あれから十年

昨日の夜は、割と大きな地震があった。震源地は福島県沖で、福島や宮城では震度6強を記録し、あちこちで被害が出たらしい。

東京も震度4くらいで、西荻に越してきて以来、一番大きな揺れを感じた地震だった。ものが落下するとかは特になかったけれど、揺れている時間がいつもより長いなあ、とは思った。まあ、三鷹に住んでいた十年余りはマンションの1階で、今の西荻の部屋は4階建ての3階だから、同じ震度でも揺れは大きめに感じていると思う。

三鷹に住んでいた、2011年3月11日。あの時、部屋で感じた揺れも、机の上のカップからコーヒーがこぼれるくらい大きかったし、何より揺れの続く時間がいつになく長かったことに、不安を感じた。昨日の地震で思い出したのは、あの十年前の地震の、揺れていた時間の長さだ。明らかに普通じゃないぞ、という感触があった。それからのてんやわんやの日々は、言うに及ばず。

あれから、もうすぐ十年。地球が、ほんのちょっとでも気まぐれを起こせば、いつでもまたああなりうるということを、すっかり思い出させられた気がする。

人間は、ほんの芥子粒のような存在でしかないのかもしれないけれど、油断せず、過信せず、できる範囲で、精一杯、生きていこう。

最初の読者

昨日は都心で打ち合わせ。出版社の編集者さんと、今年の夏に出す予定の本について。

本は、人によっていろいろな書き進め方があると思うが、僕の場合、書き上げた草稿に最初に目を通してもらうのは、担当の編集者さんになる。もちろん、草稿を読んでもらった後に修正が必要な部分をあれこれ相談して、推敲とリライトで文章を仕上げていくのだが、僕以外の人間で新しい本に目を通す最初の読者であることには変わりない。

だからいつも、草稿を書き上げた後の打ち合わせでは、どんな感想や意見を言われるのか、実はめちゃくちゃ緊張する。これまでそれなりの数の本を書いてきているのに、だ。自信がないというか、小心者というか、何というか……。自分なりの信念を込めて、全力を傾けて書いてきたからこそ、かえって怖くなるのかもしれない。

今回の本の草稿を読んだ担当編集さんの感想は……ここでは書くのを止めておこう。これから丁寧に、手を抜かずに編集して、きちんと本に仕上げてから、読者の方々一人ひとりに、委ねたいと思う。

オーバーヒート

今週、水曜の朝くらいから、ちょっと調子がおかしくなった。

半年に一度くらい、たまになる症状なのだが、眼精疲労が限度を超えて、前頭葉がどろりと重く痺れたような感じになり、まったく作業に集中できなくなってしまった。原因は、仕事で根を詰めすぎて過集中の状態が続いて、それを回復させるのに見合う睡眠時間が十分取れていなかったからだと思う。

この状態になってしまうと、本の原稿のリライト作業などは全然無理なので、あきらめて、ベッドに横になってひたすら寝ることにした。眠れない時間でも、目を閉じて横になって、とにかく目と脳を休める。それだけでも、回復度合はずいぶんと違う。

どっぷり眠り続けたおかげで、木曜はだいぶ持ち直し、日中は理髪店まで歩いて出かけられるくらいにまでなった。今日はもう、すっかり回復。目も脳もしゃっきりリフレッシュしていて、原稿のリライトもすいすいはかどった。

若い頃は、こんな風に目と脳がオーバーヒートするまでの限界値も、もっとずっと高くて、無理して粘れていたような気もする。まあでも、それできっちり結果を出せていたかと言うと、それほどでもない気もする(苦笑)。なので、おっさんとして身の程をわきまえつつ、これからも休み休みやっていこうと思う。

東京五輪

2020年の東京五輪には、もともと、まったく興味がなかった。各国の代表選手や関係者の方々には悪いけれど。

僕の自宅にテレビはないし、観戦チケットに応募するという発想も1ミリもなかったし、開催期間中は東京を離れて、ラダックかどこかに滞在するつもりでいた。昨年来のコロナ禍で、東京五輪も、僕の海外渡航も、延期になってしまったわけだが。

僕の海外取材の仕事が復活するのは、どんなに早くても今年の暮れ以降になると予測しているのだが、東京五輪の主要関係者はまだ、今年の夏に予定通り大会を開催すると息巻いているという。東京はいまだに緊急事態宣言の真っ只中で、入院したくてもできない罹患者が何千人もいて、医療従事者も一般市民も疲弊し切っているというのに。

この状況下で、おそらく全部で数万人以上になる世界各国の代表選手団やその関係者を国内に招き入れ、コロナ対策を講じながら大会を開催するのは、どう考えても無理だ。そのために必要な医療従事者の人員を確保できるわけがない。各地の病院は慢性的に人手不足だし、大会と同じ時期には、全国各地でワクチン接種も実施されているはずだし。

そもそも、裏金と賄賂で誘致してきた五輪だった。新国立競技場はコンペの段階からグダグダだったし、大会エンブレムのデザインはパクリだったし、もっともコンパクトな大会になると謳われていた予算は、3兆円にまで膨れ上がった。そして昨年のコロナ禍で、何の根拠もないまま、とりあえずの1年延期。今、世論調査で国民の8割が中止か延期を望んでいる中、日本政府も東京都もIOCも、中止の言い出しっぺになって責任を負いたくないので、だんまりを決め込んでいる。

今は、世界中の人々が、とにかくコロナ禍を生き延びて、自分たちの生活を守り抜くために、ただただ必死にもがいているのだ。各国の代表選手や関係者の方々には悪いけれど、東京五輪は、今のこの状況でやるべきことでは、まったくないと思う。それよりもずっと大切な、社会を挙げて取り組まなければならないことが、たくさんあるはずだ。

推すか敲くか

今年出す予定の新しい本。草稿は三週間ほど前に書き終わり、今は推敲とリライトの作業に入っている。

スケジュールが許すなら、原稿の手直しには時間を使えるだけ使いたいのだが、もちろんそういうわけにはいかない。今回の本の場合、二月末までには原稿を仕上げて、編集者さんとデザイナーさんの手に委ねなければならない。あと一カ月。ほかの仕事もこまごまと入ってきているし、時間の猶予はもうあまりない。

そもそも今回の原稿、はたして面白いのかどうか、それすら確信が持てなくてぐらぐらしてるのだが、どうなんだろう。この自信の持てなさかげんは、最初の単著の本を書いた時から、まったく進歩していない(苦笑)。まあ、一生こんな感じなのだろうな。

というわけで、もうしばらく、推すか敲くかで悩む日々が続きそうである。