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三年ぶりの機種変

iPhoneを機種変した。12 miniから15 Plusに。ほぼ三年ぶりの買い替えになる。

画面が小型の機種から大型のものに一足飛びに替えた理由は、現行モデルでは小型の機種がないこともあるが、ひとえに、老眼の進行によるものだ(苦笑)。ほんの三年の間に、ずいぶん見えづらくなってしまって……。大型画面の機種は以前しばらく使っていたのだが、ひさしぶりに手にしてみると、あらまあ見やすい(苦笑)。なんだかそれだけでほっとしてしまう。

今日の午前中に届いたので、環境移行をした後、銀行系のアプリなど、認証の必要なアプリを一つずつ確認してセットアップ。昔に比べると格段にラクになったが、それでもそれなりに手間はかかる。夕方頃までに、どうにか完了。最新機種だけあって、さくさくきびきび、快適に動く。

今まで常に装着していたアップル純正のレザーケースが、環境負荷削減のためとかで廃番になってしまったので、時流に抗うレザー愛好家として(苦笑)、NOMADのModern Leather Caseを購入。かっちりした安心感のある造りで、とても気に入った。この後、国立商店さんのレザースリーブが出たらそれも併用する予定。

ささやかなことではあるけれど、ひさしぶりの機種変、やっぱり気分が上がる。

間に合った秋


昨日はひさしぶりに、昭和記念公園へ。人出はまあまあ多かったが、行楽シーズンの連休にしてはそれほどでもなく、公園自体も広いので、このご時世でも割とリラックスして歩くことができた。五浦ハムの絶品のハム焼きにも、ひさしぶりにありつけたし。

名物のイチョウ並木はほとんど散り終えていたが、モミジはちょうどいい見頃で、鮮やかな赤が青空に照り映えていた。ついこの間、iPhone 12 miniに機種変したのだけれど、テキトーに撮ってもよく写る。スマホでこれだけ撮れてしまったら、コンデジの出番はなくなりそう。ガイドブックの取材とかなら、サブカメラはiPhoneでいけてしまうかも。

季節が移ろってしまう前に、すべり込みで秋に間に合って楽しむことができて、よかった。世の中は、まだまだ落ち着かないけれど。

iPhoneで本を書く

今取り組んでいる本は、今までとは違う(僕的には)新しい方法で書いている。

原稿を書く時、僕はMacのテキストエディタ(Jedit Ω)を使ってきた。で、今回は、テキストエディタをメインで使いつつ、ある程度書き進めたら、同じ原稿をMacのメモアプリにコピーしている。MacのメモアプリはiCloud経由でiPhoneのメモアプリと同期させているので、外出先でも、iPhoneで原稿の内容を読み返すことができる。

もともとは、本の各章のプロットをメモアプリで共有して、外出時などにプロットの検討と調整をiPhoneでやってみたのがきっかけだった。移動時間やちょっとしたスキマの時間、あるいは何かアイデアを思いついた時などに、ちまちまとプロットをブラッシュアップしていけるのは、思っていた以上に便利だった。なので、原稿本体を書き進める時にも、同じ方法を試してみよう、と考えた次第。

ただ、僕の場合、iPhoneでの作業は、基本的にMacで書いた原稿の推敲と、何かアイデアを思いついた時の追記に限定している。iPhoneのメモアプリでゼロから原稿を書き進めることはしないつもりだ。というのも、iPhoneの画面だと、文章の1行あたりの文字数が少なすぎる。ある程度の文字数、単行本と同じ1行43文字くらいはないと、文章の佇まいが違ってきてしまう気がするのだ。ちょっとした長さの文章ならともかく、単行本に収録するような長文をゼロから書くには、僕の場合、iPhoneでは無理があると思う。

とはいえ、スキマの時間も有効活用できるのは、やっぱり便利だ。脳内のスキマを四六時中みっしり原稿で埋め尽くされそうな気がして、ちょっと怖くもあるけれど(苦笑)。

iPhoneを忘れる

午前中のうちに仕事がかなりはかどったので、昼に少し外出。用事を片付けるため、吉祥寺に行く。三鷹で住んでいた部屋は駅から徒歩15分の場所だったが、今の西荻窪の部屋は駅から歩いて5分もかからない。運動不足を補うべく、今日は吉祥寺まで歩いて行くことにした。

歩きはじめて10分ほど経って、新着メールをチェックしておこうと思ってショルダーバッグの中を探ると、iPhoneがない。折り畳み傘やエコバッグ、スーパーでの買い出しのメモ、読みさしの文庫本は入れておいたのに、iPhoneだけうっかり忘れてきたらしい。一瞬、家まで取りに戻ろうかと考えたが、いや、今日は仕事関係で切羽詰まった連絡が来る可能性は低いし、と思い直し、そのまま歩き続けた。

iPhoneを持たずに外を歩いていると、普段の自分の行動が、いつのまにか、思っていた以上にiPhoneに依存する形になっていることに気付く。空模様が微妙なら天気予報アプリやアメッシュを見るし、道順に迷ったらGoogle Mapを見る。信号待ちとかのほんのわずかな時間でも、新着メールをチェックしたり、FacebookやTwitterをちまちまと辿ったり、何歩歩いたかを万歩計アプリで見たりする。でも今日は、どれも見られない。うっすら不安にはなりつつも、その分、てくてく歩きながら、ゆっくりいろんな考えごとをすることができた。

テクノロジーを活用するのはけっして悪いことではないけれど、日々の暮らしのほんのちょっとした隙間までデジタルのかけらで埋め尽くしてしまうのは、何だかとてもせわしないことのようにも思える。たまには忘れてみるか、iPhoneを。

進化と退化

MacとiPhoneで使っていたTwitterアプリを、Twitter純正のものから「Tweetbot for Twitter」に変えた。Mac OS版のTwitter純正アプリのサポートが終了してしまったというのが理由の一つ。複数のアカウントを管理しているので、ブラウザなんぞでいちいち見てられないし。

Tweetbotはアプリとしては少々値が張る(1200円と600円)が、動作はチャキチャキと小気味いいし、機能的にも特に欠点らしき点はない。iCloudを介して異なるデバイス間でも未読管理などのデータを同期できるのも便利。もっと早く導入しておけばよかったと、ちと後悔。

で、あらためて感じたのは、TweetbotのようなシンプルなツールでTwitterを使うと、こんなにも快適なのか、ということ。特に最近のTwitter純正iPhoneアプリは、余計な機能を次から次へと突っ込まれて、カオスとしか言いようのないツールになってしまっていたから。「最近のハイライト」などによる時系列表示の混乱、他人が「いいね」したツイートをなぜか第三者のタイムラインに表示、トドメはこの上なく下世話な広告の大量投下。

開発側は、ユーザーをつなぎ止めるためにあれこれと新機能をひねり出しては継ぎ足しているのだろうが、先々のビジョンの見えない機能追加は、ツール本来のコンセプトとよさを損ねる結果にしかならない。進化させようとしたつもりが、実は退化にしかならなかった、みたいな。これは、世の中にある他のいろんな物事にも当てはまるような気がする。