Tag: Editing

縛りのない本づくり

午後、銀座で打ち合わせ。これから作る本に必要な写真の撮影について、カメラマンさんと編プロの方を交えて打ち合わせ。いつどこで撮影をするか、とか、来週自転車でロケハンしてきましょうか、とか。

制作に際しては、編集を担当する僕の方からある程度コンセプトを提案してはいるのだが、「こうしなければいけない」と決め込んだ指示は、カメラマンさんにもデザイナーさんにもあまりしないようにしている。ある程度イメージを共有しつつ、それぞれの持ち味を発揮してもらった方が、いい結果が得られるような気がするからだ。

こういう、ある意味ゆるりとした作り方ができるのは、今回の本が、書店ではない場所で、特定の層の人々に、ある程度限られた数で販売される、という事情があることも大きい。余計な縛りを気にすることなく、一冊の本として良いものを作ることだけに集中できる。

というか、本づくりとは本来、常にそうあるべきなのだけれど。巷の出版社を介しての本づくりは、なかなかそうはいかない昨今の世知辛さ。

ひたむきさ

ここしばらく、自分がこれまでラダックで撮影してきた写真のアーカイブを、一から見直す作業をしている。

昔、ラダックに長逗留しはじめた頃に撮った写真を見ていると、ほんとにヘタクソだったなあと痛感する。ミスショットも含めてアーカイブをチェックすると、カメラを構えながら焦ってあたふたしてたのがまるわかりで、使える写真も全然少ない。この程度のウデでよくもまあ、と我ながら思う。

写真も、あと文章も、スキルの面だけで言えば、今の自分の方がずっと上だとは思う。そりゃそうか、ラダックに長逗留していたのは8年も前だし。ただ、自分自身の代表作と呼べるような写真、あるいは文章はと考えると、「ラダックの風息」を超えるものは世に出せていないのではないかとも思う。

たぶんそれは、あの頃ならではの無我夢中なひたむきさとまっすぐな気持が、スキル云々を超えて、ほんの時折、幸運をたぐり寄せていたからだろう。ものにした、というより、たまたま撮らせてもらえた、経験させてもらえた、そのささやかな積み重ねが、あの一冊になった。

僕に限らず、代表作というものは、往々にしてそんな風に生まれるのかもしれない。スキルを超えた、ひたむきさによって。

本をつくる仕事

午後、銀座で打ち合わせ。タイに行ってる間に依頼を受けた、初めて組むクライアントとの仕事。「想像してたのと全然印象が違う‥‥」「もっと探検家みたいな、ごつい人かと思ってました‥‥」と言われるのも、今年だけで4度目か5度目。もうすっかり慣れた(笑)。

今度の仕事は、一応インタビュー原稿も書くけれど、基本的には編集者としての仕事。自分の名前を出して文章を書いたり写真を撮ったりするのと違って、編集者は裏方に徹するべき立場。そういうポジジョン、僕は嫌いじゃないというか、むしろとても性に合う。本づくりの根っこの部分に関われるのが楽しいのだ。

僕の職業について、初対面の人からよく「で、結局、何がメインなんですか? ライター? 編集者? それともフォトグラファー?」と訊かれるのだが、一番フィットするのは「本をつくる仕事です」という答えだと思う。何かの分野で能力値や世間からの評価を高めることには、正直あまり興味が湧かない。あの手この手を弄しながら目指す本を作り上げられれば、僕はそれで十分だ。

岸辺へ

昼、荻窪で打ち合わせ。来年の春頃を目指して、ある本を新たな形で作ることになった。

打ち合わせを終え、陽射しが照りつける線路沿いの道を歩きながら、ああ、僕はついに、岸辺に辿り着いたのだ、と思う。この本の原型となるアイデアを思い立ったのは約三年前。それからの日々はまるで、対岸の気配すら感じられない、濃霧のたちこめる海に小舟で漕ぎ出したようなものだった。いくつもの出版社から門前払いされたり、適当にあしらわれたり、反応さえしてもらえなかったり。いったい何度、悔しい思いをしただろう。それでもあきらめられずに、僕はもがき続けてきた。

それから時間が経つうちに、この企画を取り巻く状況も少しずつ変わってきた。アイデアと戦略を軌道修正し、人のつながりにも助けてもらって、ようやく、本当にようやく、僕は今、岸辺に辿り着いたのだ。最終的に作ることになったこの本は、今にして思えば、運命としか言いようがないというか、作るべくして作ることになった本だと思う。

これは僕にとって、ある意味、一番大切な本になるかもしれない。

足跡のない荒野

一昨日、昨日と、僕が仕事でいかにほかの人と競い合わないようにしてるかということについて書いたが、じゃあそれで毎日ラクに過ごせてるのかというと、まったくそんなことはない。むしろ、足跡のない荒野を突っ切ろうとしてる時点で、人よりしんどい思いをしてるのではないかと思う。

一冊の本に自分の思いの丈を込めて作り上げるという作業は、本当に、ものすごい量のエネルギーを消費する。そもそも本を出せるような状況に持っていくには、それだけで何カ月も、場合によっては一年以上もかけて、時に理不尽なことにも耐えながら粘り強く交渉し続けなければならない。いろんなものごととの戦いで、ほんと、ヨレヨレのボロボロになる。今も割とそういう状態に近い(苦笑)。

こんなにつらいなら、やめてしまえばいいじゃないか、と思う時もある。もっとラクな立ち位置に逃げてしまえばいいじゃないかと。でも、やっぱり、ここから逃げるのは、自分の心に背くことなのだ。心の底から作りたいと思える本を作ることのできる可能性があるのなら、それがゼロにならないかぎり、みっともなくてももがき続けるのが、自分の選んだ道なのだと思う。

だからこれからも、誰もいない、足跡のない荒野を歩く。