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確定申告とマイナンバー

朝、早起きして、確定申告のため、税務署へ。開場時間ちょうどくらいに着いたのだが、すでに長蛇の列。早くも心が折れそうになる。幸い、割と早い段階で、行列から青色申告専用のコーナーに誘導してもらえた。

去年までの教訓をふまえ、今年は申告関係の書類を作るための準備をかなり入念にしておいた。そのかいあって、税務署内での作業と手続きは、1時間ほどで全部終わった。計算間違いとかで変にトラブったりしなくて、ほっとした。すべてを提出し終え、税務署の建物を出て、雲ひとつない青空を見上げた時の解放感たるや。

ところで、今年から申告時にマイナンバーの入力を求められたり、本人確認書類の一つとしてマイナンバーカードの有無を聞かれたりするようになったのだが……あれだけ申告会場内にうようよ人がいる状況下で、税務署員にカードや番号を見せて確認してもらうというのは、どうにも危なっかしい気がしてしまう。ぶっちゃけ、マイナンバーなんて制度がなくても、今まで別に何も困ってなかったし、これからも何も困らないはずなのだ。ほんと、愚策だと思う。

GDP向上策

ここ数日、確定申告の準備作業に、時間も気力も奪われてしまって、すっかりやさぐれた気分になっている。

毎年この時期、日本全国津々浦々のフリーランサーたちが確定申告の不毛な作業に奪い去られている時間と労力と忍耐力を、それぞれの本業で果たすべきクリエイティブな仕事に振り替えられるなら、日本のGDPも結構上昇するんじゃないかと割と本気で思っているのだが、どうだろう。

いや、もう、ほんとに……早く全部終わらせて、楽になりたい……。

春一番と微笑がえし

目を覚まして寝床から起き、居間の窓辺に行くと、やけに強い風が吹いている。春一番が吹いたらしい。もうそんな季節か、早いなあと思ったが、それでも去年よりは3日遅かったそうだ。外に出ると、もう4月かと思うくらい、空気がぬくい。

「春一番」と聞くと、今でも反射的にキャンディーズの歌が脳内にこだまするのは、一番脳がやわらかい小学校低学年の頃に、彼女たちの歌をたっぷり刷り込まれたからだと思う。でも、「春一番」で最初に浮かんでくるのは、このタイトルそのものの曲ではなく、「微笑がえし」の方だ。歌い出しが「春一番が〜♪」なので、そういう連想をしてしまうのだと思う。

……こういう文章を書いてみても、そもそも「キャンディーズ」をリアルタイムで知っている人がもはや周囲にあまりいないという現実……深まる孤立感……(苦笑)。

フォロバされたらリムる人

日本人は、世界でも他に類を見ないほどTwitterが好きな国民なのだそうだ。海外各国でTwitterが軒並み不振にあえいでいる中、日本での利用状況はずっと好調なのだという。

著名人やタレントの方などはともかく、人間の資質や魅力は、Twitterのフォロワー数が多いかどうかには別に関係ないと僕は思うのだが、世の中にはフォロワー数を稼ぐことに全精力を傾けている人もいるらしい。殊に、自分がフォローしている数の少なさに比べてフォロワーの数が桁違いに多いと、それは人気者の証だと考えている人が。

もちろん、実際に人気者なのでしぜんとそういうフォロー・フォロワー比率になった人も、世の中にはたくさんいる。だがその一方で、自分は人気者と見せかけているだけのイタイ人もちらほらいる。そういう人は、圧倒的なフォロワー数の多さに比べて、各ツイートへのリツイートやいいねの数が不自然なほど少ないので、すぐにわかる。フォロワーの大半が、以前フォローされたのでフォロー返し(フォロバ)はしたものの、その人に興味はないので読んでないし反応もしないという人か、金で買われた擬似的なフォロワーか、だからだ。

中にはさらにイタイ人もいて、特定の趣味のクラスタのユーザーにフォロバしてもらう目的で、いきなり5000人ほどもそのクラスタの人をフォローしまくり、ある程度フォロワーが集まった段階で、自分からのフォローを全部リムーブ。代わりにその趣味に関係する大手企業や有名ブランドの公式アカウントだけを100ほどフォローし、それらの公式アカウントにリプライを送って、自分はさも良心的なファンでそのクラスタの人気者でもあるかのように見せかけるという愚策に出た。

こんなやり方でフォロバしてくれた人を全員リムっても、自分のツイートには魅力があるからそれほどリムられないと思い込んでいたらしいのが、さらにイタイ。案の定、フォロワー数は半減してさらに減り続け、その趣味のクラスタ界隈では要注意人物としてたちどころに悪評が知れ渡り、高い代償を払うことになったという。

そもそも、こうしたフォロワー数稼ぎのみが目的の大量フォロー&リムーブは、Twitterの利用規約に違反していて、Twitter側もシステム的に監視している。ただ、世の中にはそうした監視の目をくぐり抜けるための自動化ツールも出回っている。何とも不毛な、むなしいイタチごっこである。

このブログでも何度か書いているが、ソーシャルメディアは結局、今の時代のインフラの一つでしかないのだ。現実を現実以上のものにはできないし、自分を自分以上の存在にすることもできない。嘘と見栄で塗り固めても、おのずとどこかでボロが出る。逆に言えば、つかのまの嘘しかすがるもののない可哀想な人たちが、そういうむなしい行為に走るのかもしれない。

「いいお客さん」になるために

昨日は丸一日、松戸で取材。日に4連チャンというのは、さすがにしんどい。帰りに寄り道して、しばらく前からよく行っているインドカレーの店で、晩ごはんを食べていくことにした。

店内は、大勢のお客さんでにぎわっていた。この店のお客さんのほとんどは、1人か2人で、店のウリのミールスやビリヤニをじっくり味わいに来る。でも昨日は、一番奥のテーブル席に、明らかに系統の違うグループが座っていた。4人がけのテーブル席に5人で座って(おかげで通路が狭くなって店員さんが苦労していた)、フードのオーダーは数皿のサイドメニューだけで、卓上には何本ものワインボトルとビールのジョッキが並んでいた。要するに、飲み会に使っていたのだ。騒々しい声で職場の内輪ネタをしゃべりあい、ゲハハハハ、と笑っていた。

飲食店の使い方としては、間違ってはいない。お店も、ほかのお客さんも、彼らに何かを言う筋合いはない。でも、お店にとって、彼らが「いいお客さん」だったかというと、そうは言えないと思う。

お酒をたくさん飲んでワイワイ楽しく騒ぎたいなら、居酒屋に行けばいい。ほとんどのお客さんがゆったり気分でカレーを食べに来る店で、わざわざ居座って酔っ払って騒ぐ必要はない。居酒屋なら、彼らも「いいお客さん」になれるだろうに。