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それは当たり前ではなく

先週末、母が上京してきた。新宿のホテルに宿を取ったというので、実家のある岡山にはなかなかないというタイ料理店で、一緒に晩飯を食べた。

タイ料理店から喫茶店に場所を移そうということになり、街を歩いていると、「紀伊國屋書店を見てみたい」と言われた。地下一階の旅行書コーナーでは、三月末に出たばかりの僕の本が10冊ほど面陳して置かれていた。

「こんな風に置かれてるの、見たことなかったわ」と母が言った。まあ東京だから……と言いかけて、それは当たり前のことではない、と思い直した。本がこの世に生み出されて、書店の店頭に並べられ、お客さんが手に取って、レジに持っていく。それが、どれだけ大変なことか。どれだけ多くの人の力を借りなければならないか。

本を作り、読者に届ける。この仕事の重さを、あらためて感じた。

青山ブックセンター六本木店

青山ブックセンター六本木店が、6月下旬に閉店になるというニュースが流れてきた。

田舎の高校を卒業して上京してきたばかりの頃、六本木の青山ブックセンターは、僕にとって憧れの書店だった。デザインやアートや写真の本がずらりと並び、他では見たこともない雑誌や洋書にも、あの店でなら出会える気がしていた。六本木という街自体、僕には敷居が高すぎて、なかなか足が向かなかったが、逆に、何か用事があって六本木の近くに来た時は、必ずと言っていいほど立ち寄る書店でもあった。

大学を卒業した後、僕はじたばた苦しみもがきながら、少しずつ少しずつ、記事を書いたり、雑誌や本の編集に携わったり、自分自身で本を書いたりするようになった。その成果物である雑誌や本が、六本木の青山ブックセンターに並べられているのを見かけると、こんなことがあるのだなあと、不思議な、ふわふわした気分になった。

そんな憧れの書店だった場所が、38年の歴史に幕を閉じる。十数年前にも親会社の破産などで一時閉店になったりした時期があったから、寝耳に水というほどの驚きはない。ただ、本が本として大切にされていた場所が、また一つ減ってしまうのだなあと、寂しい気持にはなる。

僕は、本に対して、何ができるのだろう。

本は人を繋ぐ

昨日は、昼の間に書店回りをし、午後は板橋方面で取材。その後、夕方から渋谷にある旅行会社さんの事務所で、打ち合わせという名の飲み会。餃子の達人と厚焼き卵の達人がいらしたおかげで、うまい料理とうまい酒を、たらふくごちそうになってしまった。参加してくださったみなさんもとても楽しそうで、何よりだった。

しかし昨日の集まりは、何だか、とても不思議な気分にさせられた。もし、僕が過去に作ってきた何冊かの本の仕事がなければ、あの場所にいた人たちは、互いに出会う接点もまったくないまま、今に至っていたかもしれないのだ。

自分が引き合わせたなどと傲慢なことを言うつもりは毛頭ない。ただ、その時その時の自分のベストを尽くして良い本を作ろう、ともがき続け、ささやかながら世に送り出してきた本たちが、結果的にある種のかすがいとなって、今もいろんな人たちを繋いでくれているのかもしれない、とは思う。

本は、人と人とを繋いでくれる。

余白の時間

何日かぶりに丸一日、家にいられた。先週から手元にたまっていた取材原稿も、深夜にちまちま書き進めておいた甲斐あって、だいぶ片付いてきた。ようやく、手綱をたぐり寄せることができた気がする。

コーヒーを淹れたり、晩飯にスープを煮たり、腕立て伏せをしたり、本を読んだり。何気ないことを、ゆったりとやる。そういう余白のような時間が、ずっと必要だった。余白の時間があるからこそ、ぼんやりとあれこれ考えごとができるし、その中から、ぽん、とアイデアが浮かんだりするし。

しばらく前に浮かんだアイデアは、我ながら、なかなかいい。もうしばらくぼんやりしながら、この生みたての卵みたいなアイデアを、温めることにしよう。

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ジェームス・ワット「ビジネス・フォー・パンクス」読了。破天荒な戦略で急成長したスコットランドのクラフトビール会社、ブリュードッグ創業者の書いた本。ビジネス書というより、純粋に彼と彼の仲間たちの生き様の本だと思った。「人の話は聞くな、アドバイスは無視しろ」……ふりかえってみれば、自分もそうだったかも(笑)。サクサクと小気味よく読める本だが、編集者として気になった点が2つ。1つは、僕が手にしたのは4刷目の本だったのだが、それでも結構な数の初歩的な誤植がまだ本文中に残っていたこと。もう1つは、よりによって自分はビールを飲めない(!)とのたまう大学の先生に、長々と解説文を書かせているということ。

寄り添う写真

昼、リトスタへ。写真展「Thailand 6 P.M.」に合わせて販売してもらうため、「ラダックの風息[新装版]」と「ラダック ザンスカール スピティ[増補改訂版]」を箱詰めして、家から両手で抱えて搬入。ちょうどランチの時間が始まったので、いわしの南蛮漬け定食とコーヒーをいただいて、本を読みつつ、しばし在廊。

地元の人や、この界隈でお勤めの人らしいお客さんが、30人弱ほどご来店。そこはかとなく耳をそばだてていると、「あら、写真が変わったわね! どこかしら?」「タイだって」「そういえば前にベトナムでさあ……」「誰それさんとカンボジアに行った時はね……」といった会話が、あちこちから聞こえてきた。何だか嬉しかった。今回の写真展は、ごはんを食べながらゆったりした気分で写真を眺めて、それぞれの旅の思い出話とかを楽しんでもらえたらなあ……というイメージで考えた企画だったからだ。

見る者を圧倒するのではなく、何気なく、寄り添うような写真。そういう写真も、あっていいと思う。

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アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳「島とクジラと女をめぐる断片」読了。小さくて悲しくて美しい「断片集」。個人的には「インド夜想曲」よりもこっちの方が好きだ。最後のクジラのひとことが、くっと胸に刺さった。僕もアラスカで、クジラにああ思われていたのかもしれない。