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無関心との戦い

昼、渋谷で開催されるチベット・ピースマーチへ。家を出る時はまだ雨が降っていたが、ピースマーチが始まる頃には止むだろうと思っていた。こういうチベット絡みのイベントがある時は、不思議なくらい天気が持ちこたえるのだ。案の定、一行が宮下公園を出発する頃には、雨はぴたっと止んた。

宮下公園から、渋谷駅前、宮益坂、国連大学、表参道、そして再び宮下公園まで。一時間半ほどのピースマーチ。参加人数は、多めに見積もっても、200人くらいだろうか。2008年の時は、六本木に2000人も集まったのだが‥‥。残りの1800人は、たぶん、チベットのことはもう忘れてしまったのだろう。沿道からも「何やってんの? この人たち」という冷ややかな目線を浴びることの方が多かった気がする。

200人が一時間半ほど渋谷の街を練り歩いたところで、何も変えられないのかもしれない。でも、誰も、何もしなければ、本当に何も変わらない。

昨年からチベットで続いている焼身抗議という行為が、賢明なやり方だとは僕も思わない。でも、日々の生活から言論や信仰まで徹底的に弾圧され続けているチベットの人々の思いを考えると、無責任に「よせばいいのに」などと軽く流すことなんてできない。彼らの戦いは、理不尽な弾圧を続ける中国当局との戦いであると同時に、世界中の人々の無関心との戦いでもあるのだ。

あなたが、チベットの人々のことをほんの欠片でも気にかけているのなら、もっと彼らの現状について知ってほしい。そして、チベットについて周囲の人々と話をしてほしい。無関心という敵に勝てなければ、チベットの人々は本当に、文字通り、見殺しにされてしまうのだから。

心を踏みにじる

今日は、チベット暦の一月一日、ロサル。チベット人にとって、ロサルは一年で一番盛大なお祝いの日。近くのゴンパ(僧院)にお参りした後、親戚やご近所さんの家々を訪ねて、飲めや歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎが繰り広げられる日‥‥のはずなのだが。

今年のロサルを、心からの笑顔で迎えたチベット人は誰もいない。一年以上前から続くチベット本土での僧侶や一般人の焼身抗議者への弔いと、彼らに対してさらに弾圧を強める中国政府への抗議の意を込めて、チベットの人々はロサルのお祝いを慎んでいる。

滑稽なのを通り越して呆れてしまうのは、そんなチベット人に対して、中国政府が「ロサルを祝え! だが、寺院への参拝はするな!」と強要していること。同胞のために命を散らせた者たちを悼む心。敬虔な信仰を守り続ける心。人として当たり前の権利を持って生きたいと願う心。そういったチベットの人々の心を、中国政府は泥まみれの靴で踏みにじり、唾を吐いている。

そうした現実を、所詮は他人事だから、何かと都合が悪いから、と見て見ぬふりをしている人たちもまた、同じ穴のムジナだ。

自由なんとか協会

この動画に登場する、自由なんとか協会のプレゼンターの日隅一雄氏は、壇上のスピーチで「チベットの僧侶のように焼身自殺をして名を上げた方がいいのかなと思った」と口にし、その場に集まった人々とともに爆笑していた。

ふーん。それを「面白い」と思えるんだ。ふーん。

そういうことを公の場で口にしたら傷つく人が大勢いることを想像する力が働いていない時点で、日隅氏も、自由なんとか協会のお歴々も、ジャーナリスト失格だと思う。

暗殺計画

夕方、仕事の合間にネットでニュースを見ていると、不穏な見出しの記事が目に飛び込んできた。

ダライ・ラマ暗殺狙う 「中国のスパイ侵入」とインド紙報道

7日付のインド紙タイムズ・オブ・インディアによると、中国チベット自治区からのスパイが、インドに亡命中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)の暗殺を企てているとの情報があり、警察当局は警備強化に乗り出した。

西部ムンバイの警察は、中国国籍の「タシ・プンツォク」と名乗る中国の情報機関所属とみられる人物が、インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府に関する情報収集とダライ・ラマ殺害のため、インドへ侵入するとの情報を入手。

ダライ・ラマは説法などを目的にインド各地を訪問することが多い。ムンバイ警察は国内の亡命チベット人の関連組織に情報を伝えた。スパイは計6人いるとされる。

ムンバイ警察は「ダライ・ラマがムンバイのスラムで人々と交流することもある」などとし、将来のムンバイ訪問に備え、関係機関に対策強化を指示した。

事実だったら穏やかじゃないな、と思うし、実際、法王の身は危険かもしれない、とも思う。ただ‥‥もし、中国当局が法王の暗殺を実行に移してしまったら、チベット本土が、血で血を洗う悲惨な状況に陥ってしまう。僕は中国という国にシンパシーは微塵も感じていないけど、これ以上、愚かなことをしでかすことだけはやめてほしい。

昨日、チベットのアバで、また二人のチベット人が焼身自殺をした。こんな哀しいことは、もうたくさんだ。

「知らなかった」でいいの?

チベット本土で今、僧侶をはじめとするチベット人たちによる焼身自殺が相次いでいる。今年三月、アバのキルティ・ゴンパの若い僧侶が焼身自殺したのを皮切りに、アバやカンゼで、若い僧侶や尼僧、一般のチベット人たちが、次々と焼身自殺を遂げているのだ。今日、デリーの中国大使館前で焼身自殺を試みた男性を含めると、その数、なんと12人。異常としか言いようがない。

自らの命と引き換えに彼らが訴えているものは、みな同じ。50年前から続いている、中国当局がチベット人とチベット仏教に対して行っている理不尽な弾圧をやめるように、中国に、そして国際社会に対して訴えかけているのだ。

焼身自殺という手段自体は、決して称賛すべきやり方ではない、と僕は思う。でも、そういう最後の手段を選ばざるを得ないほど、チベット本土の人々はあらゆる面で追い詰められている。自由も、宗教も、文化も、誇りも‥‥心そのものまで、無惨に踏みにじられて。そして、焼身自殺でもしなければ振り向いてもらえないほど、国際社会の人々の関心が薄いということも、彼らがそういう手段を選んでしまう一因となっている。

三年前にチベットで起こった騒乱の時、六本木の抗議デモに集まった何千人もの人々は、もう、チベットのことはすっかり忘れてしまったのだろうか? あれからチベットでは、何も変わっていないし、何も終わっていない。むしろ、状況はますます悪くなっているというのに。

今回の焼身自殺のことも、「へー、知らなかった」という人が日本では大半なのかもしれない。でも、その無関心こそが、チベットで次々に焼身自殺が繰り返される原因になっているのだ。「知らなかった」で済ませていいわけがない。

一人でも多くの人に、チベットの人々が置かれている悲惨な状況を知ってもらうこと。それが、今の僕たちがまずやらなければならないことだと思う。