ソーシャルメディアのフワフワ感

終日、部屋で仕事。先週取材した分の原稿も、どうにか形になってきた。明日には推敲して納品できそう。

—–

ソーシャルメディアというものが世の中に広まってから、しばらく経つ。TwitterやFacebookは、今や個人だけでなく、どこの企業も当然のように使っている。Facebookの模倣に終始しているmixiや早くもしぼみかけてるGoogle+はともかく(苦笑)、ソーシャルメディアは今の社会に不可欠なインフラになったと思う。

僕自身、このブログとTwitterの個人アカウントのほかに、ラダック関係のブログとTwitterとFacebookページを運用している。ほとんど放置気味だけど、mixiもGoogle+もアカウントがある。一応、昔はIT系雑誌の編集者だったので、とりあえずひと通りは手を出しているわけだが(笑)。確かに、自宅で仕事をしながらでも、友人たちと他愛のないやりとりができるのは便利だし、ラダックつながりで、見知らぬ人と思わぬコミュニケーションが生まれることもある。自分の今の生活にも、少なからず影響しているなあと思う。

ただ‥‥どうなんだろう? TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアで発する言葉は、とてもフワフワした、心許ないものに感じられる。風に吹かれて飛んでいく、タンポポの綿毛みたいに。手軽なコミュニケーションや情報の拡散には便利だけど、しっかりと届けたい強い言葉を残すには、頼りない感じがしてしまう。ブログは、過去記事がわかりやすい形で残るという点でいくぶんましだけど、それでも軽い存在と感じられる時がしばしばある。

ずっと残したい言葉を、確かな形で届ける。紙の本を作ることの意味は、そういうところにあるのかもしれない、とふと思った。

芋煮

風邪が治ったのか、それともバカで気付いてないだけなのかわからないが、昨日よりは体調がいい。喉もいがらっぽくないし、鼻水も出ないし。まだ身体はイマイチしゃんとしないが、部屋に籠って仕事してる分には問題ない(苦笑)。

食欲も戻ってきたし、しっかり自炊して栄養補給しようと思い立つ。実家から送られてきた里芋やごぼうがあるので、ひさしぶりに芋煮を作ることにした。足りない食材をスーパーに買いに行くと、高いな、牛肉‥‥。国産牛はとても買えないので、オージービーフを、レシピの半分の量だけ入手。あとはネギと、こんにゃくと、ブナしめじ。

里芋の皮を剥くのはメンドクサイけど、それさえ終われば、芋煮を作るのは簡単。泡が吹きこぼれないように気をつけながら里芋を茹で、ごぼう、こんにゃく、牛肉、ブナしめじを投入し、灰汁をすくい、醤油と酒と砂糖を結構どっさり入れる。里芋が柔らかくなるまでコトコト煮て、ネギを入れて少し煮れば完成。

寸胴でたっぷり作ったので、今日も明日も芋煮に決定。まあいいか、うまいし。

バカは風邪をひかない

昨日の夜は12時間くらい寝て、起きたのは昼過ぎ。外は激しい雨。何だか喉がいがらっぽく、鼻水が出る。どうやら風邪をひいてしまったらしい。

まあ、大阪やら静岡やら、三日連続で朝イチ取材をして、しかも取材先が病院や介護施設だったから、どこかでもらってきてしまったのだろう。うがいと手洗いは欠かさないようにしていたのだが‥‥。とりあえず、今抱えている原稿を片付けるまではうっかり倒れることもできないので、あったかくしつつ、気合を入れて仕事に取り組む。

ところで、「バカは風邪をひかない」とよく言われるけど、何でかなと思ってネットで調べてみたら、「バカは風邪をひいているのも気付かないほど鈍いから」という意味のことわざなんだとか。でも、風邪をひいても気付かないうちに治ってしまうのなら、それはそれで人生で多少得してるような気がしないでもない。

というわけで、今はバカになりたい。

ジャケ買いフェア

早朝に家を出て、七時過ぎの新幹線で静岡へ。どうにかこうにか取材をやり遂げる。静岡駅まで戻った後、近くの寿司屋で980円の寿司ランチとビールを注文し、一人打ち上げ。朝イチ取材三連チャン、きつかった‥‥。ま、これから土日返上で原稿を超特急で仕上げなければならないんだけど。

都内まで戻って自宅に向かう途中、新宿で途中下車して、本屋をぶらつく。ひさしぶりに紀伊国屋書店の新宿本店に入ると、二階で「ジャケ買いフェア」なるものをやっている。面白そうだなと思って棚を見ていると、なんと「ラダックの風息」が、面出しされてどーんと大量に置かれている。意外な発見に、何だかとても嬉しくなった。

考えてみれば、かれこれ二年半も前に出た本なのに、書店員さんがその存在を憶えていて、こういったフェアのために再び取り寄せてくれているというのは、本当にありがたいことだ。だって、まさか在庫データベースを「ジャケ買い」で検索して見つけているわけではないだろうし(笑)。そんな風にして、いろんな人の記憶の片隅に残る本は幸せだなと思う。

あ、でも、ジャケだけじゃなくて、中身もそんなに悪くないよ(笑)。

幸せな仕事のあり方

午前中、新宿で取材。明日はまた早朝から、新幹線で静岡に移動しての取材。こういう形での三連チャンは、かなりきつい。まあ、やるしかないか。

—–

昨日あたりから、「フリーランスになって半年経ってこの世で一人ぼっちになったことに気付いて究極に失敗した」という内容のブログ記事とそれに対する反応が、ネット上を駆け巡っている。それらについて思うことをつらつらと。

僕は完全にフリーランスになってから十年くらい経つが、失敗したと思ったことは一度もない。収入が不安定なのは問題だが(苦笑)、自分がやりたいと思える仕事を選んで取り組めるのは、フリーランスならでは。やりたくない仕事をやらなくていいほど、精神衛生上好ましいことはない。今の仕事の形は、自分に一番合っていると思う。

思うに、先のブログ記事の人が悩んでいるのは、自分の仕事が誰かの役に立っているのかどうか、そこに意味があるのかどうか、実感が持てないでいることも原因かなと思う(相手の顔が見えにくいWeb関連の仕事では特にありがち)。自分の生活を維持するためだけに仕事をしていると、時に、そこに意味を見出すのが難しくなる。でも、幸せな仕事とは、誰かのために何かをしてあげた時、その対価とともに「気持」を受け取れる仕事ではないだろうか。

僕自身、雑誌から依頼された仕事が中心だった頃は、そういう「気持」のやりとりを実感できずにいた。でも、自分のすべてを賭して「ラダックの風息」を書いた時、メールや手紙などを通じて、たくさんの読者の方々からの「気持」を受け取ることができた。自分は、読者の方々のために本を作っている。その手応えを本当の意味で感じられたのは、あの本の仕事が初めてだった。

お金や自己満足のためでなく、誰かのために何かをしてあげて、時にはお金以上の「気持」をやりとりできる仕事。別にクリエイティブワークでなくても、そういう幸せな仕事のあり方は見つけられるはずだ。フリーランスがどうとか言う前に、まずはそこから考えてみるべきだと思う。