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「黒子」としての編集者

終日、部屋で仕事。電話での長時間の打ち合わせを何件かしているうちに、声がちょっと枯れた(苦笑)。今日はあまり作業時間が取れなかったな‥‥。

昨日、「編集者の資質」というエントリーを書いたら、知人の(誰もが認める優秀な)編集者さんから、「編集者の資質って、自分が面白いと信じたことに人を巻き込むことですかね」というツイートをいただいた。

確かに、それは的を射ている。著者、フォトグラファー、イラストレーター、デザイナーなど、本作りに関わるあらゆる業種の人たちを巻き込んで、自分が信じたゴールに向かって突き進んでいく。それをやり遂げる情熱がなければ、本当の意味での編集者の仕事はできないだろう。

ただ、そうして本なり雑誌なりを作り上げても、それはその編集者の「作品」ではない。何かを生み出したのは著者をはじめとするクリエイティブな職種のスタッフで、編集者の役割は、基本的には「黒子」なのだ。中にはその範疇を飛び越えて著者よりも前面に出てくる編集者もいるが、その是非はともかく、個人的には、いかに「黒子」に徹して他のスタッフに活き活きと動いてもらえるように努力するかが、編集者の仕事のキモなのではないかと思う。

で、編集者としての自分にそれができているかというと‥‥できてないなあ‥‥(遠い目)。

編集者の資質

終日、部屋で仕事。本の編集作業も、いよいよ本格的に忙しくなってきた。

編集の仕事を志してから、かれこれ二十年近くになる。地味で、単調で、せわしない作業のくりかえしだけど、何もないところから人の心を動かすものを作り出していくこの仕事が、僕はとても気に入っている。

ただ、自分が編集者としての資質を持ち合わせているかというと‥‥どうかな、と思う。

僕の知人には、周囲の誰もが認める優秀な編集者の方々が、何人もいる。その方々の仕事ぶりを見ていると、卓越したセンスとか、細部へのこだわりとか、疲れを知らない体力とか(苦笑)、そういった能力よりも、編集者にとって一番大切な資質は、周囲の人々とのコミュニケーション能力なのだと、つくづく思い知らされる。人間的に慕われている編集者さんは、間違いなくいい仕事を積み重ねている。

その点では、自分は本当に未熟だし、たとえば雑誌の編集長のように、大勢の人を取りまとめてチームとして動かしていく役割にはまったく向いてないと思う。どちらかというと「使う」よりも「使われる」立場の方がしっくりくるし、あるいは自分でできることはなるべく自分でやってしまう——企画・執筆・撮影・編集といったあたり——方が、力を発揮できるような気もする。

まあ、自分勝手なんだな、要するに(苦笑)。

淡々と

夕方、原宿へ。以前から打診のあった、編集の仕事についての打ち合わせ。

今回引き受けた仕事は、海外のある専門書を翻訳会社が日本語に訳したテキストを、きちんとした形に原稿整理するというもの。書店で販売される商品にはならないので多少は気が楽だが、それでも、原書で387ページほどのボリュームがあるので、ラクな仕事とは言えない。ほかにも、これから佳境に突入する本の編集作業もあるし‥‥。

こういった編集作業というやつは、心を無にして、淡々と進めていくのが一番いい。編集者の仕事なんて、世間的には華やかに思われているかもしれないが、本来、地味で単調な作業のくりかえしなのだ。さて、やりますか、淡々と。

台割を作る

終日、部屋で仕事。懸案の本の企画を実現させるため、台割の検討を進める。

台割とは、本のどのページにどんな内容が入るのか、最初から最後まで割り当てる、本全体の設計図のようなものだ。普通は、ある程度原稿を書き進めてから台割の策定に入るのだが、今回はちょっと特殊な事情があって、既存のフォーマットにできるだけ近い形に構成をあてはめた案も用意しておく必要が出てきた。なので、「1ページ目は総扉で、2、3ページ目はグラビアのイントロダクションで‥‥」といった具合に、ひたすらゴリゴリと検討を重ねていく。

こういう台割を作る作業、僕は大好きだ。頭の中で好きなように本のカタチを思い浮かべられるのは、編集の仕事の醍醐味の一つなんじゃないかと思う。考えているうちにどんどん楽しくなって、時間が過ぎるのを忘れる。

気がつけば、すっかり夜だった。

自分の原点

夕方、渋谷へ。映画美学校で開催される「マイキー&ニッキー」という映画の試写会イベントに行く。まさか、2011年になって、ジョン・カサヴェテスの姿を日本の映画館のスクリーンでまた観ることができるとは‥‥。今日は彼の命日でもある。

上映前には、映画プロデューサーの松田広子さんによるトークショーが行われた。松田さんは当時、雑誌「Switch」の編集者として、当時日本ではほとんど知られていなかったカサヴェテス(59歳の若さでこの世を去ったばかりだった)を丸々一冊取り上げた特集号を編纂した方だ。トーク中は、松田さんが米国でピーター・フォークやサム・ショウ、ベン・ギャザラ、そしてジーナ・ローランズを取材で訪ねた時に撮影されていたビデオが上映された。それを観ていると、懐かしさとともに、いつのまにか忘れかけていた熱い気持がこみ上げてきた。

今から二十年近く前、僕は松田さんたちが在籍していた「Switch」の編集部で、使い走りのアルバイトをしていたことがある。まだ右も左もわからない青二才だった僕が、初めて本気で本作りの仕事を目指そうと決意したのは、このカサヴェテス特集号をはじめとする数々の素晴らしい記事を作り出した、松田さんたちの仕事ぶりを目の当たりにしたからだった。真のプロフェッショナルの仕事とは、ありったけの情熱と愛情を注ぎ込むものなのだということを、僕はそこで学んだ。今も手元にあるこの一冊は、僕にとっての原点であり、目標であり、ある意味で未だ越えられない壁なのだと思う。我ながら、最初からずいぶん高いハードルを設定してしまったものだ(笑)。

イベントが終わった後、たぶん十数年ぶりに松田さんにお会いして、ご挨拶をした。‥‥めっちゃ緊張した(苦笑)。松田さんは二年前に僕が勝手にお送りしたラダックの本のことを憶えてくださっていて、素直に嬉しかった。会場から外に出ても、熱い気持はまだ引かなくて、身体がカッカと火照っていた。渋谷駅まで、ダーッと一気に走っていきたいくらいだった。

今まで自分がやってきたことは、間違っていなかった。でも、やるべきこと、目指すべきものは、まだ遥か先にある。