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「花嫁はどこへ?」


今年の秋は、インドをはじめとする南アジアの映画が、日本でたくさん劇場公開される。その中でも特に楽しみにしていたのが、「花嫁はどこへ?」。監督はキラン・ラオ、プロデュースはアーミル・カーン。予告編の動画も我慢して見ないようにして、できるだけまっさらの気持ちで映画を堪能できるコンディションで臨んだ。

携帯電話は出回りはじめたけれど、スマートフォンはまだ影も形もなかった、2001年のインド。新婚ほやほやのディーパクとプールの夫婦は、プールの実家から長距離に乗って、ディーパクの実家に向かおうとしていた。同じ列車の車両には、プールと同じように赤いベールで顔を隠した花嫁とその夫の一行が。満員の列車内で席がずれてしまった影響で、ディーパクはうっかり、プールではない別の花嫁を連れて列車を下車してしまう。勘違いで連れてこられたもう一人の花嫁、ジャヤは、なぜか名前と身元を偽って、夫から預かっていた携帯のSIMカードを密かに燃やしてしまう……。

もともとこの作品は、アーミル・カーンが審査員を務めていたコンテストで見出されたビプラブ・ゴースワーミーの脚本をキラン・ラオにすすめ、彼女が脚本家のスネーハー・デサイと元の脚本をブラッシュアップする形で作り上げたという。実によく練られた脚本で、コミカルでありながら、観客の心に刺さる台詞が数多く織り込まれている。インドに今も根強く残る家父長制や男尊女卑の偏った考え方に対する疑問を呈しながら、それらから軽やかに解き放たれて飛び立つ女性たちの姿が、本当に清々しい。ラストシーンで、プールとジャヤが交わした会話の台詞が、とりわけ深く胸に残った。

ちなみに当初は、アーミル・カーン自身も、ある役柄で出演する予定だったそうなのだが、スーパースターである彼が出るとそれだけで目立ち過ぎて、物語の展開を予想されてしまう可能性があったので、別の俳優に役を譲ったのだそうだ。確かに、あの役は彼が好みそうだな……(笑)。

予想以上、期待以上に、めちゃめちゃ良い映画だった。劇場で公開されているうちに、観に行くことをおすすめします。

「Jawan」


アラスカからの帰路、シアトルから羽田までの飛行機の機内で、シャールク・カーン主演の映画「Jawan」を観た。監督は、タミル映画界でヴィジャイ主演のヒット作を多数手がけてきた、アトリー。宿敵役のヴィジャイ・セードゥパティやヒロインのナヤンターラなど、タミル映画でお馴染みの俳優たちが名を連ねるほか、ディーピカー・パードゥコーンやサンジャイ・ダットまで重要な役柄で特別出演。2023年のインド映画興収第一位を獲得したのも頷ける、豪華な布陣だ。

ムンバイのメトロが、白昼堂々、ハイジャックされた。犯人は六人の女性たちと、ヴィクラム・ラートールと名乗る謎の禿頭の男。彼らはメトロに乗り合わせていた、名うての実業家カーリーの娘と乗客たちを人質に、途方もない額の身代金をカーリーに要求する。支払われた身代金は、借金苦に喘ぐ貧しい農民たちに即座に分配された。その後もまんまと逃げおおせたヴィクラムと六人の女性の正体は……。

物語冒頭のさわりだけ書いてみたが、ここから先の展開は、おそらく誰にも予想できない。ある意味、とてもアトリー監督らしいトリックが仕掛けてあるし、スリラーっぽい話かと思いきや意外と正統派だったり、荒唐無稽なアクションとお約束的なカタルシスを堪能できる展開もあったりで、最後までまったく飽きさせない。物語のそこかしこに織り込まれたインド特有のさまざまな社会問題(とその解決方法)は、わかりはするけどさすがに大風呂敷を広げすぎでは……と思ったし、細かいところでアラもちょいちょい目につくのだが、まあ、いいか。面白かったし。シャールクだし。

今年の年末には、日本国内でも劇場公開される。もう一度、観ておこうかな。

「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」


先日アラスカに行った時、羽田からシアトルまでの飛行機の機内で、「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」を観た。監督はカラン・ジョーハル、音楽はプリータム、主演はランヴィール・シンとアーリヤー・バット。これ以上ない組み合わせでの、ボリウッド王道ラブコメ映画。チャンスがあれば観ておきたかった作品だったので、ラッキーだった。

祖母が興した人気菓子メーカーの御曹司、ロッキーは、事故で記憶喪失になって久しい祖父がある女性の名前を思い出したのを機に、その女性が誰なのか、探しはじめる。見つかった女性は、テレビで活躍する女性ニュースキャスター、ラーニーの祖母。二人を何度か引き合わせるうちに、ロッキーとラーニーもまた、恋に落ちていく。しかし、厳格な家父長制が敷かれているロッキーの家族と、インテリでリベラルなラーニーの家族との間には、あまりにも大きな違いがあった。そこでロッキーとラーニーは、お互いの家に三カ月間住み込んで、両家を隔てるギャップを埋めようとするのだが……。

期待以上に、面白かった。こういう映画が観たかった。ド派手で胸元開きすぎなランヴィールのファッションはどれも似合いすぎてて楽しいし。ラーニーの清々しいほど気風のいい役柄はアーリヤーにぴったりだし。懐メロを含めたダンスシーンも、盛りだくさんで華やかだった。

その一方で、家父長制の弊害や、ジェンダー、ルッキズムなどの社会的課題を、この映画は真正面から取り上げていて、それらの課題が物語の中で一つずつクリアされていく様にも、インド映画の新しい潮流を感じさせた。タイトルこそ「ロッキーとラーニーの恋物語」なのだが、この映画は、二つの家族が織りなす物語でもあり、だからこそ備わっている物語の厚みがある。

良い映画だった。日本語字幕で劇場公開される日が来るのを願う。

つかのまの帰国

日曜の昼、インドから日本に戻ってきた。デリー空港での乗り継ぎ待ちが10時間以上とかなり長く、さすがに疲れが出て、日曜と月曜はずっと眠いままだった。

今年の夏に計画していたウッタラカンド方面での取材は、直前に発生した豪雨に伴う大規模な土砂崩れで、通る予定だった道路がめちゃくちゃに寸断され、断念せざるを得なくなってしまった。時期的にある程度のリスクは覚悟していたとはいえ、色々準備していたので無念ではあったが、もしタイミングが少しずれて、現地入りした後に土砂崩れが発生していたら、完全に山奥に取り残されてしまっていたかもしれない。実際にスタックしてしまった数千人の巡礼者たちのように。そう考えると、ある意味、ぎりぎりのところでツイていたのだと思う。

山間部での撮影取材ができなくなった分の時間は、リシケシュのホテルに籠って、連載エッセイの原稿の執筆に充てた。おかげで、来年2月掲載分までのストックができた(苦笑)。これで今年の秋以降は、来春に出す書き下ろしの新刊の執筆作業に全振りできる。まだ4割くらいしか書けてないので、本気で集中せねば……。

一方、旅の後半、ラダックでのツアーガイドの仕事は、天候にも恵まれ、参加者の方々のご協力もあり、とても良い形で終えることができた。次回以降もまた、より良い内容でツアーをご提案していけたらと思っている。参加者の皆様、関係者の皆様、有難うございました。

来週金曜日からは、10日間ほど、アラスカに行く。南東アラスカのケチカンから、水上飛行機で飛んだ先にある丸太小屋で、数日間を過ごす。なので、今回の帰国は、ほんのつかのま。ゆっくり身体を休めつつ、次の取材の準備も抜かりなく進めて、万全の体制で臨もうと思う。

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紀蔚然『台北プライベートアイ』読了。ハードボイルド推理小説の形を取ってはいるが、劇作家でもある著者の経験が物語の組み立てにうまく生かされている。台湾社会に対する深い考察も著者ならでは。最終盤に明かされる犯人の心理や動機が突拍子もない次元に行きすぎているようにも感じたが、総じて面白く読めた。

「サラール」

今週もまた、インド映画を観に行ってしまった。今日観ておかないと、来月帰国した頃には上映終了している可能性が高かったので。観たのは「サラール」。主演はプラバース、脚本と監督は「K.G.F」シリーズのプラシャーント・ニール。

この二人の組み合わせということから想像できるように、主な舞台となる要塞都市カンサールはK.G.Fの設定とよく似ているし、主人公デーヴァの剛腕無双ぶりやその出自はバーフバリを思い起こさせる。意図的にそうしているのだろう。物語自体は今作がパート1ということで、続編から完結するまで(何部作になるんだろう?)見通して、伏線の回収まで見てみないと、何ともレビューしようのない部分も多い。

ただ、一つ思ったのは……「バーフバリ」や「K.G.F」でそれぞれの主人公が悪党をやっつける時に感じたある種の爽快感が、この「サラール」ではどこか違っていたこと。デーヴァはめちゃくちゃ強いのだが、少なくとも今作ではあまりにも強すぎてほぼ誰も相手にならなくて、ただただ一方的に殴りまくり、殺しまくり、返り血で血みどろになっている。アマレンドラ・バーフバリのように皆に慕われる人格者というわけでも(少なくとも現時点では)なく、親友ヴァラダへの仁義には篤いが、何をどう考えているのかはっきりわからない。「K.G.F」シリーズの主人公ロッキーのように自覚的にバイオレンスに振り切れているピカレスク・ヒーローというわけでもない。そういったもろもろが、個人的にアクションシーンで素直な爽快感を感じきれなかった要因かもしれない。

続編が公開されたら観に行くつもりではいるけれど、どうなるのかな、この物語は……。