キュレーションメディアとリライトライターの闇

最近、巷で話題になっている、DeNAのキュレーションメディアの問題。きっかけは、医療情報サイト「WELQ」が日々大量にアップロードし続けていた信頼性に乏しい粗悪なクオリティの記事の数々が、「医療デマ」の流布にあたるのではという批判が相次いだことだった。

DeNA側は専門家による監修や通報フォームの設置を実施すると表明したものの、最終的には「WELQ」の記事をすべて非公開状態に。その後には、同社系列のキュレーションメディアのうち、「MERY」以外の8つのサイトの記事もすべて非公開にされた。唯一残った「MERY」も、10万本以上あった記事の大半が非公開状態となっている。「WELQ」の医療デマに対する批判がここまで燃え広がったのは、BuzzFeed Newsの告発記事の影響が大きい。

DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言

キュレーションメディアというのは、一般の人が投稿した記事を集めて掲載するサイトという建前になっているのだが、上の記事によると、DeNAは自社系列のキュレーションメディアを運営するにあたり、ランサーズやクラウドワークスといったクラウドソーシングサービスを通じて、社名を隠しながら1000人単位でライターを集め、指定した内容の記事を大量生産させていた。報酬は1文字あたり0.5円かそれ以下という極端に安い金額。作業内容も、会社側が指定した複数のサイトからその内容をパクってツギハギにし、写真も同じく適当にパクってきて、記事っぽく仕立てさせるというものだった。コピペだとバレないようにリライトさせるための指示マニュアルまであったのだという。

DeNAに限らず、世間一般のキュレーションメディアと呼ばれているサイトのほとんどは、記事の内容の面白さやオリジナリティは関知していない。とにかく大量の記事を、サーチエンジンの検索結果の上位に来るように細工して投入する。少しでも多くの人間にクリックさせて、広告収入を稼ぐ。彼らの目的はそれだけだ。DeNAのキュレーションメディアはその最大手クラスだが、ほかにも有象無象のキュレーションメディアは山ほど存在する。

ここで問題になるのは、1文字0.5円以下という極端に安い料金の募集でも、それに応募してくる人がいるということだ。その多くはいわゆるプロのライターではなく、お小遣い稼ぎの内職として申し込んでいる素人の人たち。ランサーズやクラウドワークスは、完全に確信犯的にそうした素人ライターを集めてキュレーションメディアに送り込んでいる。DeNAと同様に彼らもまた、一般のサイトからパクってきた内容をバレないようにリライトさせるためのマニュアルを用意して、それを自社サイトで堂々と公開していた。

初心者にも分かる!リライト作業の具体的な進め方とは?」(元ページは内容が書き換えられたので魚拓から)

「リライトライターでも立派なライターであり、ライターとはまた違う能力が求められていると自覚しましょう」とまで書いてある。正直、読んでいて気持悪くなって、吐き気がした。何? リライトライターって? パクリライターじゃないのか?

文章を書くことに対するモラルや志や愛着をまったく持たないまま、単なる小遣い稼ぎの内職としてこういうリライトライターに応募してくる人は、これからも後を絶たないのかもしれない。最近では、コピペだとバレないかどうかを判定する自動診断ツールや、コピペ元のテキストを入力すれば自動的にリライトした文章を生成するツールまであると聞く。粗悪なパクリ記事を大量投入してそのページビューで広告収入を稼ぐというこの悪辣なビジネスモデルが駆逐されないかぎり、こうした傾向はなくならない気がする。

僕のようなフリーライターは、淡々と、コツコツと、自分自身の言葉で文章を書いていくことしかできない。今までも、これからも、それだけだ。でも僕は、そういう自分の仕事に誇りを持っている。こんな時代だからこそ、なおさらそう思う。

「好きだ」と言ってもらえる本を

生まれてこのかた、女性の方から先に「好きです」と言ってもらえた回数は、指折り数えてもたぶん片手で足りるほどしかない。だから、そんな風に言われるとどのくらい嬉しいと感じるのか、正直よく覚えていない(緊張するし、その時に相手のことをどう思ってたかもあるし)。

でも、自分の作った本を「この本が好きです」と言ってもらえた時の嬉しさは、本当によくわかる気がする。そういう機会がたま〜にあるのだが、面と向かってそう言ってもらえると、相手の顔も見れないくらい恥ずかしくて恐縮してしまう。同時に、その場で飛び上がりたくなるほど嬉しくもなる。まるで、校舎の裏に呼び出されて告白された中学生男子みたいに(笑)。もちろん相手の方は老若男女さまざまだし、伝わる手段も直接会うだけでなく、メールや手紙など、いろいろなのだけれど。

火曜日の打ち合わせの時、約5年前に書いた本のアンケートハガキの裏面のコピーをまとめたものをもらった。いろんなコメントがあったのだが、その本を、本来の機能や役割以上の部分で気に入ってくれていた方が思いのほか多くて、部屋の中で一人、校舎裏の中学生男子のようにもきゅもきゅしながら読ませていただいた。中には「今、入院中ですが、読んでとても気分が晴れやかになりました」という方からのハガキもあって、ありがたいなあ、としみじみ思った。

みなさん、本当に、ありがとうございます。感謝の気持を、次に作る本にがつっと込めるべく、がんばります。また、「この本が好きです」と言ってもらえるように。

死を思う

午後、八丁堀で打ち合わせ。2時間ほどみっちり話し込む。早めの晩飯にビリヤニを食べ、東京駅から中央線に乗って、帰路につく。

電車が三鷹駅にすべりこんで、さて降りるか……と思ったら、ドアが開かない。乗っていた電車の先頭で人身事故が起こったとのアナウンス。それから15分ほど、車内で待つことになった。こういう事態は二度目の経験だ。

まだ若い女性の車掌さんが、気丈に平静を装いつつ、最後尾から車内を移動していく。非常用ノブでドアを開けようとして止められてるおっさん。なぜか楽しげにおしゃべりしてるおばさんたち。さっさとドア開けりゃーいいのに、と大声で好き放題言ってるあんちゃんたち。そういう人たちもいるにはいたが、ほとんどの人は、ぎゅっと胸を押しつぶされたような顔で、黙ってスマホをいじっていた。

どんな人が。何の理由で。僕には知る由もない。悲しいし、やるせない。

生きることに絶望してしまう人もいれば、生きたくても生きられない人もいる。自らを殺してしまう人もいれば、誰かに殺されてしまう人もいる。人間はどうして、こうもうまくやれないのだろう。

殴り書きという仕事

朝から夕方まで、大学案件の取材。先週と同じパターンで、1件につき約1時間、4件連続のインタビュー。わんこそば状態である。

今日取材した方々の中に、綺麗な字を書ける技術を習得することの意義について話していただいた方がいたのだが、僕はその目の前で、インタビューしながら汚い字でノートにメモを殴り書きしていたので、視線が痛かったというか、何だかちと申し訳なかった(苦笑)。

でもまあ、ぶっちゃけ、仕方ないといえば仕方ない。事前準備はするけれど、それでもろくに予備知識もないまま相手の話を聞いてその内容の把握に努めつつ、次の質問や話の展開をどうするかという戦略を脳みそフル稼働で策定し、相手に相槌を打って笑顔を見せたりしながら、ほとんど手元を見もせずにペンを動かしてノートを取るのだ。そこで美しい字を書こうとかいう余裕が持てるわけがない。

というわけで、これからも取材ノートは僕一人にしか読めない汚い殴り書きで書き続けますが、ご容赦のほどを。

青菜大量消費スープ

昨日は杉並区のブータンイベントにちょっと顔を出したり、吉祥寺で新そばを食べたりしたのだが、今日は終日、部屋で原稿執筆。明日も一日中取材があるので、少しでも進めておかないと年末が結構やばい。

一昨日、実家から大量に野菜が届いたので、ダメになる前に消費しなければならない。根菜はまだ日もちするからいいけど、青菜の類は早く食べないと黄色くしおれてしまう。特に、レタスやサラダ菜はサラダでたくさん食べようとすると大変だし、おなかが冷える。なので、今夜はレタスをスープにしてしまうことにした。

鍋でニンニクと生姜をごま油で炒め、冷蔵庫で余ってたソーセージを刻んで一緒に炒め、水を注いで、鶏ガラスープの粉末を投入。煮立ってきたら手で適当にちぎったレタスを投入し、軽く煮立たせてから溶き卵を回し入れて火を止める。最後に塩こしょう。5分で完成。

身体もあったまるし、テキトーに作っても大丈夫だし、青菜を大量消費できる。あと何回か作らないとまだまだ追いつかないけど。