Tag: Health

それは果たして趣味なのか

僕には、いわゆる趣味というものがない。もし今、何かの必要にかられて、昔ながらの履歴書用紙で自分の履歴書を作れと言われたら、「趣味・特技」の欄で、はたと行き詰まってしまうだろう。

でも、よくよく考えてみると、世の中年男性が趣味としてハマりそうなことは、かなりの数、僕もやってしまっていることに気づく。たとえば、ハンドドリップでいれるコーヒーとか。自分で作るスパイスカレーとか。自重トレーニングとか。カメラとか。あと、旅行とか。

ただ、それらが自分にとっての趣味なのか、と言われると、明らかに違う気がする。コーヒーやカレーは日常の家事の一部と化していて、特に趣味的にお金や時間を投じているわけではないし。自重トレーニングは、重い撮影機材を担ぐ海外取材に耐えられる身体を維持するためだし。カメラと旅行は言うまでもなく、僕の仕事の一部だし。

なので、ほかの人にとっては趣味になりそうなことでも、僕の場合は日常の家事や習慣、あるいは仕事という属性になってしまっている。それでもまあ、コーヒーもカレーも自重トレもカメラも旅も、やってる時はどれもそれなりに面白いし、楽しい。なので、趣味というわけではないけれど、日常と人生の一部分としては、僕にとって大切で、必要な存在なのだと思う。

オチも何もないけれど、まあ、そんなことをつらつらと考えた次第。

———

小林真樹著『食べ歩くインド 北・東編/南・西編』読了。インド全土及びその周辺国の食文化を、現地を旅して食べ歩いて得た膨大な経験をもとに2冊にまとめた労作。読み進めていくと、各地域の風習や宗教にもとづく食の特徴と、ほかの地域の食との相関関係がしぜんと見えてくる。各地の有名レストランや知る人ぞ知る穴場などを紹介するガイドブックとしての側面もあるが、僕は文化人類学的な食文化考察の本としての面白さを感じた。同じく小林さんの書かれた『日本の中のインド亜大陸食紀行』と併せて読めば、意外と身近にある日本とインド亜大陸各国の食文化を通じた関わりについても理解が深まると思う。

背高グラスに氷水

暑い。風呂上りに飲むビールが、ひときわうまく感じられる季節になってきた。

とはいえ、僕もすっかりええ歳こいたおっさんなので、ビールは2日に1回、350ml缶を1本、というマイルールを課している。酒を飲むのを1日おきにすると、身体が楽に感じるし、体重の管理もしやすい。ビールを買う出費も抑えられる。

が、ビールを飲まない日でも、風呂上りには喉が渇く。水分補給に何か飲まずにはいられない。でも、ジュースとかを口にして、夜中に余計なカロリーを摂取してしまうのは避けたい。で、最近飲んでいるのは、水。ごく当たり前の水道水。水は水だが、飲み方をちょっとだけ工夫している。

普段、家でビールやジントニックを飲む時に使っている、背の高いタンブラーがある。それに、製氷皿で作っておいた氷をぎっしり詰め、水道から水を注ぐ。こうすると、あら不思議、何かとても清涼感と高級感のある飲み物に見える。水だけど。原材料費ゼロの、ほんとにただの水だけど。

こんな阿呆なことをやりながら、日々それなりに楽しく暮らしております。

———

マーク・アダムス「アラスカ探検記 最後のフロンティアを歩く」読了。19世紀末のジョン・ミューアやハリマン・アラスカ遠征隊がアラスカを旅した際のルートを辿りつつ、著者がアラスカの沿海部を旅した記録。著者自身はアウトドア的なスキルや経験をほぼ持っておらず、この本で描かれているのも割とオーソドックスな旅行で、「探検」という言葉に期待しながら読むと、かなり拍子抜けする。実際、邦題の「探検記」という語句は原題には見当たらない。これは明らかに日本の出版社のミスリードではないだろうか。本自体は、いくつもの異なる旅の物語を巧みに構成して書かれていて、興味深い発見もいくつかあったが、ややテクニックに走りすぎているのと、著者自身のアラスカに対する思い入れが今一つ伝わってこなかったのが残念。訳文も、日本語の文章として十分にこなれていないぎこちなさを感じたし、誤植も多かった……。

身構えてしまう

午前中、池袋へ。ジュンク堂書店池袋本店で今日から始まる、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』刊行記念写真展の設営のお手伝いに。設営作業自体は1時間ほどで終わった。スペースや予算など、いろいろ制約のある中で、まずまず良い感じに展示できたのではないかと思う。

担当編集さんと別れ、麺屋武蔵二天でおひるを食べ、電車を乗り継いて、丸の内、神保町、新宿の書店をいくつか回る。『冬の旅』が店頭でどんな感じに置かれているかを確認して、版元にフィードバックするため、という大義名分はあるが、ぶっちゃけ、自分の本が店頭に並べられてるのを見ておきたかったからだった(苦笑)。

大きめの書店では今日はどこも『鬼滅の刃』最新刊を買いに来た人たちの行列ができていて、ソーシャル・ディスタンスを意識してる分、とても長い列になっていた。それ以外のフロアでも、平日の昼間の割には結構人が来ている。街の中も、池袋や新宿はいつもの数分の1だとは思うが、それでも大勢の人が行き来していた。

電車に乗って都心に出て、大きなターミナル駅を利用したのは、ずいぶんひさしぶりだったのだが、正直、疲れた(苦笑)。ラッシュアワーに比べれば列車内は全然がらがらだし、街にも人混みができているわけではないのだが、それでも、マスクを外したまま大声で携帯で話をしてるおっさんや、マスクをしないまま電車に乗ってきて菓子パンをかじってるにーちゃんなどを見かけると、やっぱり身構えてしまうし、可能ならしっかり距離を取って迂回してしまう。今のこの状況では、都心に出かけたところで、気晴らしになるどころか、逆に気疲れしてしまう、と思った。

いつまで続くんだろうなあ、この状況は。

いのちだいじに

ドラクエの何バージョン目からだったか忘れたけど、主人公の味方たちのグループがモンスターに遭遇した時、プレイヤーが味方のAIに指定できる「さくせん」がある。「ガンガンいこうぜ」とすれば、防御を気にせず、MP(マジックポイント)が大量に必要な強力な呪文を使いまくる。「バッチリがんばれ」(昔は「みんながんばれ」だったかな)は、攻守のバランスを取ったオーソドックスな指示、といった具合。

コロナ禍に苛まれている今の日本に必要な「さくせん」があるとしたら、「いのちだいじに」の一択だろう。とにかく主人公も仲間も死なないように、弱ってる者は防御重視で、まめに回復呪文や薬草を使うようにして。でも、自粛や休業の「要請」はする一方で、それによって発生した損失の「補償」は一切しようとしない今の日本政府の「さくせん」は、「MPつかうな」のようなものだ。どんなに味方が瀕死の状態でも、回復魔法を使わない。今すぐ回復が必要なのは、健康だけでなく、一人ひとりの日々の生活も同じなのに。補償や給付の代わりに配られるのが、一世帯2枚の布マスクだけでは、冗談にもならない。

愚劣な為政者は、人気歌手が一般向けにシェアしていた弾き語りの動画に、自宅の居間のソファでわざとらしく犬を撫でている動画を付け足して、勝手に悦に入っている。本人も側近も、おつむにメダパニでも食らったのだろう。正気の沙汰とは思えない。

「こんらん」してる阿呆はあてにせず、とにかく、みんな、「いのちだいじに」。

蟄居の日々

先週末は、相方と二人、ほぼ家に閉じこもって過ごした。出歩いたのは、日曜の昼に近所に食パンを買いに行った時くらい。

土曜は魯肉飯と煮卵と大根スープを作り、日曜は二日前に仕込んでおいた塩豚を根菜と一緒にコトコト煮て、味噌とバターと牛乳で味付けしたスープを作った。近所の焼き菓子屋さんで買っておいたショートブレッドをコーヒーと一緒にいただいたり、これも近所で買ったレバーペーストやチーズを肴にウイスキーをちびちび飲んだりした。こういう時、ささやかにでも、食事とかで気分をアゲていくのは、心の平安を保つために大事だと思っている。

家の外、というか世界は、いろいろ大変なことになっている。ただ、今の時点で僕たち一人ひとりが実践できる最善の選択は、可能な限り家の中にいて、外を出歩かないことだ。一人ひとりがセルフ・アイソレーション(自主隔離)を徹底する以外、新型コロナウイルスの脅威を克服する方法はない。

それにしても、感染拡大を食い止めるために奮闘を続ける医療従事者の方々や、各地方自治体の担当の方々、ライフラインや交通の維持に携わる方々、配送業者の方々、スーパーやドラッグストアの販売員の方々……そういう方々がいなければ、今の社会は完全に壊れてしまう。本当に、感謝してもしきれない。

そして、政府からの「自粛を要請」、つまり「責任も取らないし補償もしないけどお前ら空気読めよな」という理不尽な要求によって、厳しい状況に追い込まれている個人経営のお店やレストランの方々のことも、とても気にかかる。どうにかして支援したいが、なかなか良い手立てがないのが今回の事態の困ったところだ。他の国々では当たり前のように金銭による補償がなされているのに、日本政府はどうしてこうも冷淡なのだろう。

とにもかくにも、今は、自分にできる最善の選択、蟄居を継続するほかない。サバイブしよう。