帰省の日々

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年末年始は、岡山にある実家に帰省していた。冬を岡山で過ごすのは本当にひさしぶり。うちの実家はかなり古い建物で、部屋の中でも夜はかなり冷え込む。母と妹は僕をどこで寝させるかで相談したらしいのだが、妹が「お兄ちゃん、冬のラダックでも洞窟で寝るような人だから、どこでもいいんじゃない」と(苦笑)。どんな扱いだ。

帰省中、妹の一家と一緒の時は、例によって姪っ子と甥っ子のマンマークを受けて、かなり大変だった。それでも、遅めのクリスマスプレゼントやお年玉は結構好評だったようで、ちょっとほっとしたのだが。去年の秋に生まれた二人目の甥っ子は、この時期にしては横綱級、ぷっくぷくの健康優良児。元気に育っているようで、こちらもほっとした。

妹の一家がいない間は、母と二人で、黙々とカニ鍋を食べたり、元旦から十数キロも歩いて初詣をしたり、こたつにテレビでごろごろ過ごしたり‥‥。特別なことは何もしなかったのだが、母が「いい正月だった」と言っていたので、こういう過ごし方も悪くなかったかな、と思う。

そんな帰省の日々。そしてまた日常が始まる。

まだまだやれる

2012年、最後のブログ更新。

毎年同じことを言ってるようだが、今年もいろいろあった一年だった。仕事の面では、前の年からじっくり準備していた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」をようやく上梓。ラジオに何度も出演させてもらったり、パタゴニア大崎店で大規模なスライドトークイベントをさせてもらったり、それなりにいろいろやれたと思う。夏にひさしぶりに訪れたスピティで、たくさんの村を歩いて訪ねることができたのは得難い体験だったし、母の付き添いで訪れたアラスカでは、これからの自分が目指すべきもののヒントも得られた。

でも、そうした出来事をふりかえって感じるのは、自分はまだまだやれる、ということ。その時その時で力を出し惜しみしていたわけではない。しかしこれからは、自分が一番力を使うべき分野に、もっと集約するように心がけなければならないな、と思う。仕事を選り好みするのとはちょっと違うが、一番大切にすべきものがおろそかにならないよう、うまくバランスを取っていきたい。

そう、僕は、まだまだやれる。

仕事納め

午後、自転車に乗って小金井へ。鉛色の空の下、空気はとことん冷え切っていて、自転車をこげばこぐほど、指先がぴりぴりとかじかんでくる。

昨日までにチェックを終えた初校のゲラを中村さんにお渡しし、打ち合わせの後、きょとんとしてたナロにも挨拶して(笑)、帰路につく。今にも雨が降り出しそうだったが、どうやら濡れずに家に着くことができた。

これで、今年は仕事納め。今回の本づくりの作業自体は年が明けてからもしばらく続くので、あんまり仕事が納まったような気分にもなれないのだが、今のところ特に大きなトラブルや手戻りもなく順調に進行しているので、とりあえずはひと安心。心穏やかに年を越せそうだ。

それにしても、寒いな。明日は一日、本を読んで過ごそう。

校了したら焼肉

昨日、今日と、ちょっと根を詰めた作業。編集作業を担当している書籍の初校の、関係各所からの赤字の取りまとめ。

このまま順調に進行すれば、来月の下旬にはこの書籍も校了して、二月中旬には店頭に並ぶことになる。校了‥‥何て甘美な響き。ここ最近、書籍の仕事が校了を迎えると、自分的打ち上げで、吉祥寺の李朝園に焼肉を食べに行くのが恒例になっている。カルビ、ミノ、タン塩、特上リブロース。ごくり。ゆめのよーだ。なので、今回も必ず行きたい。

俺、この本が校了したら、焼肉食べに行くんだ‥‥って、何のフラグだ(笑)。

一人で生きるという力

昨日の深夜は、J-WAVEで「沢木耕太郎 MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ 2012」を聴いた。年に一度、クリスマスの夜に放送される恒例の番組。沢木さんの飾り気のない穏やかな言葉と、それに符合するような渋い選曲を今年も楽しませてもらった。

番組の最後に沢木さんが口にした言葉がある。「一人で生きるという力を身につけるために、人生から降りずに何かをし続ける」。沢木さんのお父様が、ご高齢になられても辞書を引きながら英語の本を読もうとされていた痕跡を見つけたというエピソードからの言葉だったのだが、心に沁みた。

人は、誰かと関わり続けながら生きている。だからといって、一人で生きる力がなくてもいい、というわけではない。一人でも生きられるけど、集団や社会に属している。一人でも生きられるけど、他の人と支え合っている。一人の人間としての生きる力、逞しさを高めるために、常に何かにトライし続けることの大切さ。沢木さんが言いたかったのはそういうことだったのかな、と僕は思った。

一人で生きるという力。僕がその大切さをまざまざと思い知らされたのは、ラダックで過ごした日々でのことだった。少数民族ならではの小さくて緊密なコミュニティで、ラダックの人々は互いに支え合って生きている。でも、これ以上ないほど苛酷な自然の中で暮らす彼ら一人ひとりの「生きる力」の強さは、僕の想像をはるかに上回る、とてつもないものだったのだ。それはいささかショックだったし、自分をさらに高めよう、少しずつでも一人でできることを増やしていこう、と思い直すきっかけにもなった。

で、今は‥‥どうなんだろ(苦笑)。とりあえず、自炊くらいはできるようになったけど。まだまだだな。