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ジンジャーシロップ

子供の頃に苦手だったのに大人になると好きになる食べ物や飲み物はいろいろあるが、僕の場合、生姜もその中に入ると思う。小さい頃は「辛いだけじゃん」とか思ってた(でも豚肉の生姜焼きはご多分にもれず好きだった)けど、今は自炊する時も炒め物から煮物やスープまで結構何にでも生姜を入れてしまうし、コーヒーが期待できなさそうな喫茶店(煮詰まりきったコーヒーの臭いが漂ってる店とか)ではジンジャーエールを頼むことも多い。

実際、適量であれば、生姜は身体にも良いと思うのだ。生姜をコンスタントに摂取するうちに花粉症の症状が改善されたという人の話も聞くし。というわけで、前にデイリーズで見かけてちょっと気になっていた、ジンジャーシロップを買って使ってみることにした。

ポットにミルクティーを作って、ジンジャーシロップを大さじ2杯くらい。飲むと、生姜の香りとともに、ちょっとだけ舌にぴりっとくる感触。今、飲みながらこれを書いているのだが、明らかに身体がぽかぽかと温まってきている。すごいなこれ……。これはいい買い物だったかもしれない。

掃除、洗濯、煮っころがし

昼頃までゆっくり寝て起きる。直近の仕事も昨日までにどうにか納まったし、今日は特に予定もない。なので、長い間サボってきた、部屋の大掃除に取りかかる。

埃を吸い込まないようにタオルを口元に巻き、あちこちに積もった埃を払い落とし、部屋中に掃除機をかけ、棚や机を雑巾で拭く。もちろん風呂場とトイレも。たっぷり2時間くらいかけて掃除して、終わってみると、何だろう、部屋が明るく感じられる(笑)。単に気持の問題だろうけど、すっきりした気分になった。

洗濯物を洗って干し、近所のスーパーに買い物に出かけ、晩ごはんは大根と里芋と豚バラの煮っころがし。野菜を5〜10分ほど下ゆでして、生姜と豚バラと合わせ調味料で炒め煮にしただけ。簡単だけど、おいしくできた。

さて。この後は、ゆっくり本でも読もうかな。

野菜と虫喰い

昨日と今日は、実家から送られてきたカブを晩ごはんのおかずにした。昨日はカブとえのきのそぼろ煮、今日はカブのしょうが焼き。葉付きのカブだったので、葉と茎も刻んで一緒に料理した。

実家から届いたカブは、葉っぱが結構虫に喰われていた。白菜とか他の葉物野菜もそうだった。僕はまったく何とも思わない(そして野菜たちはちゃんとした味でおいしかった)が、スーパーではこういう野菜を並べても、たぶん全然売れないのだろう。穴一つない、きれいな野菜ばかりが並んでいる。不自然なくらいに。そういう不自然さが行くところまで行ってしまって、最近では、形が不揃いだったり、土が付いていたり、虫喰い穴があったりすることが、安全な野菜の目印みたいにみなされてる風潮もある。それはそれで安易に信じていいのだろうか、とも思うが。

別に豪華でなくていいから、真っ当に作られた食べ物を食べたいなあ、としみじみ思う。

青菜大量消費スープ

昨日は杉並区のブータンイベントにちょっと顔を出したり、吉祥寺で新そばを食べたりしたのだが、今日は終日、部屋で原稿執筆。明日も一日中取材があるので、少しでも進めておかないと年末が結構やばい。

一昨日、実家から大量に野菜が届いたので、ダメになる前に消費しなければならない。根菜はまだ日もちするからいいけど、青菜の類は早く食べないと黄色くしおれてしまう。特に、レタスやサラダ菜はサラダでたくさん食べようとすると大変だし、おなかが冷える。なので、今夜はレタスをスープにしてしまうことにした。

鍋でニンニクと生姜をごま油で炒め、冷蔵庫で余ってたソーセージを刻んで一緒に炒め、水を注いで、鶏ガラスープの粉末を投入。煮立ってきたら手で適当にちぎったレタスを投入し、軽く煮立たせてから溶き卵を回し入れて火を止める。最後に塩こしょう。5分で完成。

身体もあったまるし、テキトーに作っても大丈夫だし、青菜を大量消費できる。あと何回か作らないとまだまだ追いつかないけど。

子供と大人の味覚

食べ物に関して、僕はほとんど好き嫌いがない。日本人感覚でいうゲテモノは自ら進んで食べたりはしないが、食えと言われたら、まあ、食えなくもない。この間もタイの田舎町で、何かの拍子に炒ったイモムシをすすめられて、ぽいっと食べちゃったし。

でも、子供の頃は、嫌いとまではいかないけど、別にうまくもないなあと思いながら食べてたものは、結構たくさんあったような気がする。たとえば、岡山県はばら寿司が割と有名だが、あれに使われる酢じめの魚やレンコンといった具材が苦手で、ばら寿司自体もうまいとは全然思っていなかった。焼いたアナゴも割とよく食卓に上っていたけど小骨の感触が好きになれなかったし、野菜だとさやいんげんとかさやえんどうの類はもきゅもきゅした歯ごたえがイマイチだと思っていた。まあでも、そういうのを食べずに残すことが許されるような育てられ方でもなかったし。

今となっては、どれもこれも、何のためらいもなく、ぱくぱく食べられる。子供と大人、味の感じ方というのは変わるものだなあと思う。単に鈍くなっただけかもしれないが。