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一山越えて

先週土曜は、モンベル御徒町店での「LADAKH LADAKH」刊行記念トークイベント。司会進行役を務めさせてもらったのだが、はたしてうまくいったのだろうか……その判断はお客さんに委ねるしかないけれど。個人的には、イベントの最後におまけで流させてもらった、自分の写真のスライド動画(この間、冬のラダックで撮ってきた写真)の時が、一番緊張した。最後の最後で、場がしらけてしまわないかと心配で心配で(苦笑)。

終了後、神田の居酒屋で関係者だけでの打ち上げ。そこでIPAビールをしこたま飲み、二次会は角田明子さんのスタジオで、朝までコース(苦笑)。ひさびさにやらかしてしまった……二日酔いにならなかったのが奇跡なくらい。まあでも、愉しかったなあ。出演者と関係者の方々にも喜んでもらえて、よかったと思う。

……と、いつもの年なら、ここでめでたしめでたしというところなのだが、今年は違う。5月は中旬に大阪でまたイベントがあるし、その後は吉祥寺で写真展もある。一山、越えはしたけれど、まだまだ先がある。がんばらねば。

「CAPA」2019年5月号「ドキュメンタリー写真家のメッセージ」

4月20日(土)発売予定のカメラ雑誌「CAPA」2019年5月号の連載企画「安田菜津紀がいま伝えたい・聞いてみたい ドキュメンタリー写真家のメッセージ」に、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんと僕が対談をさせていただいた記事が掲載されます。記事の中では、僕の撮った写真として、これまでどこにも出していない撮りたてホヤホヤのザンスカールの写真が数枚掲載されています。発売後に書店で見かけたら、お手に取ってご覧ください。

本の佇まい

本には、佇まいのようなものがある、と思う。

ぱっと見た時。手に取って、表紙を開き、ページをめくった時。全体のサイズ感。持った時の重さ。紙の質感。インクの色味。文字組。余白。写真。イラスト。作り手の細かな気配りの一つひとつが、匂い立つような気配を本にまとわせていく。良い本かどうかは、そうした佇まいでだいたい感じ取れる、と僕は思っている。大手出版社の本かどうかとか、贅沢な仕様の本かどうかとかは、僕の言う本の佇まいとはまったく関係ない。

自分が仕事で本を作る時も、良い本としての佇まいが現れているといいなあ、といつも願わずにはいられない。もちろん、それは読者の方々に判断してもらうしかないのだが、少なくとも、雑に作った本だとは絶対に思われないように、文章の一字々々、写真の一枚々々に、丁寧に気持を込めながら作るように心がけている。まだまだ未熟者ではあるけれど。

昨日受け取った「LADAKH LADAKH」の見本誌を眺めながら、そんなことを考えている。また一冊、本を作ることができた。

本づくりの縁

一昨日、昨日と、「LADAKH LADAKH」の色校戻し作業。昨年夏のラダック取材から始まったこの本の制作も、どうにか校了にまで漕ぎ着けた。肩の荷が下りてほっとしたのと同時に、僕自身にとって一番の愉しみである本づくりの作業が終わってしまったので、ちょっと寂しくもある。

今回の本づくりでは、いつにも増して、大勢の方々に協力していただいた。以前別の仕事を通じてご縁のあった方もいれば、まったく別のきっかけで今回新たにご縁のできた方もいる。一冊の本を作る過程で、こんなにもたくさんの縁が繋がり合うというのは、考えてみると不思議なことだ。

僕という人間は基本的にまったく社交的ではなくて、人付き合いもどちらかというと苦手なのだけれど、本づくりを通じて繋がっていく縁で、いつも大勢の人々に支えてもらっているのだと、あらためて気付く。少しでも良い本を、一冊でも多く作って、そうした縁に報いていかなければ、と思う。

個人的リバイバル

先月「ボヘミアン・ラプソディ」を観た後にアマゾンで発注したクイーンのベストアルバムが、約1カ月遅れでようやく届いた。で、ここ数日、聴いてるのはこればっかり。家のステレオでも、外出時のiPhoneでも、ひたすらクイーンをヘビロテ中である。一日中、ドント・ストップ・ミー・ナウ〜♪ てな感じで(笑)

昔は好きだったけどその後しばらく遠ざかっていたものが、ふとしたきっかけで興味が甦って再びハマる、という個人的なリバイバルブームみたいな現象が僕には時々起こる。今回のクイーンもそうだし、以前はジョン・コルトレーンとか、レッド・ツェッペリンとかの個人的リバイバルが再来したことがあった。本だと、最近まとめて読み返していたサリンジャーとか。

そういう個人的リバイバルを引き起こすものに共通しているのは、時を経ても変わることのない本質的な良さのようなものを内包しているということだろうか。変わらない価値を持つものを、自分も作りたいなあ、と思う。