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ゴールポストが後ずさり

先週あたりから、新しい本の原稿の執筆を再開。日々黙々と書き続けている。

去年の晩秋から書きはじめたこの本の原稿、途中タイ取材とかで中断期間はあったのだが、これまでにどのくらい書いてきたのか計算してみると、80ページだった。予定している総ページ数の、だいたい三分の一くらい。たぶん。おそらく。

言葉尻があやふやなのは、最終的に全体で何ページくらいの本になるか、まだはっきりしていないからだ。少しずつ書き進めて様子を見ながら、台割もその都度調整しているので、一つの章だけでもページ数がにゅるっと増えてしまったりしている。もちろん予算の都合もあるので、野放図にページを増やしまくるわけにもいかないのだが、内容的に妥協はできないし。嗚呼。

総ページ数という名のゴールポストが、今日もじわじわと後ずさりしていく。

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赤染晶子『じゃむパンの日』読了。42歳の若さで逝去された芥川賞受賞作家の方が遺したエッセイ集。短いセンテンスでぽんぽんと切れ味よく綴られた文体と、ささやかなものごとに対する視点の意外さがくせになる面白さ。でも、ふと気づくと、どことなく哀しい気配もうっすら漂っていて。多くの人に読み継がれてほしいな、と思った。

本屋が消えていく

昼、渋谷の映画美学校試写室へ。紹介記事を書く予定の映画の試写を見る。

終わった後、本屋に寄りたくなったのだが、ジュンク堂書店渋谷店は東急百貨店の建て直しの影響で、1月末に閉業してしまっていたことを思い出す。渋谷に来た時にはほぼ当たり前のように立ち寄っていた本屋だったので、何とも言えない喪失感。渋谷ではブックファーストも撤退してしまったし、東京駅前では八重洲ブックセンター本店ももうすぐ閉業だし。東京のあちこちから、本屋が次々と消えていく。

近頃は個人経営の独立系書店が増えたという話も聞くけれど、どこも経営は全然楽ではないそうで、苦労話もあちこちで耳にする。個人的には、最近のエネルギー高騰や物価高からして、あと何年かしたら、アマゾンなどのネット書店で紙の本を買う時の送料も有料化されると予測している。そうなった時、僕たちはどこで本を買えばいいのだろう。今でさえ、すぐ近所に本屋がある街は、日本でも実はそんなに多くはないのに。

結局、僕は渋谷から歩いて代官山に行き、代官山蔦屋書店でほしかった二冊の本のうちの一冊を見つけて買った。もう一冊は、帰りに新宿で途中下車して、紀伊国屋書店新宿本店で手に入れた。仕事用のショルダーバッグは、家から持ってきていた本と合わせて三冊の本で、ぱんぱんになった。

歩み去る人々

アーシュラ・K・ル=グウィンの作品を、一冊々々、少しずつ、読み進めている。この間、『風の十二方位』という短篇集を読み終えた。収録されていた17篇の中で、とりわけ強く心に残ったのは、「オメラスから歩み去る人々」という物語だった。

文庫本でほんの十数ページほどのこの掌篇は、オメラスという架空の街にまつわる物語だ。オメラスでは、諍いも何もなく、誰もが幸福に満ち足りた日々を過ごしている。オメラスの人々の幸福は、ある建物の地下の牢獄に幽閉されている、一人の子供の苦悶と引き換えに与えられている。誰かがその子供を救い出そうとしたら、オメラスの幸福は失われてしまう契約になっている。オメラスに住む人々はみな、そのことを知っている。

ほとんどの人が、幽閉されている子供のことを、見て見ぬふりをしたまま、日々を過ごしている。しかし時に、その子供の存在を知った少年や少女、あるいはもっと年老いた人々が、何も言わずにオメラスを離れ、ぽつりぽつりと、何処かへと歩き去る。何処へ向かうのかはわからない。でも彼らは、自分の選んだ行き先がわかっている。

ロシアとウクライナの間で戦争が始まってから、一年が経った。トルコとシリアの地震で、五万人以上もの命が失われた。ミャンマーでは、国軍が無辜の人々を弾圧している。日本は、どうだろうか。今の社会の中にはびこる理不尽なものごとの数々に対して、僕たちはぬるま湯に浸ったまま、見て見ぬふりをしてはいないだろうか。

僕も、見て見ぬふりをしない勇気を持ちたい、と思う。

本を読むのが遅い

本を書くことを生業にしている割に、僕は本を読むのが遅い。本自体のボリュームや、その時々の忙しさにもよるが、だいたい、月に2冊くらいのペースだと思う。

基本的には、斜め読みでの速読はあまりしたくないたちで、文体が自分の感覚に合う本は、1行1行、じっくり味わって読みたいと思っている。だから、読むのが遅いこと自体は特に気にしてないのだが、問題は、本を読む速度よりも、本を買う速度の方が全然速いことだ(苦笑)。何冊買っただろう、今年だけで……。部屋のあっちこっちの隙間に分散して収納しようとしても、残り少ないスペースは、未読の本たちによって刻々と埋まっていく。読んであげなきゃなあ、と思い続けてはいるのだが、追いつかない……。

というわけで、来年はまず、積ん読を少しでも減らすことを目標にしようと思う。まあ、読み終えたからといって、収納スペースが空くわけではないのだけれど。

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ナン・シェパード『いきている山』読了。スコットランド北部のケアンゴーム山群での山歩きをこよなく愛した著者が、岩や水や光から、植物、動物、人間に至るまで、山という存在そのものを構成する要素を一つひとつ、深い思索とともに解きほぐし、仔細に描き出していく。膨大な量の注釈が添えられていることからわかるように、けっして読みやすい本ではないが、きっと、再読すればするほど味わい深くなる本なのだと思う。

この本が書かれたのは第二次世界大戦の終わり頃で、それから一冊の本の形でひっそりと出版されるまで、30年もの月日がかかった。そして、ナン・シェパード自身が亡くなってからさらに30年ほど経ってから、ネイチャーライティングの知られざる名作として脚光を浴びるようになり、世界中で広く読まれるようになった。本という存在は時として、こんな風に思いもよらない形で、世界に対して答えを示すことがある。

あまり急がず、あまり焦らず

少し前から、新しい本の執筆に、本格的に取り組んでいる。

今度の本は、ここ何年かの間に続けざまに書いていた旅行記ではなく、ある意味、もっと実用的な本。文章と写真以外の要素も複数絡んでくるので、編集者目線でも都度チェックしながら書き進めていく感じになっている。作家的なモードというよりは、純然たるライターのモード。これはこれで、すっかり慣れ親しんでいるというか、いろんな修羅場をくぐり抜けてきたモードではある。

とはいえ、一冊の本を丸々書き下ろすのは、本当に長い、長距離走のような作業なので、あまり急がず、あまり焦らず、でもあまりゆっくりし過ぎないように(苦笑)、淡々と書き進めていこうと思う。

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洪愛珠『オールド台湾食卓記 祖母・母・私の行きつけの店』読了。素晴らしかった。これがデビュー作とは思えないほど、穏やかで抑制が効いていて、それでいてどこかふんわりと軽やかな文章。台湾の古き良き食の伝統と、今は亡き母や祖母とのかけがえのない思い出とが、幾重にも重なり合うように綴られていく。彼女がこれからの彼女自身の人生を生きるために、書かずにはいられなかった、書かれるべくして書かれた本だったのだと思う。