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「亀時間 鎌倉の宿から生まれるつながりの環」

「亀時間 鎌倉の宿から生まれるつながりの環」鎌倉の材木座にある古民家ゲストハウス「亀時間」。僕はまだ泊まらせてもらったことはないのだが、今までに二度、足を運んでいる。それは、この場所で年に一度開催されている「旅人バザール」というフリマイベントの時。そのうち最初の訪問では、僕自身がそのフリマの出展者という立場だった。

その時の僕は、歴史のある建物に隅々まで丁寧に手を入れて心地いい空間を作り上げたオーナーのマサさんやスタッフの方々の誠実さと、材木座の街並や人々、海や山や空など、周囲を取り巻くすべてがこの「亀時間」を作り上げているのだな、という印象を持ったのを憶えている。この素晴らしい場所に根ざし、ゆったりとした時間の中でゲストハウスを営むという生き方が、うらやましくも思えた。

このゲストハウスについての本を作りたいという話は、ずっと前に旅音さんから聞いていたのだが、企画が通るまでの紆余曲折と、制作に入ってからの苦労話もいろいろ伝え聞いていたので、それが「亀時間 鎌倉の宿から生まれるつながりの環」として一つの形になったことは、うれしかったし、ほっとした。世の中には、読まれていくべき本というものがあると思うから。

マサさんが長旅の中でムビラという生き甲斐の一つを見つけ、それを続けるための仕事と生活を自ら作り出すという発想の転換から、鎌倉でゲストハウスを開業するまでの日々と思いが、この本では「亀時間」そのもののように誠実な筆致で綴られている。特に、材木座で放置されていた古民家と運命的にめぐり会い、仲間と悪戦苦闘しながらゲストハウスを作り上げていくまでの過程が、生き生きと語られていて面白い。「亀時間」という場所が、たくさんの仲間や地元の人々に支えられながら生まれてきたことが、あらためてよくわかった。

会社員時代の安定した収入と引き換えに得たものは、地域の人々と助け合える関係と、その中で好きな仕事ができる喜び、そして家族とゆっくり過ごせる時間。マサさんが「亀時間」を通じて選び取ったその生き方は、きっと多くの人にとって何かのヒントになるんじゃないかと思う。

奥華子「君と僕の道」

「君と僕の道」約一年間の充電期間を経て、先日リリースされた奥華子の新しいアルバム「君と僕の道」。聴いてみて感じたのは、いい感じに肩の力が抜けた、等身大の彼女に近いアルバムだな、という印象だった。特に「ピリオド」と「10年」という曲は、初めて聴いた瞬間にぐっと胸に迫るものがあった。

暗い淵に佇むような曲もあれば、眩しさに目を細めたくなるような曲も、時を経ても変わらぬ絆をふりかえる曲も、傷だらけになりながらも前に進もうとする曲もある。そのどれもが、現時点での素の彼女自身から生まれた音楽だし、その曲たちを「今はこれでいいんだ」と彼女自身が肯定した上で、聴き手に差し出しているのがわかる気がする。それは、彼女自身があるがままの自分をポジティブな気持で捉え直したということでもあるのだろう。

今までに選んできた道が結果的に遠回りだったとしても、それを否定したり後悔したりする必要はない。大切なものを失った悲しみも、二度と立ち直れないと思えるほどの苦しみも、すべてはきっとこれからの道につながっていく。人間はしょっちゅう泣いたり笑ったり迷ったりしながら、それぞれの道を辿っていくのだと。

僕の道は、これからどこにつながっていくのかな。

「デリーに行こう!」

「デリーに行こう!」

2月15日(土)から公開されるインド映画「デリーに行こう!」の試写会に招待していただいたので、今日の午後、観に行ってきた。そういえば、映画美学校の試写室に入ったのは初めてだ。

デリーに行こう!」についての情報は、松岡環さんのブログなどで目にしていた。エリートキャリアウーマンのミヒカと、がさつなおっさんのマヌが、ひょんなことから道連れになって、デリーに行こうとするのだが、トラブルに次ぐトラブルで、なかなか辿り着けない‥‥という、インドのラジャスタンを舞台にしたロードムービーだという。そう聞いて僕は、インドのテレビドラマとかでよくある、典型的なベタでハチャメチャなコメディ(オーバーすぎる演技とかBGMとか、それはそれで好きなのだが)なのかなという先入観を持っていた。

ところがこの映画、思いのほか丁寧ですっきりした作りで、ベタなノリが苦手な人にも、王道を行くコミカルなロードムービーとして十分楽しめる。砂漠の星空と夜明け、ラクダが牽く荷車、列車の窓から吹き込む風‥‥。最初は高飛車で潔癖性だったミヒカも、旅の中で少しずつ変わっていく。トラブルに遭うたび「たいしたことはない!」と言い放っていたマヌの口ぐせも、物語の最後に、ちゃんと腑に落ちる。単なるコメディではない深みのようなものがある。

でも思うのだが、インドを訪れる日本人の旅行者にも、インドのもろもろに対してミヒカ並みに潔癖なリアクションをしてる人って、結構多いんじゃないかなと思う。僕はもう、何だかすっかり慣れてしまったのだが‥‥その方が変なのかな?(笑)

「旅人は夢を奏でる」

「旅人は夢を奏でる」

ミカ・カウリスマキ監督によるフィンランドを舞台にしたロード・ムービーと聞くと、何だかそわそわして、観ておかなければ、という気になってしまう。「旅人は夢を奏でる」は、その期待を裏切らない佳作だった。

主人公のティモは、フィンランドで成功を収めたピアニスト。でも、その生真面目すぎる性格に耐えられなくなった妻は、幼い娘を連れて実家に戻ってしまった。そんなティモの前に、三歳の時に別れて以来音信不通だった父、レオが現れる。やることなすこと破天荒なレオがどこからか用意してきた車で、なぜか旅に出ることになってしまったティモ。その行く先には、彼の知らない秘密が数多く待ち受けていた‥‥。

「ここはこうなるのかな」という想像を常にちょっとずつ裏切っていく展開が続く、ユーモアと温もりと、そして一抹の寂しさが漂う映画。レオ役のヴェサ・マッティ・ロイリはフィンランドの名優でありミュージシャンでもある人だそうで、ティモ役のサムリ・エデルマンも著名なミュージシャン。映画の中で二人が歌と演奏を聴かせるシーンは、二人の関係が大きく変わるきっかけにもなった印象的な場面で、思わず拍手を贈りたくなった。

離ればなれに生きてきた息子に対する父の思いは、最後の最後に、何を変えたのだろうか。

ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」

「ブルックリン・フォリーズ」この「ブルックリン・フォリーズ」を買ったのは、確か一年以上も前。家の本棚の目立つ場所にずっと刺さっていたのだが、なぜか手に取らないままでいた。この間の年末年始に帰省する時、新幹線の中でようやく読みはじめたのだが‥‥もっと早く読んでおけばよかった。

ポール・オースターの小説は、徹底的に選び抜いて研ぎ澄ました言葉で、読者をぐいぐいと物語の渦に引きずり込んでいく作品が多かったように思う。だから、読む時もそれなりの集中力を使って対峙しなければならないような気がしていた。でも、この「ブルックリン・フォリーズ」は軽妙な語り口でさらりと読みやすい。主人公のネイサンがチラシの裏に日々書き殴っている「愚行の書」のように、「ひとつ話を書くとそいつがまた別の話につながって、それがまた別の話に」という感じで、ブルックリンに暮らす人々のそれぞれの物語が綴られていく。

物語に登場する人物の多くは、愚かな過ちや消えぬ哀しみを背負っている。でも、そんな弱さを抱えているからこそ、彼らは互いを支え合って生きていけるのではないかとも思う。オースター自身も暮らすブルックリンの街には、そんな傷ついた人々をゆるりと受け止めて包み込む、懐の広さがある。オースターが日本で知られるようになったのは、彼が脚本を手がけたブルックリンを舞台にした映画「スモーク」によるところが大きいと思うが、あの映画が好きな人なら「ブルックリン・フォリーズ」もきっと気に入るに違いない。

温かなまなざしで語られるこの愛すべき物語にも、慄然とするような現実の出来事が、暗い影を落とす。それもまた、忘れてはならないことだと思う。