出会うことの意味

昨日から、来年1月17日(土)に渋谷で開催する「撮り・旅!」のトークイベント第2弾の告知を始めた。おかげさまで、予約状況もかなり好調な出足のようだ。どうにか定員にまで達するといいのだけれど。

こうしたトークイベントは、ビジネスの観点で見れば、直接的な利益にはほとんどつながらない。今回も旅行会社3社に協賛していただいているけれど、満席になったとして、その入場料と協賛金を合わせても、会場代や出演者の方々への謝礼を引けば、ほとんど残らない。出版社も自発的にはこうした儲からないイベントはあまりやりたがらないので、もっぱら著者側が企画して主導することになる。もちろん、もっと有名な作家の方とかだと全然違うのだろうけど。

では、全然儲からないのにどうしてわざわざ大変な思いをしてイベントをやるのかというと‥‥単純に本のプロモーションのためだから、とは言い切れない気がしている。うまく言えないのだが‥‥自分たちが作った本の読者の方、あるいはこれから読者になってくれるかもしれない人に、イベントという現実の場所で、直接出会ってみたい、と思うのだ。そこで、自分たちが本に託して伝えようとしていたことは正しかったのか、間違っていたのか、ちゃんと伝わったのかどうかを、ほんのいくばくかでも確かめられないだろうか、と。

ともあれ、今回のは、めいっぱい面白いイベントにするつもり。興味のある方は、土曜の午後に僕たちに会いに来てください。お待ちしています。

続・仕事の価値

夕方、仕事中にネットから流れてきたニュースを見て、おや、と思う。とある事件で逮捕されたという人の名前に、かすかな見覚えが。自分のMacに保存しておいたファイルを検索してみると、同じ名前があった。四年ほど前に、ある仕事で依頼されてインタビューをした人だった。

思い返してみると、あの時は、とてもインタビューとはいえない取材だった。約束の時間から3時間以上も会議室で待たされた後、現れたのは本人ではなく助手か何かの人で、その人が資料を見ながらしゃべるのを、本人が語ったかのように記事にしてくれと言われたのだ。遠路はるばる訪ねてきたのに、ずいぶん軽く扱われたもんだなとその時も思ったのだが、さもありなんというべきか。

それでも当時、依頼元はその記事をものにしてたぶん喜んでいたと思うし、僕も原稿料を受け取った。でも、あの仕事に意味があったのかというと、当時の話の内容と、今回の顛末を考え合わせるに、むなしく感じられてしまうのは否めない。もちろん僕にはどうしようもなかったけれど、この世に何の価値も残さない仕事をしてしまった、という気がしてしまう。

仕事って、難しいな、と思う。

忘れてきたもの

ほんと、やたらめったら忙しい。

今日は午後から、三田と赤坂でそれぞれ打ち合わせ。終わった後、四ツ谷のたけだでカキフライ定食を食べてほっとしたのもつかの間、家に戻ってみたらメールの山で、夜半過ぎまでひたすらキーボードを叩いていた。

赤坂で、冬だけ登場するアイススケートリンクのそばを通りがかった。スケートなんて、いったい何年やってないだろう‥‥さっぱり思い出せない。とりあえず、普通に前に進んだり曲がったりする分には普通に滑れるけど。あれ、そういえばスキーは? 何年やってない? 大学の時以来?

年を経るにつれ、いろんなことを経験していく一方で、忘れてきたものもある。寂しいような気もしないではないし、またやってみようかと思わなくもないけれど、うーん、どうだろ‥‥。何かきっかけがあれば、なのかな。

とりあえず今は、いろんな意味で余裕がない(苦笑)。

灰色の兆し

終日、部屋で仕事。原稿を書こうにもなかなか調子が上がらず、こまごました連絡業務にも振り回されて、自炊する余裕もなく、近所の中華料理屋へ。

いつもよく食べるホイコーローのかけごはんを注文したら、いつのまにか値上がりしてることに気付いた。700円だったのが、750円に。ほかのメニューも軒並み値上げのようだ。消費税やら、急な円安やらに振り回されて、飲食店も大変なのだろう。

牛丼チェーン各社が200円台の牛丼を300円台にするとかで巷ではニュースになっているが、もともと価格競争で安くなりすぎてたものが元に戻っても、まあそんなものかなと思う。でも、なじみのごはん屋さんが、たぶん値上げしたくないのにこらえきれず値上げに踏み切ってるのを見ると、今の状況、これでいいのかと思わなくもない。

経済に限らず、今の日本の社会全体に、どんづまり感が漂っているような気がする。認めたくないものから目をそらし、都合の悪い指摘には耳を塞ぎ、理不尽な強要にも仕方ないとあきらめる。憂さ晴らしに他の国の人々を匿名のネット上で悪罵して、日本の国は美しいなどと持ち上げる記事や本を読み漁って悦に入る。くだらない。

世界から色が失われ、灰色に変わっていく兆しなのだろうか。

バトン

午後、豊田にある大学キャンパスでの取材を終えた後、都心に移動。今夜は代官山蔦屋書店で、九月に亡くなった旅行コンシェルジュの森本剛史さんのお別れの会。

会場には、びっくりするくらい大勢の人が集まっていた。100人は余裕で超えてたんじゃないだろうか。お別れの会というものにありがちな湿っぽさはほとんど感じられなくて、誰もが旧交を暖めながら、森本さんの思い出話をしては笑顔を見せていた。ここに集まった人たちはみな、森本さんが結びつけた人たちなのだ。そう考えながら周囲を見回すと、とても不思議な気持になった。

会の終わりに、会場の壁面に、映像が映し出された。森本さんが住んでいた部屋だった。壁際の棚という棚にぎっしりと詰め込まれたままの、旅にまつわる、ありとあらゆる本。次に書く本の構想を書き留めた分厚いノート。森本さんにとっては、最後の最後まで、すべてが旅であり、本だったのだ。

ふいに、ぽん、とバトンを手渡されたような気がした。いつもの、気軽な調子で。

ヤマモト君、今度はどこに旅に行って、どんな本を作るんだい? いいのができたら、持って来なよ。

それは、最後の最後まで、旅の本を作り続ける、覚悟のようなものなのかもしれない。受け取ったバトンを手に、僕はどこまで走れるのだろう。そう思うと、ぎゅっと、胸が締め付けられるような気がした。