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本は一人では作れない

先週書き上げた本の草稿を、一週間放置して、昨日から推敲作業に取りかかった。少し冷却期間を置いた方が、冷静に俯瞰しながら読み返すことができるから。一巡目はとりあえずさらっと読み通して全体的なバランスのチェックをする。細かいところを詰めていくのは、二、三巡目以降だ。

草稿は出版社の担当編集さんにも送って、率直な感想を教えてくれるようにお願いしておいた。ついさっき、その感想が送られてきたのだが、自分が一番大事に書いたくだりについて、特に伝えていなかったのに強く反応してくれていて、何だかとても嬉しくなった。ああ、よかった、この本は、人の心にちゃんと届く形に仕上げられそうだ、と、正直とてもほっとした。

一冊の本を作るには、多くの人の力が必要になる。執筆、撮影、イラスト、地図、編集、デザイン、校正、印刷、製本などなど。一人で何役もこなせる人もいると思うが(僕自身も何役かこなしてはいるが)、個人的には、本は何もかも一人でコントロールして作るより、頼める分野ではプロフェッショナルの力を素直に借りる方が、よりよい本に仕上げられると思っている。今までの経験から、そう確信している。

本は一人では作れない。今度の本も、大勢のプロフェッショナルの方々と一緒に作る。きっといい本になると思うし、いい本に、してみせる。

草稿完成

今取り組んでいる本の草稿を、昨日の夕方、ようやく最後まで書き上げた。文字数は11万字超。ページ数は200ページを少し超えるくらい。

正直、ものすごく、ほっとした。もちろん、これから推敲と細かい修正を時間をかけてやっていかなければならないし、写真のセレクトや台割の調整も大変なのはわかっているのだが、とりあえず、土台となる草稿が最初から最後まで揃っている、という安心感は大きい。昨日までは物書きとしての感覚で取り組んでいたけれど、今日からは編集者目線での取り組みに移行していくことになる。

あー、それにしても、本当にほっとしたなあ。僕にとっての「書く旅」が終わってしまったことに、一抹の寂しさはあるけれど。

この一行のために

夏からずっと取り組んでいる本の草稿の執筆も、そろそろ終盤に差し掛かってきた。

今日は、この本の中で、一番大切な部分の文章を書いた。全体を書き始める前から常にイメージし続けていた文章だし、そもそも現地で取材していた時から「この話は、何が何でも書かねば」と思い詰めていた文章でもあった。この本を作るというプロジェクトそのものを、僕に決意させた文章だ。

書く作業自体には、何の迷いも苦労もなかった。頭の中で、長い間、ずっと思い浮かべてきた文章だったし。でも、慎重に書き終えて、読み返して確認し、形を整え終えたとたん、ほっとして、かくっ、と力が抜けてしまった。ようやく、これを書くことができた。この一行のために、ここまで10万字以上、積み重ねてきたのだ。

本全体を締め括るまで、あともう数千字から1万字くらいは書かなければならないし、その後は果てしのない推敲作業が待っている。台割も確定させて、写真を膨大な数の中からセレクトしなければならない。編集作業、校正作業、色校チェック……道程は、まだまだ遠い。

でも、今日はもういいや。力が抜けた。今夜は寝る前に、ボウモアでオンザロックを作って、ちびちび啜ろうと思う。

頑張るだけでは

別のインド関係の本の編集作業を予定よりも早く始められることになったので、この数日間は自分の本の執筆を一時中断して、ゲラとにらめっこする日々を送っていた。

妙な言い方になってしまうが、正直、ちょっとほっとした。編集作業は、本の原稿を書くよりも、精神的には楽だ。無心で黙々と集中して頑張っていけば、何とかなる。でも、本を書く作業は、僕の場合、無心で黙々と集中して頑張るだけでは、どうにもならない部分がある。

暗闇の中で、これか? 違う、そうじゃない、じゃあそれか? それともあれか? と、延々と手探りしてるような感覚。これでいい、と判断できるのは、自分自身だけ。あってないような正解を探して、ひたすら喘いでいる。

明日からは、またその只中に戻る。頑張るだけではどうにもならないけど、でも、頑張るしかない。

「旅の時間」を書く

僕が今書いているのは、今年初めにザンスカールを旅した体験についての本だ。ガイドブックや雑誌向けの短い写真紀行とかではなく、一冊の本としての旅行記を書くのは、2009年に初版を出した「ラダックの風息」以来になる。ただ、同じ旅行記というジャンルでも、あの時と今とでは、書き方にかなりの違いがあると感じている。

ラダックの風息」の時は、足かけ約1年半という長い期間の中で経験した、きらっきらに輝く宝石のような出来事を拾い集め、一番良い形で輝くようにカットして磨き上げ、季節の移ろいに合わせて綺麗に並べて仕上げる、という感じの書き方だった。少なくとも、僕の中では。

今回の本はそれとは対照的で、準備期間を含めて約4週間という短い旅の経験を、日記形式のような形で書き進めている。毎日何かすごいことが起こるわけではもちろんなく、どちらかというと地味な展開の日の方が多い。きらっきらの宝石のような出来事もいくつか経験したが、それらの宝石は、どうということのない旅の時間の流れの中に、半ば埋もれている。

きらっきらの宝石の輝きをシンプルに活かすなら、「風息」の書き方でいい。あの本はそれでよかった。ただ、本の中に流れる旅の時間に読者を引き摺り込むのであれば、今回の本のテーマの選び方と書き方の方が合っている。興奮も、喜びも、安堵も、焦りも、疲労も、一行々々にみっしりと詰まっている。逆に言えば、本の中に流れる旅の時間をいかにうまく伝えるかということに、今回は非常に心を砕いている。ほんのちょっとした間の取り方や、書くべきことをどんなさじ加減で書くか、書かなくても大丈夫なことをどうやって決めて省いていくか。今までの書き仕事では経験したことのない挑戦をさせてもらっているように思う。

あえてたとえるなら、大きなモザイク画を作っているような感覚だ。大小さまざまにきらめく断片を拾い集め、一つひとつ丹念に並べて敷き詰めていって、最後に、無数の小さなきらめきの集合体である一つのモザイク画に仕上げる。その時に立ち現れるはずのイメージが、ここまで書き進めるうちに、ようやく、うっすらと見えてきたような気がする。