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山野井泰史「垂直の記憶 岩と雪の7章」

山野井泰史の名前を初めて知ったのは、五年ほど前に、沢木耕太郎の「」を読んだ時だった。ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンからの奇跡的な生還を描いたその本に、当時そうした高山の登山経験がまったくなかった僕は、あっけにとられたというか、ただただ圧倒されてしまった。それから数年後、冬のチャダルを旅した時に、山野井さんが挑み続ける岩と雪と氷の世界を、僕自身も入口からほんの少しだけ覗き込むことになったのだが‥‥。

その山野井さん自身が書いた「垂直の記憶 岩と雪の7章」が、最近になってヤマケイ文庫で文庫化されたというので、いい機会だと思って読むことにした。

日本が誇る世界屈指のクライマー、山野井泰史。少年時代からクライミングの魅力に取り憑かれ、ヨセミテやパタゴニアなどで数々のクライミングに挑んだ後、ヒマラヤやカラコルムの高山へ。チョ・オユー南西壁、クスム・カングル東壁、K2南南東リブなど、いくつもの難峰の登頂に成功。大人数で大量の装備を運び上げ、前進キャンプを設営しながら登頂を目指す「極地法」ではなく、単独または少人数で、酸素ボンベも使わず、最小限の装備でベースキャンプから一気に山頂を目指す「アルパイン・スタイル」でのクライミングを信条としている。七大陸最高峰制覇や八千メートル峰十四座制覇といったピーク・ハンティングには一切興味を示さず、ある意味、それよりもさらに困難な、しかし“美しい”ルートでのクライミングに、彼はずっと挑んできた。

「トスカーナの贋作」

「好きな映画監督を五人挙げなさい」と言われたら、僕は悩みに悩んで、次の名前を挙げると思う。ジョン・カサヴェテス、クシシュトフ・キェシロフスキ、レオス・カラックス、ジム・ジャームッシュ、そして、アッバス・キアロスタミ。彼らの作品を初めて観たのは二十代の頃だったが、「これが映画というものなのか!」と、それまでの自分の価値観を根底から揺さぶられるような衝撃を受けたのを憶えている。彼らのどの作品も、僕にとってかけがえのない、宝石のような存在だ。

今年の東京フィルメックスで、キアロスタミ監督の最新作「トスカーナの贋作」が特別招待作品として上映されると聞いて、ひさびさに「観たい!」と脊髄反射的に思った。キアロスタミ監督の作品を映画館のスクリーンで観るのは、七年ほど前に公開された「10話」以来だ。これまで、フィクションとドキュメンタリーの垣根を軽々と飛び越え、観客をアッと言わせる作品を作り続けてきた彼は、今度はどんな魔術を見せてくれるのだろう。子供のようにわくわくしながら、暗いスクリーンにフィルムが投影されるのを待つ。

魔術は健在だった。やられた。想像を、はるかに超えていた。

Instagram

最近、面白いなと思っているiPhone向けアプリに、Instagramという無料アプリがある。今月初めに配布が始まったばかりなのだが、あっという間に広まって、一躍大人気に。巷では「Twitterの次に流行るサービスの本命はこれだ!」なんて声も聞くほどだ。

簡単に言うと、Instagramは写真共有アプリだ。iPhoneで撮った写真をトイカメラ風フィルタでスクエアフォーマットに加工して、アプリ経由でアクセスできる環境にアップロードする。フォロワーは、それに「Like!」やコメントをつけることができる。非常にシンプルで、必ずしも今までにない斬新なサービスというわけではない。では、なぜ今、こんなに人気なのか?

一つには、基本的にiPhoneだけで完結することを前提に、インターフェイスや仕組みを構築しているという点。Webから移植された従来のサービスに比べると、段違いに使いやすい。フィルタ加工される写真のサイズが612ピクセル四方というのも、それがiPhoneの画面で一番綺麗に表示されるサイズだということを計算しているからだろう(余談だが、Instagramで加工した写真はiPhoneの待受画面にちょうどいい具合に収まる)。いつでも気軽にiPhoneを持ち歩いて、気が向いたら写真を撮って、それを友達と共有する。そうした使い方にジャストフィットしたアプリなのだ。

もう一つは、用意されているトイカメラ風フィルタのクオリティの高さ。トイカメラアプリは過去にもたくさんリリースされているし、僕もCamera Bagというアプリを愛用していたが、それらと比べても、格段にいい。Instagramのフィルタを使うと、別にどうということのない写真でも「何かいい感じ」になってしまうのだ。フィルタの種類もたくさんあるので、写真に合わせていろいろ試して遊ぶことができる。iPhone 4からカメラの基本性能が大幅に向上しているのも、このアプリにプラスに働いていると思う。

TwitterやFlickr、Facebook、Tumblr、Foursquareとの連携機能も用意されていて、Instagramへの投稿をTwitterで知らせたり、Flickrに写真を同時投稿したりすることもできる(僕がFlickrでテストしたギャラリーはこちら)。また、gramjunctionなどのサイトで写真のギャラリーを作るのも面白い。今後はWordPressと連携させるプラグインも出てくるのではないだろうか。というか、出てほしい(笑)。

ポール・オースター「オラクル・ナイト」

長編小説の醍醐味は、物語のめくるめく奔流に身を任せ、時を忘れて読み耽ることにあると思う。僕がこれまでに読んだポール・オースターの小説——「ガラスの街」をはじめとするニューヨーク三部作や「リヴァイアサン」「ミスター・ヴァーティゴ」「幻影の書」といった作品群は、僕を心ゆくまで耽溺させてくれた。ところが、先日発売された「オラクル・ナイト」は、それらとはちょっと趣向の違う作品だった。

主人公シドニー・オアの職業は、やっぱりというか、またしてもというか、作家だ。彼が奇妙な文具店で見つけた青いノートに文章を書きはじめることで、いくつもの物語が動き出す。シドニーと妻のグレースと友人のジョン・トラウズとをめぐる物語。青いノートに綴られた、それまでの人生を捨てて行方をくらました男と、電話帳の図書館をめぐる物語。その物語の中で主人公に渡される、ある作家が遺した小説「オラクル・ナイト」。タイムトラベルをテーマにしてシドニーが書いた映画の脚本。ジョンが若い頃に書いた短篇「骨の帝国」——。こうした「物語の中の物語」を組み込むのはオースターが得意とするところだが、この本ではそれがさらに多層化していて、途中に注釈の形で何度も挿入される補足エピソードとあいまって、複雑な入れ子構造になっている。

そしてこれらのエピソードの大半は、意図的に結末を迎えることなく途切れてしまう。文具店の店主M・R・チャンの正体も、ポルトガル製の青いノートの謎も、答えを与えられない。シドニーとグレースを襲った一連の悲劇から現在へ至るまでの道程すら、途中でふっつりと途絶えてしまう。言葉は過去の出来事を記録するだけでなく、未来の出来事を引き起こす力も持っている。オースターはそのことを伝えたいがために、このように手の込んだ構成を選んだのかもしれない。それでいて全体が破綻することなくまとめあげられているのは、彼の技量があればこそだろう。

だが、正直に言うと、ちょっと読みづらかった。流れに引き込まれかけたところで、長い注釈でばっさりと寸断されたり、エピソードが途切れてしまったりするので、いいところで足元の梯子をポンと外されてしまうような違和感をたびたび味わうことになった。読者をグイグイ引き込む物語性という点では、この作品は弱いと思う。あと、シドニーとグレースとジョンをめぐるエピソードが、かなり序盤の段階から結末が透けて見えてしまっていて、終盤の展開が予想の範囲内だったことも、拍子抜けした要因かもしれない。そういったことも含めてオースターの計算のうちだったとすれば、それはそれでたいしたものだが。

次に邦訳される作品は、心ゆくまで物語に耽溺できるような、長編小説ならではの醍醐味を味わえるものだったらいいな、と思う。

「3 idiots」

今年の夏のラダックでは、インド人観光客の姿がやたらめったら目についた。どうしてこんなに多いのかとラダック人の知人に聞くと、去年インドで大ヒットしたアーミル・カーン制作・主演の「3 idiots」という映画のラストシーンが、ラダックのパンゴン・ツォという湖で撮影されていたからだという。その後、別のラダック人の友人夫妻の家に泊めてもらった時に、この映画の英語字幕入りDVDを観ることができた。

工科大学で「三バカトリオ」(3 idiots)と呼ばれていた、ランチョ、ファラン、ラジュの同級生三人。だが、卒業から十年、学年でも一番の天才だったランチョは消息不明のままだった。ところがある日、ファランとラジュを呼び出したかつての同級生チャトゥルは、ランチョの居場所を知っていると話す。十年前に交わした、彼とランチョのどっちが十年後に成功を収めているかという賭けの結果を確かめる時がきたというのだ。三人は一台の車に乗り、インド北部へとランチョを探す旅に出る——。

いやはや、面白い。これは予想以上にいい映画だ。

物語は、学生時代の三バカトリオのさまざまなエピソードと、ランチョ探しの旅とが並行して語られていく。コメディタッチの展開が続くのかと思いきや、ものづくりに携わることの素晴らしさを描いたり、偏狭な教育制度や自殺者の増加などの社会問題についてチクッと刺すところもあって、なかなか奥が深い。大切なのは、人が自分らしさを忘れずに生きていくこと。そして、大切な人を想い続けて生きていくこと。この映画のメッセージはそこに込められている。

三時間近くもある長い映画で、正直、学生時代のエピソードがありえない展開かつテンコ盛りすぎなのは否めないが、何だかんだでグイグイ引き込まれて、観終わった後はものすごくスッキリした気分になった。終盤に登場するラダックの学校(シェイにある学校の校舎で撮影された)の描写や、ラストシーンのパンゴン・ツォのターコイズ・ブルーの湖水も素晴らしかった。ラダックびいきとしては、もうちょっと長い尺をラダックに割いてほしかったけど(笑)。

アーミル・カーンは、最近のインド映画界の中では随一のヒットメーカーとして知られている。以前、ラダック滞在中にテレビで観た「Taare Zameen Par」は、発達障害を抱えながらたぐいまれな絵の才能を秘めた少年を主人公にした映画で、これもすごく面白かったのを憶えている(デチェンは「あたしは、この映画の男の子が大好きなんだよ!」と言ってたっけ)。日本のどこかの映画館で、アーミル・カーン作品の特集上映をやってくれたらいいのに。絶対にヒットすると思うのだが‥‥。