Category: Review

iPad 2

iPad 2が家に届いてから、10日ほど経った。僕が買ったのは、一番安いWi-Fiのみの16GB、ブラックモデル。家ではもっぱら、ソファでくつろいでいる時に触っている。

そう、「触って」しまうのだ。iPad 2とはどんなものか、僕なりにひとことで言い表すと、「そばにあると、ついつい触ってしまうガジェット」ということになる。

土屋智哉「ウルトラライトハイキング」

僕が住んでいる三鷹に、ハイカーズデポという小さなアウトドアショップがある。駅の南口から歩いて15分ほど、デイリーズが入っているのと同じビルの一階。たしか、2008年の秋、僕がラダックでの長期取材から戻ってきたばかりの頃にオープンしたんじゃないかと思う。

僕自身は、そんなに足繁くハイカーズデポに通って買い物をしていたわけではないのだが、他の店とはひと味違った、シンプルで軽快なウェアやグッズの品揃えは、前々から気になっていた。店主の土屋さんもアウトドア雑誌でよく見かけるようになり、先日、ついに「ウルトラライトハイキング」という本まで出されたのを知った。

ウルトラライトハイキングとは、アメリカの数百キロから数千キロに及ぶロングトレイルを踏破するスルーハイカーたちによって考案されたハイキングの手法だ。装備を徹底的に軽量化し、必要なアイテム数を最小限に絞り込むことで、装備を背負う身体にかかる負担を減らし、長い距離を快適に歩き続けることを目指しているのだという。

日本でこうしたテーマについての本を作ろうとすると、ウェアやグッズをずらずらと紹介するものになってしまいがちだが、この「ウルトラライトハイキング」は、そうしたカタログ的な本とは一線を画している。ウルトラライトハイキングとは、最新のハイテク素材で作られたおしゃれなグッズを揃えて悦に入ることではない。工夫を凝らしたシンプルな装備で山に分け入って、自然とのかかわりや一体感をよりダイレクトに感じ、愉しむという行為なのだ。この本ではウルトラライトハイキングについてのそうした考え方とともに、実践にあたっての基本的な知識が、わかりやすい形で紹介されている。ふんだんに添えられたポップなイラストも感じがいい。

僕がラダックでトレッキングをくりかえしていた頃は、装備と食糧は馬やロバに運んでもらっていたものの、自分自身は撮影機材が詰まったカメラバッグをひーこら言いながら担いでいたので、とてもウルトラライトとは言えなかったと思う(苦笑)。でも、現地で旅をともにしたホースマンたちの装備の潔さにはいつも感心させられていたし、厳寒期のチャダル・トレックに臨む前、友人のパドマ・ドルジェに「テントもストーブも必要ない」とこともなげに言われた時には度肝を抜かれた。ラダックやザンスカールの人々にとって、最小限のシンプルな装備で旅をすることは、日々の生活に直結したごく当たり前の知恵なのだけれど。

もう少しいろいろ落ちついてきたら、ひさしぶりに丹沢や奥多摩、奥秩父を歩いてみようかな。自分にできる範囲で、ウルトラライトに。

「海炭市叙景」

観終わった後に残るのは、暗く、苦く、やりきれない思い。でも、たとえようもなく美しい映画だった。

小説家、佐藤泰志は、村上春樹や中上健次と並び評される才能の持ち主だったが、不遇の果て、1990年に自らの命を絶った。彼が生まれ故郷の函館をモデルにした「海炭市」を舞台に描いた未完の連作短編集をもとに生まれたのが、この「海炭市叙景」。映画の制作は函館市民の有志によって企画され、地元の人々の全面的な協力を受けて撮影が行われたという。

スクリーンに映し出される「海炭市」の空は、濡れ雑巾のような雲がたれ込め、雪混じりの風が吹き荒んでいる。造船所の仕事を失って途方に暮れる兄妹。豚小屋とそしられる古い家から立ち退きを迫られている老婆。水商売の仕事をしている妻の浮気を疑う夫。新しい事業も再婚相手ともうまくいかず苛立つガス屋の若社長。路面電車の運転手と、ひさびさに帰郷したのに会おうとしないその息子‥‥。幸せな人は、たぶん、一人もいない。誰もが何かに行き詰まり、涙や後悔や苦い思いを噛みしめている。カメラは淡々と、しかしどこか優しいまなざしで、彼らの姿を追う。

時代に取り残され、ひっそりと朽ちていく「海炭市」は、もしかすると、誰の心の中にもある故郷の姿なのかもしれない。そこにいても、いいことなんて、何一つない。できることなら、何もかも投げ出したい。だけど、それでも‥‥。

「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」。その一言が、今も胸の裡に響いている。

アン・サリー「fo:rest」

去年の暮れ、アン・サリーが三年ぶりに新譜「fo:rest」をリリースしたことを知った。今のところ、コンサート会場とレーベルのWebサイトだけでの限定販売だという。さっそく注文して取り寄せてみた。

歌い手であると同時に、医師であり、二児の母でもあるアン・サリー。彼女の歌声には、その時々の彼女の人生が色濃く反映されている。クリスタルのように透き通る歌声が鮮烈だった初期の作品群。ニューオリンズでの三年間の体験から作られた「Brand-New Orieans」。母性愛が惜しみなく注ぎ込まれた「こころうた」。今回の「fo:rest」でのアン・サリーの歌声は、以前よりもさらにしっとりと深みを増した印象を受ける。さまざまな「命」と向き合う彼女の日々の生活が、そうした深化に繋がっているのかもしれない。

自身の作詞・作曲によるオリジナル曲をはじめ、ジョニ・ミッチェルやキャロル・キング、リンダ・ルイス、果ては松田聖子(!)の曲までカバー。ボサノヴァの定番が二曲収録されているのも個人的にはうれしい。わかりやすい華々しさは微塵もないけれど、何度でも、いつまでも聴き続けられるような、愛すべき小品に仕上がっていると思う。

このアルバムを聴いていると、冬の安曇野の森の中を一人で歩いていた時のことを思い出した。誰もいない、残雪が白く残る木立の間を、吹き抜けていった風。「fo:rest」というタイトルが意味するものは、「森」であると同時に「安らぎ」でもあるのだろう。

「リトル・ミス・サンシャイン」

昨日のエントリーでも紹介したApple TVで、初めて映画をレンタルしてみた。選んだのは、「リトル・ミス・サンシャイン」。三年ほど前に映画館で観たことがあるのだが、その時も面白い映画だったという記憶があったので、iTunes Storeに字幕版がラインナップされているのを見つけて「これだ!」と思った次第。

アリゾナの田舎町に住む、ぽっこりおなかの女の子のオリーブが、ひょんなことからカリフォルニアで開催される全米美少女コンテストに出場することになった。お金のない一家の面々は、黄色いワーゲンのワゴンに乗り、1000キロ離れた美少女コンテスト会場を目指す。成功するための怪しげなメソッドを出版してひと儲けをたくらむ父親。料理も作らず家族にフライドチキンばかり食べさせる母親。ニーチェに心酔して誰とも口をきかない兄。ゲイの恋人にふられて自殺未遂を起こしたプルースト研究家の叔父。ヘロイン吸引がやめられないワルでエロいじいさん。揃いも揃って(世間的には)負け犬で、お互いバラバラでいがみあってばかりの人たちが、旅の途中で起こるいくつかの小さな、そして大きな事件をきっかけに、少しずつ変わっていく。

クラッチが壊れたオンボロワゴンを、家族みんなで押しがけしながら、一人、また一人と走りながら車に飛び乗っていくシーンが、本当にすばらしくて、何度観てもじーんとする。「リトル・ミス・サンシャイン」に携わった人たちは、このシーンを撮りたいがためにこの映画を作ったのではないかと勘ぐってしまいたくなる(笑)。三年ぶりに観ても、やっぱり、しみじみいい映画だった。Apple TVを買ってはみたものの、さて何をレンタルしようかと迷っている方には、この「リトル・ミス・サンシャイン」をおすすめしたい。

ちなみに僕は、Apple TV自体からレンタルできるHD画質版を選んだのだが、画質や音質は申し分ないクオリティで、快適に観ることができた。パソコンのiTunesからは100円ほど安いSD画質版もレンタルできる。それほど大きくないテレビなら、そちらでも十分だと思う。