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畠山美由紀「わが美しき故郷よ」

畠山美由紀の曲は、昔から好きでよく聴いていた。気がつけばソロアルバムはほぼ全部持っているし、Port of Notesのベスト盤もある。特にお気に入りの「わたしのうた」は、iPodに入れてラダックに持って行ったりもした。豊かな低音から伸びやかな高音まで、素晴らしい安定感で歌い上げる彼女の歌声は本当に魅力的で、機会があればライブにも足を運んでみたいと思っているのだが、未だ叶わないでいる。

その畠山美由紀の5枚目のアルバム「わが美しき故郷よ」は、過去の彼女の作品とは、根本的に違う。彼女の故郷は、宮城県気仙沼市。3月11日の東日本大震災の後、これまでに感じたことのない痛みと喪失感に苛まれながら、彼女は歌い手として必死の思いでこの作品に取り組んだのだという。

いつも心の奥底にある、大切な故郷の記憶。そこではずっと、美しい海と山と川と、懐かしい町と、心穏やかな人々が暮らしているはずだった。そのかけがえのない故郷で、たくさんの命と、たくさんの大切なものが失われてしまった。書かずにはいられなかった言葉。歌わずにはいられなかった曲。その抜き差しならない彼女の思いが、この作品の中にぎゅっと込められている。特に、表題曲となっている「わが美しき故郷よ」の詩の朗読と楽曲は、じっと耳を傾けていると、目に涙が滲んできて仕方なかった。

どれほどの哀しみに襲われようと、それでも、地球は回り、夜が明け、明日が来て、人生は続いていく。みんな、胸の奥に痛みを抱えながら、互いに手を差し伸べ、優しい言葉をかけあって生きていくのだ。彼女は未だ癒えない哀しみとともに、これから続いていく世界を全力で肯定しているように感じた。

忘れてはいけないものがある。たとえそれが、哀しい記憶であっても。

日帰りで大阪へ

朝四時起床。昨日買っておいたコンビニおにぎりを頬張り、身支度をして、出発。今日は大阪での日帰り取材だ。外に出たとたん、真っ暗闇を吹き荒ぶ木枯らしに早くもトホホな気分になる。

東京駅六時過ぎ発の新幹線は、品川と横浜でどやどやと客が乗り込んで、かなり込み合っていた。ビジネスマンは大変だなあ。窓の外には、青空に屹立する富士山。iPhoneで音楽を聴きながら、しばらくの間、うとうとする。

九時ちょっと前、大阪に到着。大阪駅がものすごく豪華になっているのにびっくり。エスカレーターに乗る時の並び方が左右逆だ。そして女の子たちの関西弁がかわいい(笑)。

十時から始まった取材は、先方のご協力のおかげで、スムーズに終了。帰る前に、梅田界隈を少しぶらつく。小さな飲食店がたくさん並んでいるあたりで、小さなお好み焼き屋にふらっと入り、モダン焼とビールを注文。うまい‥‥。取材が終わった後は、五割増しでうまい(笑)。

その後、再び新幹線で東京に向かい、夕方頃に三鷹に戻ってきた。明日も午前中から新宿で取材だけど、とりあえず、今日はもうポンコツ(苦笑)。

茶番劇

最近、仕事中はラジオを聴いていることが多いのだが、今日の午後は、テレビの国会中継を横目で見ていた。内閣不信任案の採決の行方を。

今朝の段階では、民主党内から大量の造反者が出て、不信任案が可決されるのではないかという見通しだった。ところが、菅首相が代議士会で「震災の復興に一定のメドがついたら退陣する」と言明したことで、事態は急変。結局、民主党内からはほとんど造反者は出ず、不信任案は否決された。

妙な話だ‥‥。「辞めろ辞めろ」とさんざん責めておきながら、「そのうち辞める」と言ったら、その人を信任するなんて。僕のような青二才が、日本の政治を支える錚々たる先生方にこんなことを言うのも何だが‥‥。

バカじゃねえの? とんだ茶番劇だ。

この人たちには、被災地の人々の苦しみなんて、本当には、これっぽっちも伝わっていない。そう確信した。

祈りと元気と

昼、電車に乗って護国寺へ。来日中のダライ・ラマ法王による東日本大震災の四十九日法要に参加する。

セキュリティチェックを終えて階段を上ると、本堂の前の広い境内は、三千人もの人々でぎっしりと埋まっていた。四基の大型スクリーンに、法王のご様子が映し出される。読経の声を聞きながら、家から持ってきた数珠を手にかけ、しばらくの間、じっと手を合わせて、震災で亡くなった方々や、被災地で不自由な暮らしを余儀なくされている方々のことを想った。

僕が祈ったからといって、苦しんでいる方々が救われるわけではないけれど、自分自身の心に祈りを刻むことで、何か変わるものがあるかもしれない。こういう機会に立ち会うことができて、よかったと思う。

夕方、新宿に移動して、新宿眼科画廊で今日から始まるたかしまてつをさんの個展のオープニングパーティーに行く。たかしまさんの作品は以前からいろんな場所で何度か拝見してきたけど、今回の展示は圧巻。白い壁一面にびっしり貼られているのは、キャンバスやダンボール、手帳のページ、レシート、文庫本のカバーなど、ありとあらゆるものに描かれた絵たち。奥の小部屋には、四枚のふすまにどーんと描かれた、文字通りのふすま絵もあるのだ。

パーティーの間も壁のあちこちをずっと眺めて回っていたのだが、見ていて感じたのは、たかしまさんは本当に、骨の髄まで絵を描くことが好きな人なのだなあ、ということ。見る人に元気を与えられる絵というのはすごいと思う。

祈りと元気とで、心が少し軽くなったような気がした。

二つの居場所

朝から代々木公園へ。アースデイ東京に出展しているジュレーラダックのブースで物販を手伝う。何人ものお客さんに声をかけていただいて、ありがたいかぎり。まったく初対面の人なのに、相手は自分のことをかなりいろいろ知っているという状況には、いつまで経っても慣れないのだが(苦笑)。

お客さんの一人に、こんなことを訊かれた。

「そんなにラダックのことが好きになった後に日本に帰ってきて、嫌になってしまったりしませんでしたか?」

正直言って、全然嫌になったりしなかった。

ラダックと日本の間を行き来しはじめた頃は、何から何まで違う二つの社会のギャップに戸惑ったりもしたのだが、時間が過ぎ、ラダックのことを知れば知るほど、日本のよさも改めて感じるようになった。どちらの社会にも、いい面もあれば、悪い面もある。見境のないグローバリゼーションはもちろん支持したくはないが、さりとて懐古主義的なローカリゼーションを安易に盲信するつもりもない。要は、バランスの問題なのだと思う。

ラダックのシンプルな社会では、人と人とを互いに結びつける強い絆が、とてもわかりやすい形で存在する。でも、そうした絆は、日本にも、世界のどこにでも、何らかの形で必ず存在しているのだ。どこの国だとか、そんなことは関係ない。その絆を、大切にできる人間になれるかどうか。自分はまだまだだと思う(本当に未熟者だ‥‥)けど、少しでも納得のいく生き方をできるようになれたら、と思う。

ラダックも、日本も、どちらも僕にとっての居場所。