Category: Review

「おおかみこどもの雨と雪」

細田守監督の最新作「おおかみこどもの雨と雪」は、日本に戻ったらすぐ観に行かなければ、とずっと気になっていた映画だった。で、昨日新宿の映画館に行くと、上映の二時間前からすでに席が売り切れていて、別の映画館でようやくすべり込めたという次第。

東京の西の外れ(国立らしい)の大学に通う花は、人間の姿に身をやつして生きる“おおかみおとこ”と出会って恋に落ち、一緒に暮らしはじめた。やがて二人の間には、雪の日に生まれた姉の「雪」と、雨の日に生まれた弟の「雨」という“おおかみこども”が生まれる。しかしある日、父親の“おおかみおとこ”はあまりにも唐突に命を落とす。大切な心の支えを失った花と二人の子供たちは、東京を離れ、人里離れた山奥の古民家で暮らすようになった‥‥。

人間とおおかみの二つの顔を持つ“おおかみこども”という設定はまぎれもなくファンタジーなのだが、この映画での花と子供たちの暮らしぶりは、とても丁寧で細かく、地味といっていいくらい現実味のある描かれ方をしている。「時をかける少女」のような切なく甘酸っぱい青春物語でもなく、「サマーウォーズ」のように爽快な冒険活劇でもないけど、この「おおかみこどもの雨と雪」では、穏やかで何気ない、でも確かなものが語られている。

子供が成長し、自分の居場所ややりたいことを見つけると、やがて、自分の生き方を選ぶ時が来る。子供にとってそれを選ぶのは覚悟が要ることだが、親にとっても、子供が生き方を選ぶのを黙って見守ることには勇気が要る。僕は親の立場になった経験はないから偉そうなことは言えないけれど、子供が誇りを持って生き方を選べる人間になれるように育てることは、親の一番大切な役割なのではないかと思う。昨年他界した僕の父は、僕が進学や仕事に関わることでどんな選択をしても、ずっと僕を信じて、辛抱強く見守っていてくれた。そのことには、本当に感謝している。

雨が自分の生き方を選んだ時、花は笑顔で「しっかり生きて!」と言った。あのひとことに、この映画のすべてが込められていたような気がする。

「ル・アーヴルの靴みがき」

奇才という言葉がこれほど似合う人はいないであろう映画監督、アキ・カウリスマキの五年ぶりの新作「ル・アーヴルの靴みがき」を観に行った。フランス北部の港町ル・アーヴルで、靴磨きをして生計を立てる初老の男マルセルと、妻のアルレッティ、犬のライカ。つつましい暮らしを送る彼らの前に、アフリカから来た不法移民の少年イドリッサが現れる。マルセルが次第にイドリッサに深く関わるのと時を同じくして、アルレッティは病に倒れて入院し、医師から余命いくばくもないと告げられる‥‥。

徹底的に決め込まれたカメラの構図やライティング、抑えた表情の俳優たち、独特の間合いでぽつぽつとやりとりされる台詞。リアリティからかけ離れた、どこか異世界に迷い込んだかのようなカウリスマキ節はこの作品でも健在で、いつのまにかどっぷり引き込まれてしまう。全編にわたってうらぶれた哀愁が漂う中、登場人物たちはとても穏やかで、時に滑稽で、そして温かい。イドリッサをめぐる騒動の渦中で、マルセルと周囲の人々が惜しみなく善意を差し出していくさまも、こちらには何の嫌味もなくスッと受け止められる。特に、モネ警視‥‥カッコよすぎる!(笑)

ラストシーンについて書くのは野暮なことだが、誰もが「ええ〜っ!」と驚く展開なのは間違いない。思うに、ストーリーとしてそういう結末になったこと自体には、さしたる意味はないのかもしれない。何というか‥‥「世界は、こうあるべきだ! あなたも、そう思うでしょう?」と、最後の最後で突然、カウリスマキ監督がスクリーンからこちらに身を乗り出したかのような、そんな印象を受けた。

観終わった後、意外にも(笑)すっきりと気分の晴れる、いい映画だった。

謝孝浩「スピティの谷へ」

この「スピティの谷へ」という本の存在を初めて知ったのは、ずいぶん前‥‥僕がアジア横断の長い旅を終え、フリーランスの立場で物書きの仕事をするようになって、しばらく経った頃だったと思う。その時は、書店で気になって手に取ったものの、持ち合わせがなかったか何かで買わなかったのだが、「インドのこんな山奥のことを本に書く人がいるんだ」という記憶は頭の隅に残っていて、数年後に自分がラダック取材を思い立った時のヒントにもなった。そして一、二年ほど前、今はなき新宿のジュンク堂で、この本の在庫が残っていたのを見つけて購入。いろいろ落ちついたらゆっくり読もうと思い続けていたのだが、ようやく読み終わった。

僕自身、スピティには2008年の初夏に二週間ほど滞在したことがある。ラダックやザンスカールに比べると、スピティはどことなく穏やかで、谷間をゆるやかに吹き抜ける風の冷たさが印象的だった。特に、ランザという村の民家に泊めてもらった時に見た、透き通るような朝の光に包まれた村の風景は、忘れることができない。出会った村人たちのおっとりとした笑顔も、いつかまたここに戻ってきたい、と思わせるものだった。謝さんの文章には、そうしたスピティの穏やかな自然や人々の暮らしぶりが丁寧な筆致で描かれているし、二人のフォトグラファーによる写真の数々は、ページをめくるたびにスピティへの憧憬を後押しする(一人ぼっちであくせく取材してた身としては羨ましくもある、笑)。個人的には、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂の会場で、顔なじみの村人たちと次々に再会した時のくだりが、謝さんの人柄が表れている気がして、とてもいいなあと思った。

ただ、読み終わって感じたのは、謝さんはなぜスピティにそこまで惹かれたのか、ということ。紀行文にそういう書き手の個人的な心情を書き込むというのは、もしかするとスマートではないのかもしれない。でも、僕が「ラダックの風息」を書いた時は、自分がラダックに心惹かれた理由を突き詰めることにものすごくこだわったし、書くのに苦しんだし、それでも書き切れたという確信が持てないくらいだった。同じインドのチベット文化圏に心惹かれた人がなぜこの場所を選び、通い詰めたのか、その思いの根っこの部分をもっと知りたかったというのは正直な感想だ。

それでも、謝さんにとってスピティがかけがえのない場所だということは、この本から十二分に伝わってくる。あとがきにも書かれていたけれど、東京のような街で暮らしていても、遠い彼方にもう一つの大切な場所の存在を感じられるというのは、とても幸せなことだなと思う。

ボレアス ラーキン

ここ数年、ラダックやザンスカールで、かなりハードなトレッキングを何度となく繰り返してきた。その体験は他とは比べられないほど素晴らしいものだったけど、その一方で、僕が普段暮らしている東京近郊にも、美しい自然の残る場所はたくさんある。そういった身近な自然を見直す意味で、今年は東京にいる間も山を歩く機会を増やそう、と思っている。

山歩きの装備で、以前からずっと探していたのが、小型のバックパック。日帰りメインで、泊まるとしても小屋泊まりで一泊程度を想定して、20リットルくらいの手頃なものを物色していたのだが、先日、神保町の石井スポーツで偶然見つけたのが、ボレアスというメーカーのラーキンというバックパック。そのスマートさに完全に一目惚れして、衝動買いしてしまった。

ボレアスは、たぶん2011年頃に設立されたばかりの新しいメーカーだと思うが、アウトドア用の機能を十二分に持ちながら、街でも使えるバックパック、というのがコンセプトらしい。僕が買ったラーキンも見た目はシンプルな筒型のバックパックだが、下の方が細くなっているので、中にものを詰めると自然に重心が上の方に来る。バックパックは、重心が上にあると背負った時に軽く感じられるのだ。容量は18リットルだが、ウインドブレーカー、レインポンチョ、タオル、水筒やペットボトル、携帯食糧などを詰めてもまだ余裕があった。

上部と左右にジップポケットがあるほか、正面にあるストレッチ素材の大きなポケットがとても便利。普段使わないギアループの類は、スリットの中に隠れる構造になっている。EVAフォームとメッシュを使った背面パネルやショルダーハーネスは蒸れにくい構造になっていて、実際に使ってみても快適だった。重量は500グラム程度ととても軽く、造りは華奢なもののそれなりにしっかりしていて、ウルトラライト系のバックパックのようにはらはらする感じはない。

東京近郊での山歩きや自転車での遠乗りなど、僕の使用目的にとっては非の打ちどころのない、優秀なバックパック。もっと大きなバックパックを買い替える時は、またボレアスにしようかなと考え中。ただ、そういう大型のタイプを海外旅行に使う場合、空港で預ける時に手荒に扱われると、強度的にちょっと不安があるかな。一回り大きな袋にくるんで預けるとか、作戦を立てる必要があるかも。

リコー GR DIGITAL IV

僕が旅先で写真を撮る楽しさを初めて知ったのは、リコーのGR1というカメラだった。それがデジタルとなったGR DIGITALも、2005年に発売された初代をずっと愛用してきた。ただ、さすがに七年前のコンデジとなると、普段使いはともかく、仕事のサブカメラとしては画素数や画作りの面でかなり厳しい。ほかのメーカーのカメラもいくつか検討したのだが、手にした時にしっくりくるホールディングや操作感、写りの好みを考え合わせた結果、「やっぱりGRだな」という結論に達して、GR DIGITAL IVを手に入れることにした。