Tag: Editing

赤いボールペン

終日、部屋で仕事。昼間のうちは、電話の打ち合わせに時間を取られてしまった。晩飯にパスタを茹でて食べてから、本格的にゲラチェックを開始。

赤いゲルインキのボールペンを手に、ゲラの上にかがみ込むと、かちっ、と編集者モードのスイッチが入るような気がする。編集者モードというのは‥‥細かいところまでちまちまこだわるモード、という感じだろうか(笑)。そういう偏執的なところがある人じゃないと、この地味で単調な仕事には向いていないような気がする。

ま、僕の場合、思いもよらないところが、ぼそっ、と不注意で抜けてたりすることがよくあるので、あんまり向いているとは言えないのかもしれない(笑)。

「黒子」からの一歩

終日、部屋で仕事。はかどっているとはいえないが、それでも、少しずつ前には進んでいる、と思いたい‥‥。

一昨日、昨日と書いてきた、仕事にまつわる断想の続き。

僕は雑誌の編集者としてキャリアを始め、やがて、自分でもライターとして、いくつかの雑誌で記事を書くようになった。そうした記事のほとんどは、取材やインタビューを基にしたもの。僕は、取材する題材や人々の魅力を最大限に引き出す「黒子」としての役割に徹していた。それは、編集者の頃からのスタンスの延長線上にあったのだとも思うし、そのことに対して一種の職人的な喜びを感じてもいた。

ただ、キャリアを重ねていくうちに、僕の中には、もやもやした感情が次第に蓄積されていった。燦然と輝きを放つ魅力的な人にインタビューをして記事を書いたとしても、それは結局、その人の魅力に頼って、おすそわけをもらっているだけなのではないか。僕自身の中にある思いは、何も伝えられていないのではないか、と。

「黒子」に徹した職人的なライターは(たぶん)常に必要とされているし、僕自身、今もそういう立場での仕事を続けている。そうしなければ、正直、食っていけない(苦笑)。でも、そんな「黒子」としての立場から一歩踏み出して、完全に自分自身を晒して「ラダックの風息」を書いた時、僕の中にあったもやもやした感情は消えてなくなった。たとえ非力でも、自分自身の思いと言葉で勝負する。それが読者に届いた時の喜びは、「黒子」に徹していた時とは比べものにならなかった。

これからずっとそういう仕事を積み重ねていければ理想的だけど、世の中、そんなには甘くない(苦笑)。でも、自分が伝えたいことは何なのか、それは自分にとって何なのか、常に自問自答しながら、心の中にある目標を忘れずにやっていければ、と思う。

「黒子」としての編集者

終日、部屋で仕事。電話での長時間の打ち合わせを何件かしているうちに、声がちょっと枯れた(苦笑)。今日はあまり作業時間が取れなかったな‥‥。

昨日、「編集者の資質」というエントリーを書いたら、知人の(誰もが認める優秀な)編集者さんから、「編集者の資質って、自分が面白いと信じたことに人を巻き込むことですかね」というツイートをいただいた。

確かに、それは的を射ている。著者、フォトグラファー、イラストレーター、デザイナーなど、本作りに関わるあらゆる業種の人たちを巻き込んで、自分が信じたゴールに向かって突き進んでいく。それをやり遂げる情熱がなければ、本当の意味での編集者の仕事はできないだろう。

ただ、そうして本なり雑誌なりを作り上げても、それはその編集者の「作品」ではない。何かを生み出したのは著者をはじめとするクリエイティブな職種のスタッフで、編集者の役割は、基本的には「黒子」なのだ。中にはその範疇を飛び越えて著者よりも前面に出てくる編集者もいるが、その是非はともかく、個人的には、いかに「黒子」に徹して他のスタッフに活き活きと動いてもらえるように努力するかが、編集者の仕事のキモなのではないかと思う。

で、編集者としての自分にそれができているかというと‥‥できてないなあ‥‥(遠い目)。

編集者の資質

終日、部屋で仕事。本の編集作業も、いよいよ本格的に忙しくなってきた。

編集の仕事を志してから、かれこれ二十年近くになる。地味で、単調で、せわしない作業のくりかえしだけど、何もないところから人の心を動かすものを作り出していくこの仕事が、僕はとても気に入っている。

ただ、自分が編集者としての資質を持ち合わせているかというと‥‥どうかな、と思う。

僕の知人には、周囲の誰もが認める優秀な編集者の方々が、何人もいる。その方々の仕事ぶりを見ていると、卓越したセンスとか、細部へのこだわりとか、疲れを知らない体力とか(苦笑)、そういった能力よりも、編集者にとって一番大切な資質は、周囲の人々とのコミュニケーション能力なのだと、つくづく思い知らされる。人間的に慕われている編集者さんは、間違いなくいい仕事を積み重ねている。

その点では、自分は本当に未熟だし、たとえば雑誌の編集長のように、大勢の人を取りまとめてチームとして動かしていく役割にはまったく向いてないと思う。どちらかというと「使う」よりも「使われる」立場の方がしっくりくるし、あるいは自分でできることはなるべく自分でやってしまう——企画・執筆・撮影・編集といったあたり——方が、力を発揮できるような気もする。

まあ、自分勝手なんだな、要するに(苦笑)。

淡々と

夕方、原宿へ。以前から打診のあった、編集の仕事についての打ち合わせ。

今回引き受けた仕事は、海外のある専門書を翻訳会社が日本語に訳したテキストを、きちんとした形に原稿整理するというもの。書店で販売される商品にはならないので多少は気が楽だが、それでも、原書で387ページほどのボリュームがあるので、ラクな仕事とは言えない。ほかにも、これから佳境に突入する本の編集作業もあるし‥‥。

こういった編集作業というやつは、心を無にして、淡々と進めていくのが一番いい。編集者の仕事なんて、世間的には華やかに思われているかもしれないが、本来、地味で単調な作業のくりかえしなのだ。さて、やりますか、淡々と。