Category: Review

「ソーシャル・ネットワーク」

夕方頃までに仕事が落ちついたので、ひさしぶりにApple TVで映画をレンタルした。選んだのは、観たいと思いつつも映画館に行きそびれてしまった「ソーシャル・ネットワーク」。世界最大のソーシャル・ネットワーク・サイト、Facebookの誕生にまつわる実話のエピソードを、デビッド・フィンチャーが映画化した作品だ。

ハーバート大学に通うマーク・ザッカーバーグは、天才的なプログラミング能力の持ち主だが、大学のクラブに入れないことなどを根に持つ劣等感のカタマリ。女の子にふられた腹いせに、大学のサーバをハッキングして女子学生の人気投票サイトを作ってしまうなど、性格は最悪(苦笑)。だが、それが一種のきっかけになって生み出されたFacebookは、あっという間にアメリカを、そして世界を席巻し、5億人のユーザーが集まる巨大ネットワークに成長する。一気に億万長者へと昇り詰めていく過程の裏で、結果的にマークは、何人もの人を、そして唯一の親友をも裏切ることになってしまう‥‥。

友人との関係をよりよいものにするために使われている世界最大のソーシャル・ネットワークが、まさか、こんなギスギスした人間関係の中で生み出されたとは、想像もしていなかった。正直、こんな会社で働きたくはないな(苦笑)。周囲の人との関わりを大切にしてこそ、仕事で何かを成し遂げることに価値や喜びが生まれると思うのだが‥‥。

5億人のユーザーが集まるソーシャル・ネットワークを作り上げた男は、孤独の中にいる。ラストシーンにかすかな救いがあったのでちょっとほっとしたが、現実の世界に生きるマーク・ザッカーバーグは、はたして今、どんな思いでいるのだろうか。

iPad 2

iPad 2が家に届いてから、10日ほど経った。僕が買ったのは、一番安いWi-Fiのみの16GB、ブラックモデル。家ではもっぱら、ソファでくつろいでいる時に触っている。

そう、「触って」しまうのだ。iPad 2とはどんなものか、僕なりにひとことで言い表すと、「そばにあると、ついつい触ってしまうガジェット」ということになる。

土屋智哉「ウルトラライトハイキング」

僕が住んでいる三鷹に、ハイカーズデポという小さなアウトドアショップがある。駅の南口から歩いて15分ほど、デイリーズが入っているのと同じビルの一階。たしか、2008年の秋、僕がラダックでの長期取材から戻ってきたばかりの頃にオープンしたんじゃないかと思う。

僕自身は、そんなに足繁くハイカーズデポに通って買い物をしていたわけではないのだが、他の店とはひと味違った、シンプルで軽快なウェアやグッズの品揃えは、前々から気になっていた。店主の土屋さんもアウトドア雑誌でよく見かけるようになり、先日、ついに「ウルトラライトハイキング」という本まで出されたのを知った。

ウルトラライトハイキングとは、アメリカの数百キロから数千キロに及ぶロングトレイルを踏破するスルーハイカーたちによって考案されたハイキングの手法だ。装備を徹底的に軽量化し、必要なアイテム数を最小限に絞り込むことで、装備を背負う身体にかかる負担を減らし、長い距離を快適に歩き続けることを目指しているのだという。

日本でこうしたテーマについての本を作ろうとすると、ウェアやグッズをずらずらと紹介するものになってしまいがちだが、この「ウルトラライトハイキング」は、そうしたカタログ的な本とは一線を画している。ウルトラライトハイキングとは、最新のハイテク素材で作られたおしゃれなグッズを揃えて悦に入ることではない。工夫を凝らしたシンプルな装備で山に分け入って、自然とのかかわりや一体感をよりダイレクトに感じ、愉しむという行為なのだ。この本ではウルトラライトハイキングについてのそうした考え方とともに、実践にあたっての基本的な知識が、わかりやすい形で紹介されている。ふんだんに添えられたポップなイラストも感じがいい。

僕がラダックでトレッキングをくりかえしていた頃は、装備と食糧は馬やロバに運んでもらっていたものの、自分自身は撮影機材が詰まったカメラバッグをひーこら言いながら担いでいたので、とてもウルトラライトとは言えなかったと思う(苦笑)。でも、現地で旅をともにしたホースマンたちの装備の潔さにはいつも感心させられていたし、厳寒期のチャダル・トレックに臨む前、友人のパドマ・ドルジェに「テントもストーブも必要ない」とこともなげに言われた時には度肝を抜かれた。ラダックやザンスカールの人々にとって、最小限のシンプルな装備で旅をすることは、日々の生活に直結したごく当たり前の知恵なのだけれど。

もう少しいろいろ落ちついてきたら、ひさしぶりに丹沢や奥多摩、奥秩父を歩いてみようかな。自分にできる範囲で、ウルトラライトに。

「海炭市叙景」

観終わった後に残るのは、暗く、苦く、やりきれない思い。でも、たとえようもなく美しい映画だった。

小説家、佐藤泰志は、村上春樹や中上健次と並び評される才能の持ち主だったが、不遇の果て、1990年に自らの命を絶った。彼が生まれ故郷の函館をモデルにした「海炭市」を舞台に描いた未完の連作短編集をもとに生まれたのが、この「海炭市叙景」。映画の制作は函館市民の有志によって企画され、地元の人々の全面的な協力を受けて撮影が行われたという。

スクリーンに映し出される「海炭市」の空は、濡れ雑巾のような雲がたれ込め、雪混じりの風が吹き荒んでいる。造船所の仕事を失って途方に暮れる兄妹。豚小屋とそしられる古い家から立ち退きを迫られている老婆。水商売の仕事をしている妻の浮気を疑う夫。新しい事業も再婚相手ともうまくいかず苛立つガス屋の若社長。路面電車の運転手と、ひさびさに帰郷したのに会おうとしないその息子‥‥。幸せな人は、たぶん、一人もいない。誰もが何かに行き詰まり、涙や後悔や苦い思いを噛みしめている。カメラは淡々と、しかしどこか優しいまなざしで、彼らの姿を追う。

時代に取り残され、ひっそりと朽ちていく「海炭市」は、もしかすると、誰の心の中にもある故郷の姿なのかもしれない。そこにいても、いいことなんて、何一つない。できることなら、何もかも投げ出したい。だけど、それでも‥‥。

「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」。その一言が、今も胸の裡に響いている。

アン・サリー「fo:rest」

去年の暮れ、アン・サリーが三年ぶりに新譜「fo:rest」をリリースしたことを知った。今のところ、コンサート会場とレーベルのWebサイトだけでの限定販売だという。さっそく注文して取り寄せてみた。

歌い手であると同時に、医師であり、二児の母でもあるアン・サリー。彼女の歌声には、その時々の彼女の人生が色濃く反映されている。クリスタルのように透き通る歌声が鮮烈だった初期の作品群。ニューオリンズでの三年間の体験から作られた「Brand-New Orieans」。母性愛が惜しみなく注ぎ込まれた「こころうた」。今回の「fo:rest」でのアン・サリーの歌声は、以前よりもさらにしっとりと深みを増した印象を受ける。さまざまな「命」と向き合う彼女の日々の生活が、そうした深化に繋がっているのかもしれない。

自身の作詞・作曲によるオリジナル曲をはじめ、ジョニ・ミッチェルやキャロル・キング、リンダ・ルイス、果ては松田聖子(!)の曲までカバー。ボサノヴァの定番が二曲収録されているのも個人的にはうれしい。わかりやすい華々しさは微塵もないけれど、何度でも、いつまでも聴き続けられるような、愛すべき小品に仕上がっていると思う。

このアルバムを聴いていると、冬の安曇野の森の中を一人で歩いていた時のことを思い出した。誰もいない、残雪が白く残る木立の間を、吹き抜けていった風。「fo:rest」というタイトルが意味するものは、「森」であると同時に「安らぎ」でもあるのだろう。