単独者の「血」

この間、押し入れの中にあった本や雑誌を処分するために整理していたら、懐かしいものが出てきた。雑誌「Switch」1994年7月号、特集・星野道夫

当時、僕は「Switch」の編集部でアルバイトをしていて、この特集のために収録された、湯川豊さんによる星野道夫さんへのインタビューのテープ起こしを担当した。まだ大学にも在籍していた僕は、編集のイロハもろくに知らず、テープ起こしもほとんど初めてといっていいほどのペーペーだった。かなり長大なインタビューを分担して作業していたので、テープ起こしの内容は断片的にしか憶えていない。

それでも、湯川さんが星野さんと植村直己さんを比較して話をしていた時のくだりは、今でもはっきりと憶えている。植村さんは、生き物の影さえない大氷原の中で、テントを張ってたった一人でいる時、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだという。誰もいないはるか遠くへ、一人で行く。そのことが「嬉しくて嬉しくて仕方がない」のは、植村さんや星野さんに共通する単独者の「血」のようなものなのではないか、と湯川さんは話していた。

当時の僕には、星野さんや植村さんのそういう「血」の話は、あまりにも自分とかけ離れているように思えて、ちゃんとは理解できなかった。でも、ここ数年、ラダックで積み重ねてきた経験で、その「嬉しくて嬉しくて仕方がない」気持が、少しわかったような気がする。一応、二、三度は山の中で死にかけたし(苦笑)。

遠くへ、一人で。そうでなければ感じられない、自分の弱さ、ちっぽけさ。僕にも、ちょびっとはそういう「血」が流れているのだろうか。

「知らなかった」でいいの?

チベット本土で今、僧侶をはじめとするチベット人たちによる焼身自殺が相次いでいる。今年三月、アバのキルティ・ゴンパの若い僧侶が焼身自殺したのを皮切りに、アバやカンゼで、若い僧侶や尼僧、一般のチベット人たちが、次々と焼身自殺を遂げているのだ。今日、デリーの中国大使館前で焼身自殺を試みた男性を含めると、その数、なんと12人。異常としか言いようがない。

自らの命と引き換えに彼らが訴えているものは、みな同じ。50年前から続いている、中国当局がチベット人とチベット仏教に対して行っている理不尽な弾圧をやめるように、中国に、そして国際社会に対して訴えかけているのだ。

焼身自殺という手段自体は、決して称賛すべきやり方ではない、と僕は思う。でも、そういう最後の手段を選ばざるを得ないほど、チベット本土の人々はあらゆる面で追い詰められている。自由も、宗教も、文化も、誇りも‥‥心そのものまで、無惨に踏みにじられて。そして、焼身自殺でもしなければ振り向いてもらえないほど、国際社会の人々の関心が薄いということも、彼らがそういう手段を選んでしまう一因となっている。

三年前にチベットで起こった騒乱の時、六本木の抗議デモに集まった何千人もの人々は、もう、チベットのことはすっかり忘れてしまったのだろうか? あれからチベットでは、何も変わっていないし、何も終わっていない。むしろ、状況はますます悪くなっているというのに。

今回の焼身自殺のことも、「へー、知らなかった」という人が日本では大半なのかもしれない。でも、その無関心こそが、チベットで次々に焼身自殺が繰り返される原因になっているのだ。「知らなかった」で済ませていいわけがない。

一人でも多くの人に、チベットの人々が置かれている悲惨な状況を知ってもらうこと。それが、今の僕たちがまずやらなければならないことだと思う。

高地トレーニング

ひさしぶりに、自転車で遠乗りすることにした。いつもの、野川公園〜野川〜二子玉川〜多摩川のコース。この間乗ったのは、桜が咲いていた頃だったから、およそ半年ぶりか。

空は曇りがちでいまいちパッとしなかったけど、暑くもなく、寒くもなく、風もなくて、自転車に乗るにはいい天気。多摩川の河川敷で、ものすごい数の人たちがバーベキューに興じている。多摩サイは自転車で混雑しているかな‥‥と思っていたのだが、恐れていたほどでもなく、ほっとした。

春先に同じコースを走った時には、終盤に多少足がバテたのだが、今回はまったくのノーダメージ。たぶん、夏に標高3500メートルのラダックでさんざん歩き回ってたから、それが高地トレーニングの効果として現れているのだろう。ヘモグロビンとか、下界に下りても90日間くらいは維持されるらしいし。

シャーッ、と無心に自転車を走らせるのは、ほんと、いい気分転換になる。これから始まる本の執筆の間にも、何度か気晴らしに乗ろうかと思う。

新米の味

先月取り組んでいた案件の原稿、すべて納品完了。今月に入る地方取材のスケジュール調整などしつつ、部屋でのんびりと過ごす。

昨日、岡山の実家の母から米と野菜が送られてきたので、ひさびさに本腰を入れて自炊しようと思い立つ。一カ月前に帰国してからもちょくちょく家で食事を作ってはいたのだが、たいていうどんやパスタ、あとはインスタントラーメンといった感じで、結構手を抜いていたので。

足の早いニラを優先すべく、おかずは得意の豚キムチ。ひさしぶりに作ったけれど、おいしくできた。びっくりしたのは、新米のごはんの味。実家から送られてきたのは、今年の新米を一昨日に精米したばかりのものだったのだが、ごはん鍋のCO-KAMADOで炊き上がったごはんの、その絵に描いたようなふっくら、つやつやっぷりに、「うわ〜」と思わず声が出てしまった。最高の状態の米を鍋で炊くと、こんなにもおいしくなるのか‥‥。

せっかくの新米、これからもまじめに自炊して、おいしくいただこう。

本を売り、本を買う

今日は、一念発起。昨日のエントリーにも書いた、置き場のなくなった本や雑誌の処分に着手。

本棚や押し入れの中から、いらなくなった本を選り分けていく。愛着のある本も多いのだが、その一方で、仕事の資料として買ったり送ってこられたりした後、その役割を終えた本も少なからずある。そういう不要なものをまとめていくと、ダンボール箱二つ分になった。うちの近所、五日市街道沿いにあるブックオフまで、ずっしり重い箱を抱えて二往復。ひさびさの肉体労働に、腕の筋肉がぷるぷるする(笑)。買取価格は思ってたよりもよくて、2800円ちょっと。スライド書棚も数十冊分のスペースが空いたので、ほっとひと息。

その後、夕方に新宿で友人と会う約束があって、出かける。新宿に着いて、待ち合わせ時間までちょっと余裕があったので、ジュンク堂にふらっと入って‥‥あれ? どうして新しい本を二冊も手に‥‥?

本を売った金で、本を買う。これじゃ、いつまで経っても抜け出せないな(苦笑)。