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過程と結果

昨日から降り続く冷たい氷雨は、しばらく止みそうもない。

コーヒーをいれて仕事机に運び、パソコンを開いたら、何人かの人が「誕生日おめでとう」というメッセージを送ってくれていた。ありがとう。自分としては、また一つ年を取っておっさんになったというだけで(苦笑)、さして感慨もないのだが、この一年、特に病気にもならずに健康に過ごせたことは、ありがたいなと思っている。

次の一年は‥‥結果にこだわっていきたい、と思っている。今年もあれこれ努力はしていたけれど、いろんな事情が重なって、ずっと足踏み状態を続けることになった。過程としては、けっして手を抜いたりはしていない。むしろ、今まで以上に必死に努力をしてきたつもりだ。でも、その努力も、結果に繋げられなければ、誰にも何も伝わらない。努力してきた過程を言い訳や慰めにして、結果を残すことを途中であきらめたくはない。

どれだけ苦しい過程でも、必要な努力を一つずつ積み重ねていけば、どんな形であれ、いつかはその過程にふさわしい結果に繋がると信じている。そうして結果を残していくことが、僕の仕事であり、役割でもあると思う。

編集者よ、メールには返事を書こう

この文章は、世の中で少なからず該当する出版社勤務の編集者の方々に読んでほしいと思っているのだけれど。

僕はフリーランスの立場で本を作ったり、雑誌に記事を寄稿したりしている。新しい企画を立てた時、その内容によっては、それまで一緒に仕事をしたことのない出版社に、企画の持ち込みができるかどうかを問い合わせることもある。

企画の持ち込み方としては、まずその出版社のWebサイトを確認。外部からのそういう持ち込みを受け付けていない出版社は、Webサイトにその旨を明記していることもあるからだ。そうした記載がなければ、サイトに載っている電話番号に電話をかけ、身元を明かして簡単な説明をした上で、その出版社のどの担当者の方に企画書を送付すれば受け取ってもらえるかを聞く。それまでの過程で断られる場合ももちろんあるのだが、担当者の方のメールアドレスまで教えてもらえたら、企画書など必要な資料を整えてメールに添付して送り、興味を持っていただけるようなら直接訪問して説明する旨を伝える。

で、ここからが問題。これだけきっちりとした手順を踏んで先方の窓口を確認し、きちんと礼節を守る形で問い合わせをしても、まったく返事をよこさずにシカトを決め込む編集者が、世の中にはびっくりするほど多いのだ。一般社会の常識からすると、本当に信じられないような対応だと思うのだが。僕自身、今まで何度そうした失礼な対応に遭遇してきたかしれない。

送られてきた資料の受領の確認、あるいは断りの連絡、いずれも数行のメールを書いて送るだけですむ話。ほんの数分もあればできる作業だ。「出版社の編集者の仕事は忙しいから」なんてのは言い訳にすらならない。要するに、単に相手を見下していて、面倒くさいから放置しているだけなのだ。他に何かもっともな理由があるだろうか?

メールではないけれど、こんな話を聞いたことがある。大手出版社から季刊で刊行されている割と有名な旅行雑誌が、チベットの特集を組むことになった。それを前号の予告で知ったあるフォトグラファーの方が、自分が撮った写真に興味を持ってもらえるのではと編集部に問い合わせの電話を入れたのだが、応対に出た編集部の人間は「はぁ? あんた誰?」とけんもほろろなひどい対応。ところがどっこい、実はそのフォトグラファーの方は、日本でも一、二を争うチベットの撮影のスペシャリストだったのだ。後でそれを知ったその雑誌の編集者は、平身低頭平謝りで、写真を使わせてほしいと頼みに行ったとか。手のひら返しもいいところである。

世の編集者の方々には、しかるべき手順と礼儀を守って送られてきた問い合わせのメールには、どんなに簡潔でもいいから返事を書くようにしてもらいたい。面倒くさいからとシカトすることは、それだけ相手を見下しているということでもある。そしてその相手は、そうしてシカトされて見下されたことを、いつまでも覚えているものなのだ。出版社にとって、そんなことで潜在的な敵意を増やすのはマイナスでしかないと思う。

まとめると、真っ当な手順と内容のメールにはすぐに返事を書く、という社会人として当たり前のことくらい、きちんとやってよね、という話。フリーランスをナメんなよ。

来年の計画

年の瀬で何かとバタバタしてる今日この頃だが、その一方で、来年の個人的な計画も少しずつ固めつつある。

今年は特に前半でいろいろ苦戦して、諸事情も重なり、結局自分自身の企画での書籍を上梓することができなかった。来年は、前半のうちに一冊、年末までにもう一冊、作ってみたいと思っている。前半に出したい一冊は、去年からかれこれ一年も出版交渉を続けている本なので、何とか実現させたい。年末までに出したいもう一冊は、これも去年から大苦戦しつつ交渉を続けている本だが、今後の状況によっては僕個人の出版レーベルで刊行することも具体的に視野に入れつつ、準備を進めている。それに合わせて、来年末には写真展などのイベントも開催したいと思っている。

今年でほぼ唯一、自分自身の企画として納得できた仕事は、雑誌「ソトコト」2013年11月号での巻頭グラビア記事。スピティからラダックまでの道を辿る旅について、たぶん一番いい形とタイミングで世に出せたのはよかったと思う。こうした雑誌などの場での仕事も、納得できる形で携われるのであれば、来年はもっと増やしていきたい。まずはとにかく世に出さないと、誰にも何も伝わらないわけだし。

旅については‥‥今年の秋のタイ取材のような仕事は入るかもしれないが、その一方で、ラダックには来年は行かないと思う。仕事として依頼されれば別だが。その代わりというわけではないが、来年は夏の終わりに、二週間ほどアラスカへ行ってこようと思っている。狙っていた日程でのキャンプサイトの予約も無事に取れた。いきなりすごい成果を挙げられるとは毛頭考えてないので、まずはビギナーらしく、かの地での旅の仕方を勉強してこようと思う。

そんな感じかな。常に一年くらい先のことを考えておかないと到底やっていけないのが、フリーランスの身のきついところだ(苦笑)。

形にする

この間からずっと自分の中でつっかえて手が付けられないでいた作業に、昨日あたりから、ようやく取り組めるようになってきた。形にするとしてもあと一年くらい先の話なのだが、まずは自分の中でイメージが固まりつつあることに、ちょっとほっとする。

ずっとつっかえて悩んでいたのは、たぶん、確信が持てなくなっていたからだと思う。「‥‥そこまでして、それを形にすることに、意味があるんですか?」‥‥同じような言葉を何度も何度も浴びせられているうちに、自分の中でも揺らいで、わからなくなってしまっていたのだ。

それでもやっぱり、立ち向かうしかない。

これを形にすることに意味があるかどうかなんてわからないけれど、形にしなければ、意味があるかどうかさえ確かめられない。大切にしていることを伝えるために、今の自分にできる一番いい方法で、形にする。意味があるかどうかを判断してくれるのは、それを手に取ってくれた人だ。

それでいいのだ、と思う。

本づくりとお金

さえない天気の土曜日、部屋で過ごす。来年作る(はずの)本の構成案や台割をもう一度見直してみる。

本の企画を考える時、予算はとても重要な要素だ。もし、使いたいだけお金を使えるなら、もちろんいい本を作れる確率は上がる。でも、ほとんどの場合はそんなことはないわけで、限られた予算の中、いろんな人と交渉したり、仕様で工夫をしたりして、その制限の中でできるだけいい本を作ることを目指す。

今度の本は、僕一人で中身を作るのではなく、かなり大勢の人に協力してもらわなければならないので、その人たちにお支払いする額をどう設定するのかもよく考えなければならない。少なすぎると失礼で申し訳ないし、逆に限度を超えると、僕の取り分がまったくなくなる(苦笑)。なかなか難しいところだ。

まあ、スパーンと景気よく重版でもかかれば、何の問題もないのだが。たぶんそれが一番の解決策だな。がんばろ。