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振れ戻った針

昨日深夜にバンコクを発ち、今朝、東京に戻ってきた。

毎年この時期に約4週間、取材でタイを回るのも、今年で4回目。これだけ回数を重ねてくると、どこの街も何度か訪れているので、少しは土地勘がついてくる。取材先を効率良く回る道順や、真っ当な宿や安い食堂がある場所も。それでも、乾季の入口の時期とはいえ、あのぎらぎらした陽射しと肌にまとわりつく湿気の中を、毎日歩いたり自転車をこいだりして街を回るのは、体力的にも気力的にも、かなりきつかった。歩き回るうちに汗すら出なくなった首筋や手足の肌には、ざらざらと塩の結晶が噴き出してくる。日に三度、英語の看板もないような簡素な食堂や屋台でありつくタイ料理と、夜、宿の部屋で飲むチャーンビールの500ml缶が、気持の支えだった。

ただ、今になってふと思うのは、8月から9月にかけて旅した南東アラスカの旅で、あまりにも自分の予想を上回って振り切れてしまっていた針が、汗と塩と埃にまみれてタイを旅して回っているうちに、少し振れ戻ってきたような気がする、ということだ。忘れたわけではないけれど、アラスカとは何もかも違いすぎる世界を旅したことで、自分の中での受け止め方に少し余裕が生じたというか。このあたり、うまく言えないのだが。

とりあえず、ぎらつく陽射しと湿気から解放されて、身体がほっとしているのは間違いない。少し身体を休めて、またがんばります。いろいろ。

森の中の孤独

翻訳できない世界のことば」という本がある、と教えてもらった。世界のいろんな国や地域には、他の言語に翻訳しようと思ってもひとことでは言い表せない、その言語特有の表現がたくさんある。これはそういう世界各国の言葉を集めた本なのだという。本屋の店頭で見かけて、ぱらぱらめくってみると、なるほど、確かに面白い。

ドイツには、「Waldeinsamkeit」という言葉があるそうだ。この本によると「森の中で一人、自然と交流する時の、ゆったりとした孤独感」というニュアンスの言葉なのだという。森の中の孤独。数週間前、南東アラスカの島で過ごした数日間は、「Waldeinsamkeit」だったのだろうか。

あの日々の中で僕が感じていたのは、孤独、という感覚とはちょっと違っていた。無数の命がひっそりと息づく森で、目には見えない関係性のようなものを感じながら、僕は不思議なほど満たされ、穏やかな気持でいた。今まで経験したことのない感覚だった。あれはいったい、何だったのだろう……。

振れ幅

昨日はラダック写真展会場の綱島ポイントウェザーで、「ラダック・オフ会」という初の試みだった。

今回、事前に目立つ形で告知しすぎると会場がパンクしてしまうかも……と思ったので、事前の告知はFacebookとTwitterを中心にして、あまりおおっぴらにはやらないようにしていた。たぶん27、8人くらいかな、それでも会場のキャパ的には結構きつきつかな……と思っていたら、いざ始まってみると、40人近くにも達してしまった。こんなに大勢の方々に集まっていただけたのは、本当にありがたいことだったが……主催者側としては、完全に状況を読み違えてしまった。会場はずっと大混雑状態で、僕自身も受付などに忙殺され、参加者の方々とあまりゆっくり話ができなかったので、そうしたことにがっかりした人もいたかもしれない。読みが甘かった……反省している。

畳や床がほとんど見えないくらい、わいわいとにぎわう会場を、入口近くで缶ビールをすすりながら眺めていると、何だか不思議な気分になった。今の僕は、こんな風にして大勢の人たちと接点と持たせていただいて、みんなとの関わりの中にいさせてもらっている。でも、ほんの3週間前、僕はアラスカの無人島の小屋にいたのだ。他に人間は誰一人おらず、周囲の深い森にいるのは、海鳥とハクトウワシとシカとクマだけだった。

あまりの振れ幅の大きさに、我ながら戸惑っている。

かけ違えたボタン

アラスカから日本に戻ってきて10日ほど経ったが、とにかくやたらと眠い。ずっと眠気に襲われている気がする。

ただ、その眠気に従って横になってみても、浅い眠りのまま、割とすぐに目が覚めてしまう。ぐっすり熟睡、という感じにはならない。それで起きて、しばらくすると、また眠くなる。横になる。でも浅いまま、すぐ目が覚める。

アラスカの小屋で一人ぼっちだった時、夜の9時を過ぎて太陽の光が完全に消え去ると、あたりは真の闇に包まれた。窓から外を見ると、海の向こうの遥か彼方に、シトカの街の灯がほんのかすかに見えていた。波の音、風に揺れる梢の音、虫の声。エアマットを敷いた板張りのベッドで、僕は寝袋にくるまっていた。不思議なくらい、ぐっすりと、よく眠れた。孤独も不安も、何も感じなかった。ただ、静寂の中に身を浸していることが心地良かった。

あの島から戻ってくる時に、どこかで、ボタンをかけ違えてしまったのかもしれない。どっちが間違っているのかも、僕にはわからないけれど。

森と氷河と鯨


昨日の午後、予定通りに南東アラスカから日本に戻ってきた。この間のラダックでの滞在に比べれば、期間も半分だし、あっという間だった気もするのだが、ラダックから戻ってきた時以上に、浦島感というか、周囲の環境にうまく馴染めなくて、ぼーっとしてしまっている。日本に、というより、人間のいる環境に。

南東アラスカでの日々は……短い間に、本当にいろんな出来事があった。誰かに話しても、すぐには信じてもらえないような出来事も。氷河の青い氷。苔の繁茂する深い森。ハクトウワシのまなざし。無邪気にじゃれあうクマ。ボートを取り巻くザトウクジラの群れ……。

あまりにも気高く、美しいものを、僕は、目にしすぎてしまったのかもしれない。