Category: Review

Keen Owyhee

owyhee東南アジアやインドなど、暑い国へと旅する時、履いていく靴にサンダルを選ぶ人は多いと思う。僕自身、この秋のタイ取材ではサンダルを選ぶことにしたのだが、購入の際にはいくつかのポイントがあった。

まず、単につっかけるタイプではなく、足首の下までホールドできて脱ぎ履きが簡単なもの。ソールは長時間の歩行に耐えるしっかりしたもの。少々踏まれたりぶつけたりしても大丈夫なように、つま先とかかとがある程度保護されているもの。こうした条件をふまえて選んでいくと、キーンのOwyhee(オワヒーと読むらしい)に行き当たった。

で、タイで四週間、このOwyheeを履き倒してきたわけだが、結論から言うと、大当たり。ワンタッチで締めたり緩めたりできるクイックドローコードで脱ぎ履きは簡単だし、しっかり締めれば普通のアウトドアシューズと同じ感覚でガシガシ歩ける。毎日何時間も歩き回っても、靴擦れはまったくなし。つま先とかかとがむき出しではなく保護されているので、人混みの中でも踏まれるのをあまり気にせず歩けたのも助かった。帰国時などちょっと寒い時は薄手のソックスを履いたのだが、パッと見は普通の靴みたいに違和感がない。

ある程度旅慣れている人ならわかると思うが、旅先で靴が原因のトラブルに遭遇すると、結構大変だ。靴擦れになったり爪を痛めたりすると歩きにくくてたまらないし、踏まれたりしたケガが化膿するとさらにきつい。足元が気になって旅が楽しめないなんて、もったいない以外の何物でもない。そういう意味では、このOwyheeは暑い国への旅にはうってつけの一足だと思う。

MacBook Pro Retina 15-inch Late 2013

mbpretina自宅で仕事に使うMacを四年ぶりに買い替えた。使いはじめて三週間ほど経ち、いろいろ落ち着いてきたので、使用感などについてまとめてみようと思う。

新しく導入したのは、2013年秋に発売されたMacBook Pro Retinaディスプレイ15インチモデル(2.3GHzクアッドコアIntel Core i7、メモリ16GB、SSD512GB、キーボードをアップルストアでUS配列にカスタマイズ)。ほぼ同時に、通信&バックアップ環境も2013年6月に発売されたTime Capsule 2TBに入れ替えた。

前に使っていた2009年モデルのMacBook ProからTime Capsule経由でデータを移行した直後は、スリープ時にTime Machineバックアップがうまく動作せず、Mac側でTime Capsuleの認識が外れてしまう謎の現象が起こったのだが、アップルのサポートのアドバイスで、Time Capsuleの初期化と省エネルギー設定の変更(「Wi-Fiネットワークアクセスによるスリープ解除」のチェックボックスを外す)をしたところ、それも解消。今は何の問題もなく、快適に使えている。

夏葉社「本屋図鑑」

夏葉社「本屋図鑑」ここ最近、スタイリッシュで個性的な書店を特集した雑誌や書籍がいくつか出ていたけれど、夏葉社の「本屋図鑑」はそれらとは明らかに違う毛色の一冊だ。この本で紹介されているのは、全国津々浦々、すべての都道府県から選ばれた、普通の街の「本屋さん」。二十坪ほどの小さな店もあれば、郊外の大型店もあり、日本最北端と最南端の店や、三百年も前に創業した店もある。でも、すべての店に共通しているのは、地元の人々の日々の生活に溶け込み、親しまれている「本屋さん」だという点だ。

この本の取材を手がけたのは、夏葉社の島田さんと、編集者の空犬太郎さん。それぞれの本屋さんの成り立ちや、棚作りのこだわり、書店員さんのコメントなどが、淡々と穏やかに、温かみのある文章で紹介されている。得地直美さんが描いたそれぞれの本屋さんのイラストも、その本屋さんの醸し出す雰囲気をじんわりと伝えてくれる。本と本屋さんをこよなく愛する、島田さんらしい一冊だなと思う。

僕自身、小さい頃から本屋さんに行くのは大好きだったし、本好き雑誌好きがこじれて今の仕事を選んだわけだが(苦笑)、本当の意味で街の本屋さんの仕事にリスペクトを抱くようになったのは、単著で自分名義の本を出すようになってからだと思う。雑誌の編集者やライターだった頃は、発売日の頃に店頭で自分が関わった雑誌を見かけても、正直、それほどあれこれ考えたりはしなかった。でも、自分名義の本となると、取り扱ってくれない店ももちろんあるし、入荷していても棚での扱われ方はさまざまだったりする。そうして本屋さんの棚の様子を前よりじっくり観察するようになり、それぞれの本屋さんがどんな意図で棚作りをしているのかを、いろいろ考えるようになった。

洗練された内装や什器を備えた立派な店でなくても、きちんと手入れが行き届いた棚作りをしている本屋さんは、すぐにそれとわかる。そうした本屋さんでは、店内をぶらつきながら背表紙を眺めているだけで、すごく楽しい。そんな書店員さんの日々の仕事の積み重ねがあるからこそ、自分たちが作った本は読者の元にまで届けてもらえるのだということを、忘れてはならないと思っている。

2000年の時点で日本全国に2万店以上あった本屋さんは、今では1万4000店程度にまで減少しているという。本が売れない時代と言われ続けて久しいけれど、僕らはもう一度、家の近所に本屋さんがあることのありがたさを見直してみるべきじゃないかと思う。

「風立ちぬ」

「風立ちぬ」

宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、観る人によって極端に評価が分かれる作品だと思う。男性と女性とでは受け止め方がまるで違うだろうし、夢見心地のファンタジーや血湧き肉踊るカタルシスを求める人には肩すかしだろう。「沈頭鋲」とか言われても、子供にはチンプンカンプンだろうし。今までのジブリ作品のように、100人中100人が「面白い」と思う映画ではない。

でも僕は、それでよかったんじゃないかなと思う。これは、宮崎監督自身も未だに答えを見出せない衝動に突き動かされて作られた作品だ。個人的な動機で生まれた作品にしか宿らない力のようなものは、確かにある。その力は、すべての人には届かないかもしれないが、届く人には、心の深いところを揺さぶることができる。

「美しい飛行機を作りたい」という幼い頃からの夢を抱いて成長した青年は、自分の設計する飛行機が人殺しのために使われると知りつつも、その矛盾を抱えたまま仕事に没頭する。最愛の妻が病の床に伏しても、彼は仕事から離れることができない。彼が設計した美しい飛行機、九試単戦が軽やかに空を舞った時、彼の脳裏をよぎったのは‥‥。

わかりやすい答えや救いは、何も示されない。青年は苦い思いを噛みしめながら、飛行機の墓場のような荒野に佇む。それでも彼は、生きていかなければならない。どれだけズタズタに引き裂かれたとしても。

それはたぶん、僕たちも同じだ。

「スタンリーのお弁当箱」

「スタンリーのお弁当箱」

昨日は、シネスイッチ銀座で公開中の「スタンリーのお弁当箱」を観に行った。今年に入って、すでに何度目かのインド映画鑑賞。まさかこんな日々が来るとは(笑)。

芝居っ気と茶目っ気で学校でも人気者のスタンリーは、なぜか学校にお弁当を持ってこない。昼休みになっても、みんなに嘘を言って外に出ては、水道の水を飲んでごまかしたりしている。見かねたクラスの友達は、スタンリーにお弁当を分けてあげるのだが、異様なまでに食いしん坊のヴァルマー先生が、それを見つけてひと悶着‥‥。

この作品は、毎週土曜日に学校で開催する映画のワークショップとして、デジタル一眼レフで撮影された映像を基に作られた。登場する子供たちは、最後の最後まで映画撮影だとは知らなかったそうで、キアロスタミの作品を思わせる自然で柔和な表情も、それで納得がいく。アモール・グプテ監督は、類まれな芸術の才能を持つディスクレシア(発達障害)の少年を主人公にしたアーミル・カーン監督・主演作「Taare Zameen Par」において、脚本などで深く関わった人だそうだ。その時の経験から、子供たちに負担をかけずに自然な表情を捉えるために、こういう撮影方法を選んだのだろう。

この作品の宣伝コピーや予告編などを見ると、子供たちがとにかくかわいくて、うまそうなインドのお弁当がたくさん出てくる、ほっこり系映画なのかというイメージを持つ人も多いと思う。そういう側面もあるにはあるが、それでは正当な評価にはならない。この作品には芯にぴしっと一本通った形で、確かなメッセージが込められている。杓子定規な学校教育、理不尽な貧富の差、子供に対する虐待や労働の強制。それはまぎれもなく、今のインドの社会に対する痛烈な批判だ。ハッピーとは言い切れないエンディングまで観終わると、グプテ監督の意図は最初からそこにあったのだとわかる。

スタンリーのような、あるいはもっと苛酷な環境に置かれている子供は、インドには数えきれないほどいる。この映画を観たら、映画には出てこないそんな子供たちのことにも思いを馳せてもらえたらと思う。