Category: Review

「風立ちぬ」

「風立ちぬ」

宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、観る人によって極端に評価が分かれる作品だと思う。男性と女性とでは受け止め方がまるで違うだろうし、夢見心地のファンタジーや血湧き肉踊るカタルシスを求める人には肩すかしだろう。「沈頭鋲」とか言われても、子供にはチンプンカンプンだろうし。今までのジブリ作品のように、100人中100人が「面白い」と思う映画ではない。

でも僕は、それでよかったんじゃないかなと思う。これは、宮崎監督自身も未だに答えを見出せない衝動に突き動かされて作られた作品だ。個人的な動機で生まれた作品にしか宿らない力のようなものは、確かにある。その力は、すべての人には届かないかもしれないが、届く人には、心の深いところを揺さぶることができる。

「美しい飛行機を作りたい」という幼い頃からの夢を抱いて成長した青年は、自分の設計する飛行機が人殺しのために使われると知りつつも、その矛盾を抱えたまま仕事に没頭する。最愛の妻が病の床に伏しても、彼は仕事から離れることができない。彼が設計した美しい飛行機、九試単戦が軽やかに空を舞った時、彼の脳裏をよぎったのは‥‥。

わかりやすい答えや救いは、何も示されない。青年は苦い思いを噛みしめながら、飛行機の墓場のような荒野に佇む。それでも彼は、生きていかなければならない。どれだけズタズタに引き裂かれたとしても。

それはたぶん、僕たちも同じだ。

「スタンリーのお弁当箱」

「スタンリーのお弁当箱」

昨日は、シネスイッチ銀座で公開中の「スタンリーのお弁当箱」を観に行った。今年に入って、すでに何度目かのインド映画鑑賞。まさかこんな日々が来るとは(笑)。

芝居っ気と茶目っ気で学校でも人気者のスタンリーは、なぜか学校にお弁当を持ってこない。昼休みになっても、みんなに嘘を言って外に出ては、水道の水を飲んでごまかしたりしている。見かねたクラスの友達は、スタンリーにお弁当を分けてあげるのだが、異様なまでに食いしん坊のヴァルマー先生が、それを見つけてひと悶着‥‥。

この作品は、毎週土曜日に学校で開催する映画のワークショップとして、デジタル一眼レフで撮影された映像を基に作られた。登場する子供たちは、最後の最後まで映画撮影だとは知らなかったそうで、キアロスタミの作品を思わせる自然で柔和な表情も、それで納得がいく。アモール・グプテ監督は、類まれな芸術の才能を持つディスクレシア(発達障害)の少年を主人公にしたアーミル・カーン監督・主演作「Taare Zameen Par」において、脚本などで深く関わった人だそうだ。その時の経験から、子供たちに負担をかけずに自然な表情を捉えるために、こういう撮影方法を選んだのだろう。

この作品の宣伝コピーや予告編などを見ると、子供たちがとにかくかわいくて、うまそうなインドのお弁当がたくさん出てくる、ほっこり系映画なのかというイメージを持つ人も多いと思う。そういう側面もあるにはあるが、それでは正当な評価にはならない。この作品には芯にぴしっと一本通った形で、確かなメッセージが込められている。杓子定規な学校教育、理不尽な貧富の差、子供に対する虐待や労働の強制。それはまぎれもなく、今のインドの社会に対する痛烈な批判だ。ハッピーとは言い切れないエンディングまで観終わると、グプテ監督の意図は最初からそこにあったのだとわかる。

スタンリーのような、あるいはもっと苛酷な環境に置かれている子供は、インドには数えきれないほどいる。この映画を観たら、映画には出てこないそんな子供たちのことにも思いを馳せてもらえたらと思う。

関健作「ブータンの笑顔 新米教師が、ブータンの子どもたちと過ごした3年間」

関健作「ブータンの笑顔 新米教師が、ブータンの子どもたちと過ごした3年間」写真家の関健作さんと先日開催したモンベル渋谷店でのトークイベントの日は、関さん初の著書「ブータンの笑顔 新米教師が、ブータンの子どもたちと過ごした3年間」の発売日でもあった。発売までの紆余曲折をそこはかとなく聞いていたし、刷り上がりがイベント当日に間に合うかどうかも心配していたのだが、間に合ってよかった。イベント会場でも、大勢のお客さんが嬉しそうにこの本を買い求めていた。

関さんは青年海外協力隊の体育教師として、ブータン東部の辺境の地、タシヤンツェで三年間を過ごした。160ページの小ぶりなこの本には、関さんのその三年間の経験が、たくさんの写真とともにぎゅっと凝縮されている。日本とはあまりにもかけ離れた文化と価値観に戸惑い悪戦苦闘するうちに、関さん自身も、教え子の子供たちも、少しずつ変化していく。うまくいったことも、そうでなかったことも、関さんらしい真っ正直な文章で綴られているので、とても好感が持てた。

学生時代、陸上競技ひと筋で生きてきた関さんが挫折を味わい、新しい生き方を模索している時に、こういう形でブータンと関われたのは、とても幸せなことだったのではないかと思う。自分一人で完結する願望や満足のためではなく、その先につながる誰かのために何ができるのかを考えて生きるということ。ブータンから戻ってきた関さんが、写真家としてブータンと向き合う道を選んだ理由も、この本を読むと腑に落ちる。僕自身、かつて陸上競技で大きな挫折を経験したり、ラダックと関わって価値観や生き方が変わったりもしたから、共感できる部分もたくさんあった。

この本は、関さんにとってのひと区切りであると同時に、最初の一歩でもある。写真も、言葉も、これからもっともっと積み重ねられるはず。その先につながる誰かのために、これからもブータンと向き合い続けてほしいと思う。

「サニー 永遠の仲間たち」

「サニー 永遠の仲間たち」

先日観た「きっと、うまくいく」についてのWeb上での反応を見ていたら、かなり多くの人が、この「サニー 永遠の仲間たち」と比べて感想を書いていた。僕もこの映画の予告編を目にした記憶はあったのだが、本編は見逃してしまっていたので、Apple TVで借りて観てみることにした。

「セブン・シスターズ」とは、韓国ではトラブルメーカーの高校生を意味する隠語なのだという。この映画の七人の主人公たちは、文字通りのセブン・シスターズ。ラジオ番組から「サニー」というグループ名をつけてもらった七人は、向かうところ敵なしのハチャメチャに楽しい日々を過ごしていた。ある事件が起こるまでは‥‥。それから25年。余命二カ月の末期ガンに侵された元リーダーのチュナは、病院で偶然再会した仲間のナミに言う。「死ぬ前にもう一度、サニーのみんなに会いたい」と。

1980年代と現代のソウルを行き来して展開されていく物語。記憶の中の日々は明るい色彩と輝きに満ちていて、誰もが希望にあふれた人生と、変わることのない友情を信じて疑わなかった。散り散りになっていた今の彼女たちは、それぞれの事情やしがらみのせいで、必ずしも思い描いていた人生を歩めてはいない。それでも、チュナの呼びかけをきっかけに、彼女たちは気づくのだ。もう一度、なろうと思えばなれるのかもしれない。自分自身の人生の主役に。

チュナの余命という重い軸はあるものの、80年代のポップ・チューンに彩られたこの作品のトーンはとても軽やかで、コミカルな場面もたくさんある。だからこそ、観ていて余計にせつなくなる。もう、取り戻すことのできない時間。それでも、彼女たちは軽やかにステップを踏む。何度も、何度でも。

「きっと、うまくいく」

「きっと、うまくいく」(3 Idiots)

昨日は、映画「きっと、うまくいく」(3 Idiots)を観に行った。上映終了後にいとうせいこうさんとスチャダラパーのBOSEさんのトークショーがある午後の回を狙っていたのだが、先週末に公開されて以来のクチコミ人気の異様な盛り上がりに加え、上映館のシネマート新宿は月に一度の1000円サービスデー。うかうかしてると絶対に席が取れないと思ったので、午前中のうちに早めに家を出て、無事に狙った回の中央前よりの席をゲットした。案の定、その回も次の回も立見が出るほどの盛況だったとか。

この作品のレビューは以前ラダックの知人宅で英語字幕版を観た後にも書いたけれど、今回日本語字幕で観たことで細かい台詞にも張り巡らされた伏線を理解できて、あらためていろいろ腑に落ちた。台詞が(特に日本語字幕にすると)どぎついところや演出がベタすぎるところもあるのは確か。ケチをつけたくなる映画ファンがいるのもわかる。でも、そういうもろもろを含めての振り切ったイキオイのようなものが、この作品の魅力なのだと僕は思う。観客の喜怒哀楽の感情を上下左右ぐわんぐわんに揺さぶって、最後の最後にラダックの荒野からパンゴン・ツォの青へと突き抜けるのだから、観終えた後の爽快感も納得だ。

僕も、世間にとらわれず自分らしく生きることを、もう一度思い出そう。Aal Izz Well。