取材ノート

昼から南大沢で取材。家を出た時はやたら暑かったけど、現場に着いたとたん、雷鳴とにわか雨。取材を終えて外に出る頃には、嘘のようにまた晴れ上がっていた。

三月末に買って使いはじめた取材ノートを、昨日までの取材で全ページ使い切ってしまった。結構分厚いノートだったのに‥‥それだけ先月と今月に取材が集中してたということか。今、ぱらぱらめくって読み返してみると、ひどい殴り書きの連続で、僕以外の人には暗号文にしか見えないと思う(笑)。

最近は、取材の時に紙のノートではなく、ノートパソコンを使ってメモを取るライターの方も多いそうだ。人それぞれ、一番やりやすい方法で取材すればいいと思うけど、僕は昨日も書いたようにクラシックなので(笑)、未だに紙のノート派だし、たぶんこれからもずっとそうだと思う。理由は‥‥慣れているからというのが一番だけど、取材の時に相手と自分の間にパソコンを置いてキーボードをパチバチ叩いていると、それが相手との障壁になってしまいそうな気がして。あと、紙のノートは臨機応変に融通が利く。急に歩きながら取材することになってもメモが取れる。フリーズやバッテリー切れの心配もないし。

新しい取材ノートは、さて、何カ月もつだろうか。

取材行脚

午前中から、南大沢で取材。終わった後すぐに電車に乗り、橋本から八王子を経由して豊田へ。駅前でせかせかとハンバーガーを食べ、午後の取材先に向かう。午前も午後もボリュームの大きな取材だったので、夕方に三鷹に帰り着く頃には、かなりヘトヘト。何だかんだで、西東京をぐるっと一周してるし(苦笑)。

取材行脚の移動中、担当さんから、依頼元と関わりのあるほかのライターの方々の話を聞かされて、いろんなタイプのライターさんがいるのだなあ、と思う。僕みたいなライターは、もうクラシックなタイプなのかもしれない。それでもまあ、地味でもやらねばならないことを淡々と積み重ねていくしかないんだけど。

さて、明日もまた、南大沢方面で取材だ。今週、三度目の南大沢(笑)。

編集者とデザイナー

本を作る時の編集者とデザイナーとのやりとりというのは、人それぞれ、いろんなやり方があると思う。僕自身は、デザイナーさんとやりとりする時、一応心がけていることがいくつかある。

一つ目は、あらかじめ、原稿素材の整理をきっちりやること。とても入りそうもない量の材料を狭い部分に押し込もうとしたり、逆にスッカスカな部分をほっぽらかしたりするのは問題だ。そもそもの発注段階で設定ミスがあると、そういう困ったことになる。

二つ目は、レイアウトラフをちゃんと描くこと。イラレでも手描きでも、そのページの役割と注意すべき点を把握してもらいやすいように。ただ、あまりにも細かく決め込みすぎてしまうと、実際に組んでみた時に困ることもあるので、多少の余裕というか、デザイン時に自由に調整してもらえる部分を残しておく。

三つ目は、できるだけちゃんと会って打ち合わせすること。メールや電話だけだと、伝わっていると思っていたことが微妙に行き違ってしまったりする。話し合いをするうちに、思いがけないアイデアが降ってくることもあるし。

制作全体を通しての心がけとしては、こちらの意向をわかりやすく伝えつつ、それをちょこっと超えてくるようなデザインのアイデアを出してもらえることを期待するというか、アイデアを出してもらいやすいような状況を用意するというか。そのためには、時には関係各所に対していろんな交渉をしなければならない場合もあるけれど、それもまた編集者の仕事だ。

すべては、いい本を作るために。

誰でもよかった?

朝イチから、南大沢方面で取材。2本分の原稿を書くためのやや長めの取材だったが、どうにか乗り切る。帰りに下北沢に寄り道してカレーを食べ、吉祥寺から歩いて家へ。途中、今作っている本の初校の残りが出たというメール着信。家に着いてからは、夜までずっと、その関係のメールや電話のやりとりに追われる。急に忙しくなった。

ところで、昨日起こった、AKB48の握手会でのノコギリ男乱入事件。彼女たちアイドルやそれを取り巻くビジネス構造については正直何の興味も関心もないのだが、犯人が案の定「誰でもよかった」と供述していると聞いて、んなわけねーだろ、と思わずにいられなかった。

無差別殺傷やら何やら物騒なことをやらかす人は、後で「誰でもよかった」と言ったとしても、実は誰でもいいわけじゃない。自分より確実に弱そうな立場の人を狙って、自分の方が絶対に優位に立てる武器なり何なりを必要以上に用意している。要するに、これ以上ないくらいのチキンなのだ。ノコギリなんぞ持ち出さなければ、未成年のアイドルの子とさえまともに向き合えないくらいの。

自分の境遇とか世の中に対する逆恨みとか、いろいろ後付けの理屈はされるのかもしれないけど、とどのつまりは、チキンの憂さ晴らし。やれやれだ、ほんと。

「素材」への敬意と感謝

時に編集者の立場になる自分自身への戒めも込めて、の話なんだけど。

編集の仕事では、文章や写真、イラストなど、いろんな素材を組み合わせながら、本や雑誌の形に仕上げていく。だが、ともすると編集者は、こうしたものを本当に単なる「素材」としてしか見なさなくなってしまいがちになる。その結果、それらをぞんざいに扱って、ライターや写真家、イラストレーターをすっかり失望させてしまうことも少なくない。

「素材」に問題があるから手を加えたんだ、それが編集者の仕事だ、という人がいるのもわかる。でも、ライターや写真家が憤慨するような扱い方をせざるを得なくなったのなら、ライターや写真家側に手抜かりがあったならともかく、でなければ最初の仕事の発注時点で問題があったからだ、と僕は思う。その場合、編集者はちゃんと謝罪しなければならない。

編集者は、ライター、写真家、イラストレーター、デザイナー、その他のスタッフが提供してくれる成果に対して、常に敬意と感謝を持たなければならない。ライターは一文字一文字に、写真家やイラストレーターは1ピクセルごとに、それぞれの思いを込めている。最終的なゴールを目指していく時、編集者は途中でさまざまな決断を下す必要に迫られるけれど、その中でもけっして、関係するスタッフの気持をうかつに踏みにじるようなことはしてはならないと思う。

常に敬意と感謝を忘れずに。改めて、自分自身への戒めも込めて。