二つの居場所

朝から代々木公園へ。アースデイ東京に出展しているジュレーラダックのブースで物販を手伝う。何人ものお客さんに声をかけていただいて、ありがたいかぎり。まったく初対面の人なのに、相手は自分のことをかなりいろいろ知っているという状況には、いつまで経っても慣れないのだが(苦笑)。

お客さんの一人に、こんなことを訊かれた。

「そんなにラダックのことが好きになった後に日本に帰ってきて、嫌になってしまったりしませんでしたか?」

正直言って、全然嫌になったりしなかった。

ラダックと日本の間を行き来しはじめた頃は、何から何まで違う二つの社会のギャップに戸惑ったりもしたのだが、時間が過ぎ、ラダックのことを知れば知るほど、日本のよさも改めて感じるようになった。どちらの社会にも、いい面もあれば、悪い面もある。見境のないグローバリゼーションはもちろん支持したくはないが、さりとて懐古主義的なローカリゼーションを安易に盲信するつもりもない。要は、バランスの問題なのだと思う。

ラダックのシンプルな社会では、人と人とを互いに結びつける強い絆が、とてもわかりやすい形で存在する。でも、そうした絆は、日本にも、世界のどこにでも、何らかの形で必ず存在しているのだ。どこの国だとか、そんなことは関係ない。その絆を、大切にできる人間になれるかどうか。自分はまだまだだと思う(本当に未熟者だ‥‥)けど、少しでも納得のいく生き方をできるようになれたら、と思う。

ラダックも、日本も、どちらも僕にとっての居場所。

ハズレくじ

午後、雨が吹き降る中、渋谷へ。カフェ・マメヒコでサンドイッチとコーヒーを食べて腹ごしらえをし、映画を観る。

今日観たのは、「ブンミおじさんの森」という映画。去年のカンヌ映画祭でパルムドールを獲った作品ということで、割と期待していたのだが‥‥。ひっさびさに、ハズレくじを引いた気分。映像的には美しい部分も多々あるものの、とにかく唐突で意味不明な要素が多すぎて、それがエンディングまで何一つ解き明かされない。登場人物たちも、ろくに感情移入ができないほど描き込みが浅い。これを高尚な芸術作品として評価する人もいるのかもしれないが、僕にとっては、ただひたすら困惑する映画でしかなかった。

週末、渋谷のど真ん中にある映画館なのに、あれだけガラガラに空いているという段階で、何かヤバいということに気づくべきだった‥‥(苦笑)。

ぱにゃにゃん

終日、部屋で仕事。原稿整理作業を淡々と進める。

昨日あたりから、仕事の合間の気晴らしに楽しませてもらっているのが、ラオス語。Twitterで@laos5というアカウントを知ってから、そのめくるめく半濁音ユルユルワールドに、すっかりはまってしまいつつある。

たとえば、「がんばる」は「ぱにゃにゃん」、「ありがとうございます」は「こぷちゃいらいらーい」、「なんで」は「ぺんにゃん」、「ゆっくりあせらないで」は「こいぺんこいぱい」。ダメだ、腹筋がよじれそう‥‥(笑)。

何か、勉強したくなってきた、ラオス語。ぱにゃにゃん。

戦友

午後、笹塚で打ち合わせ。夏に出す予定の本のDTP作業をお願いする知人に会う。

その知人の方とは、知り合ってかれこれ十年も経つ。当時の僕は、新しいジャンルの雑誌の創刊に携わっていて、何から何まで手探りの無我夢中な状態で、必死になって企画を立ち上げようとしていた。その頃に一緒にやっていたデザイナーやDTPスタッフの方々とは、いわば「戦友」とでも呼べるような連帯感を今も感じている。

その雑誌の編集業務から離れてずいぶん経つが、今でも時々、自分が関わる書籍の企画で、戦友の方々の力を借りることがある。そういうつながりが生まれるのも、フリーランスの仕事の面白さかな、と思う。

淡々と

夕方、原宿へ。以前から打診のあった、編集の仕事についての打ち合わせ。

今回引き受けた仕事は、海外のある専門書を翻訳会社が日本語に訳したテキストを、きちんとした形に原稿整理するというもの。書店で販売される商品にはならないので多少は気が楽だが、それでも、原書で387ページほどのボリュームがあるので、ラクな仕事とは言えない。ほかにも、これから佳境に突入する本の編集作業もあるし‥‥。

こういった編集作業というやつは、心を無にして、淡々と進めていくのが一番いい。編集者の仕事なんて、世間的には華やかに思われているかもしれないが、本来、地味で単調な作業のくりかえしなのだ。さて、やりますか、淡々と。