プミポン国王の逝去

今年のタイ取材の期間中に起こった大きな出来事といえば、プミポン国王の逝去。在位70年、88歳で亡くなった国王は、タイの人々に長い間愛され続けてきた、かけがえのない存在だった。

国王が亡くなった日、僕は北部の町ラムパーンに滞在していて、取材と食事を終えて夕方に宿の部屋に戻った時に、このニュースを知った。最初に脳裏に浮かんだのは、国王の逝去に伴っていろんな施設や行事がお休みになったりして、これからの取材に影響が出るかもしれない、という考えだった。結局それは杞憂に終わり、取材自体にはほとんど影響はなかった。個人的に困ったのは、その後しばらくコンビニがビールの販売を停止してしまったことぐらいだった。

海外で報じられていたニュースには、国内の逝去に伴ってタイの国内が混乱していくのではと案じていたものが多かったように思う。ただ、少なくとも僕が滞在していた間、タイの街々はとても平穏だった。喪に服す意味でモノトーンの服を身につけている人が首都バンコクでは特に多かったが、地方の小さな町ではそこまででもなかった。チェンマイなどでは、週末のナイトマーケットなどもほぼ普段通りに行われていたそうだ。彼らにとっても、あまりにも喪に服しすぎていろんなことを自粛していると、商売ができずに生活していけなくなるという事情もあるのだろう。

もちろん、これから数年にわたって、王位継承や政治的枠組の変化に伴ってタイ国内に混乱が生じないとは限らないが、タイの国自体は、今は普通に安定している。タイへの旅に二の足を踏んでいる人も少なくないだろうが、タイの人たちの側からしてみれば、できればこれからも普通にタイに旅行に来てほしいというのが本音だろう。国王の逝去とそれを悼む人々の気持に対してはきちんと敬意を払い、派手すぎる服装や、空気を読まないどんちゃん騒ぎなどはしないように気をつけるなどすれば、タイの人たちはむしろ喜んでもてなしてくれると思う。

ともあれ、あらためて、国王のご冥福をお祈り致します。

振れ戻った針

昨日深夜にバンコクを発ち、今朝、東京に戻ってきた。

毎年この時期に約4週間、取材でタイを回るのも、今年で4回目。これだけ回数を重ねてくると、どこの街も何度か訪れているので、少しは土地勘がついてくる。取材先を効率良く回る道順や、真っ当な宿や安い食堂がある場所も。それでも、乾季の入口の時期とはいえ、あのぎらぎらした陽射しと肌にまとわりつく湿気の中を、毎日歩いたり自転車をこいだりして街を回るのは、体力的にも気力的にも、かなりきつかった。歩き回るうちに汗すら出なくなった首筋や手足の肌には、ざらざらと塩の結晶が噴き出してくる。日に三度、英語の看板もないような簡素な食堂や屋台でありつくタイ料理と、夜、宿の部屋で飲むチャーンビールの500ml缶が、気持の支えだった。

ただ、今になってふと思うのは、8月から9月にかけて旅した南東アラスカの旅で、あまりにも自分の予想を上回って振り切れてしまっていた針が、汗と塩と埃にまみれてタイを旅して回っているうちに、少し振れ戻ってきたような気がする、ということだ。忘れたわけではないけれど、アラスカとは何もかも違いすぎる世界を旅したことで、自分の中での受け止め方に少し余裕が生じたというか。このあたり、うまく言えないのだが。

とりあえず、ぎらつく陽射しと湿気から解放されて、身体がほっとしているのは間違いない。少し身体を休めて、またがんばります。いろいろ。

再び旅へ

旅に出る前の日は、まずベッドシーツ類と残りの洗濯物を洗って、近所のコインランドリーで乾燥機にかけ、完全に乾かす。押入れやクローゼットの除湿剤を交換する。撮影機材を防湿庫から出し、パッキングリストを見ながら、すべての荷物を確認しつつバッグに詰めていく。いろいろ終わってひと息ついたら、夕方からはたいてい、リトスタに行って最後の晩餐。

というわけで、明日から4週間のタイ取材。今年で4年目だが、期間中は休みは一日もなく、どんなにカンカン照りでも、どんなにどしゃ降りでも、取材に撮影にと歩き回らなければならない。ハードな日々の始まりである。

帰国は10月29日(土)の予定です。では。

アイデアは無料ではない

今年の初め頃、人づてに、とあるWeb制作会社からライティングの仕事の依頼を受けた。ある航空会社が運営するサイト内で、全国各地の観光スポットを季節やテーマに応じて紹介していくコンテンツで、スポットの選定と写真素材の提供交渉(予算がないというので観光局などから無料で貸してもらうように交渉する)、そしてスポット紹介のテキストやリードコピーの執筆が僕に依頼された仕事だった。二回目からは季節に合わせたテーマ案とスポット候補の提案から参画させられた。

しかし、二回目のコンテンツが完成した後、三回目の制作は、他のWeb制作会社とのコンペになった(僕は知る由もないが、先方に航空会社のご機嫌を損ねる何事かがあったらしい)。僕は当初そのコンペにはいっさい関与していなかったが、インドから帰国した直後あたりに、先方の社内で配置換えさせられたばかりの女性プロデューサーから「こちらで提案した企画が差し戻されて、再提出の期限が迫っています。何かいいアイデアはありませんか?」という泣きのメールが送られてきた。そもそもコンペのこと自体、僕は詳細をまったく聞かされていなかったし、だったらなぜ最初から僕を企画会議に参加させなかったのかと訝ったが、前に継続案件になることを想定して温めていたテーマ案とスポット候補のリストをメールで送った。

それから一カ月間、そのWeb制作会社からはまったく何の連絡も届かなかった。三回目の制作のスケジュールを考えれば、とっくに時間切れだ。で、アラスカから戻ってきた後に、件の女性プロデューサーにメールで問い合わせると「ついさきほどクライアントから連絡があったのですが……」と(そんな遅すぎる上に同日というタイミングで連絡が来ることはありえないので、もちろん言い逃れのための嘘だ)彼らがコンペに負けたことを知らされた。その結果は僕には別にどうでもいい。だが、こちらから提供したテーマ案とスポット候補の企画の処遇について聞くと、それに対するコンペフィーは払えないという。その件で別の男性ディレクターが送ってきたメールには「そこに費用が発生するなどとは我々は想像もしていませんでした」と、しれっと書かれていた。

こういう場合にアイデアを出してほしいと依頼する時、コンペに負けたらコンペフィーが払えない事情があるなら、あらかじめそう伝えた上で「それでもよければご協力いただけませんでしょうか?」と頭を下げて依頼すべきだ。僕が依頼する側なら必ずそうするし、それが常識だと思う。アイデアは無料ではない。なぜなら、それは人が知恵と労力を費やしてゼロから生み出したものだからだ。でも、最近の世の中には、人の頭の中にあるアイデアはタダで拝借できると勘違いしている輩が多いようだ。個人だけでなく、企業のレベルでも。あきれてものが言えない。

件のWeb制作会社とは、完全に縁を切った。ああいうしょうもない会社がどういう運命を辿るのかは、自ずとわかる。

「君の名は。」

予想以上の大ヒットで映画館がずっと混雑していたのと、ここしばらくのせわしなさで、なかなか見られないでいた新海誠監督の「君の名は。」を、ようやく観に行くことができた。

千年ぶりに現れた彗星が近づきつつある日本。とある山奥の田舎町に住む高校生、三葉は、不思議な夢を見るようになった。東京にいる見知らぬ少年となって、彼の生活をまるで現実のことのように体験する夢。一方、東京で暮らしている高校生、瀧も、山奥の町にいる見知らぬ少女になってしまう夢を見るようになった。やがて二人は、実際に互いが入れ替わる現象がくりかえされていると気付く。まだ出会ったことのない、出会うはずもなかった二人が、不思議な形で結びつけられた意味は……。

新海監督はもともと独自の世界観と個性的な作風を持っていた方で、これまでの作品は必ずしも万人受けするものとは言い切れないところがあった。SF寄りの作品でも、現実世界寄りの作品でも、大切にしていたのに失ってしまったものを取り戻せない切なさ、やりきれなさのような後味を残す作品が多かった。でも、この「君の名は。」は、そこから立ち上がって、運命に抗ってさえ、大切なものを取り戻すためになりふり構わず駆け出していくような、そんな作品になっていたと思う。

作中には、これまでの新海監督の作品(CMも含めて)のセルフオマージュとも言える要素が数多く盛り込まれている。逆に言えば、過去のそうした蓄積がリブートされてエンターテインメント作品として最適なバランスで昇華されたのが「君の名は。」と言えるのかもしれない。

とりあえず、このピュアで王道なストーリーを素直に楽しめるくらいには、自分に人並みにノーマルな感情が残っていることにほっとしている(笑)。観客は圧倒的に10代、20代が多いのだそうだ。ティーンエイジャーのうちにこういう映画を観ることのできる人は、幸せだと思う。まだの人は、ぜひ映画館へ。