて、嫌になってしまったりしませんでしたか?」

正直言って、全然嫌になったりしなかった。

ラダックと日本の間を行き来しはじめた頃は、何から何まで違う二つの社会のギャップに戸惑ったりもしたのだが、時間が過ぎ、ラダックのことを知れば知るほど、日本のよさも改めて感じるようになった。どちらの社会にも、いい面もあれば、悪い面もある。見境のないグローバリゼーションはもちろん支持したくはないが、さりとて懐古主義的なローカリゼーションを安易に盲信するつもりもない。要は、バランスの問題なのだと思う。

ラダックのシンプルな社会では、人と人とを互いに結びつける強い絆が、とてもわかりやすい形で存在する。でも、そうした絆は、日本にも、世界のどこにでも、何らかの形で必ず存在しているのだ。どこの国だとか、そんなことは関係ない。その絆を、大切にできる人間になれるかどうか。自分はまだまだだと思う(本当に未熟者だ‥‥)けど、少しでも納得のいく生き方をできるようになれたら、と思う。

ラダックも、日本も、どちらも僕にとっての居場所。

原発事故と差別

日本国内だけでなく、今や世界中の関心事となっている、福島第一原発の事故。事態がある程度収束するには、おそらくあと九カ月はかかるという。

今回の事故は、緊急時のバックアップ体制に大きな不備があったことは否めないが、ある意味、途方もない天災によってもたらされたものだ。だが、その一方で、どう考えても不条理な理屈によって発生している人災がある。それは、福島を中心とする被災者の方々に対する差別だ。

被災地から避難してきた子供が「放射能が伝染る」などと他の子からいじめられたとか。福島から来た人の宿泊を断っている旅館があるとか。はては、結婚が決まっていたのに、実家が福島にあるというだけで婚約を解消させられた女性がいるとか‥‥。

許せない。そんな差別をする人は、同じ人間として、絶対に許せない。

放射能に関するごく初歩的な知識も、現状を分析する判断力も持ち合わせず、根拠のない風評に惑わされて恐怖にかられている連中が、そんな愚かな行為に走っているのだと思う。だが、そういう差別をしている人は、自分自身が海外に出かけた時に、ほかの国の人から「触るな!」などと差別されることを想像してみればいい。実際、海外の国々から見れば、日本人全員が被曝してるんじゃないかと疑われているくらい、日本は小さな国なのだ。それとそっくり同じ差別を福島の被災者の方々にしているということを、その人たちは思い知るべきだ。

もう一度書く。そういう差別をする人を、同じ人間として、僕は絶対に許せない。