Category: Review

「ジガルタンダ・ダブルX」

カールティク・スッバラージ監督の『ジガルタンダ』を前に観た時は、まさかまさかの展開が連続する巧みなプロットと、タミルのギャング映画ならではのケレン味とユーモアが満載の映像に、文字通り、度肝を抜かれた。その前作から九年の時を経て公開された『ジガルタンダ・ダブルX』。直接の続編ではない(ということにしておこう、でも実は……)のだが、前作とはまた違った意味で、度肝を抜かれた。これは、ものすごい映画だ……。

警察官としての内定をもらったばかりのキルバイは、謎の集団殺人事件に巻き込まれ、その犯人として収監される。出所と復職の条件は、マドゥライを根城にするギャング団「ジカルタンダ極悪同盟」のボス、シーザーを暗殺すること。キルバイは映像作家と名乗ってシーザーに接近し、彼を主役にした映画を撮ると見せかけて、暗殺のチャンスを伺うが……。

今回も、まさか、まさかの展開。前作のようにコミカルでシニカルな着地になるのかなと予想していたが、思いの外、ずしりとヘヴィな結末になだれ込んでいく。人も、えっそんなに?!と驚くほど、大勢死ぬ。こういう仕立てにしたのは、過去、そして今のインド社会に対する、監督自身からの痛烈なメッセージなのだろう。

その一方で、前作と同様、物語と映像の全編に溢れているのは、映画を撮るという行為に対する、絶対的な信頼と愛だ。斧や鉈よりも、拳銃やライフルよりも、8ミリフィルムカメラの方が、強力な武器になる。そのド直球な映画愛は、観ていて本当に清々しかった。

そして……そのうち来るのか、トリプルXが?

「PS1 黄金の河」「PS2 大いなる船出」

『Ponniyin Selvan(ポンニ河の息子)』は、1950年にラーマスワーミ・クリシュナムールティが雑誌で連載を始めた歴史小説で、最終的に全5冊にまとめられ、インドで大ベストセラー&ロングセラーとなった。9世紀から13世紀頃にかけて南インド一帯を支配していたチョーラ朝の歴史の中でも、10世紀頃の全盛期の王、ラージャラージャ一世が即位する直前の時代を舞台にしている。その小説が長い時を経て、ついに映画化された。「PS1 黄金の河」が前編、「PS2 大いなる船出」が後編となる。

というわけで、気合を入れて、前後編を観てきた。……いやー、濃かった。壮麗な映像から溢れ出る情報量があまりにも濃密で、観終わった後、ちょっとぐったりしながら映画館を出るはめになった(笑)。もちろん面白かったのだけれど、タミル映画ビギナーの人には、出てくる男性俳優がほぼ全員長髪髭面なので識別しづらいとか、物語に入り込むまでに、それなりのハードルの高さはあるかもしれない。

明確な主人公を据えない群像劇ではあるのだけれど、やはりもっとも重要な軸となるのは、第一王子アーディタと、彼と深い因縁を持つナンディニの悲恋の末路になるのかなと思う。あまりにも残酷な運命に翻弄されたナンディニを演じたアイシュワリヤー・ラーイの演技は、本当に見事だった。

「バーフバリ」や「RRR」のような映画が世界規模でヒットするようになって、この「PS1」「PS2」のような歴史大作も映画化される時代になったのは、インド映画界にとっても、それを日本の劇場で観ることのできる僕たちにとっても、良い傾向だな、と思う。

「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」


イギリス南部の街、キングスブリッジで暮らす、ハロルドとモーリーンの老夫婦。ある日、ハロルドのもとに、かつて地元のビール工場でともに働いていた女性、クイーニーからの手紙が届く。彼女はスコットランドとの境界に近い街ベリックにあるホスピスで、まもなく訪れるであろう最期の時を待っていた。返事の手紙をしたため、郵便ポストに投函しに出かけたハロルド。しかしなぜか、彼はそのまま歩き出していた。キングスブリッジからベリックまで、500マイルもの道程を。

「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」は、こうして出発した一人の老人の徒歩旅を描いた映画だ。原作小説の著者、レイチェル・ジョイスが、この映画の脚本も手掛けている。冒頭のあらすじや予告編の動画だけを見ると、友人を想いながら途方もない距離の徒歩旅に挑む主人公が、大勢の人々の感動を呼び起こすようなゴールを迎える作品なのかな……とうっすら思っていたのだが、その予想は良い意味で裏切られた。途中で道連れになった若者たちも犬も、やがては離れていき、ハロルドはたった一人でベリックを目指す。最愛の息子であったデイヴィッドに対する悔恨。かけがえのない友人であったはずのクイーニーに対する悔恨。取り返しのつかない過去に対する苦い思いを抱え、身も心もぼろぼろになりながら、ハロルドはベリックに辿り着く。そこで待っていたのは……。

レイチェル・ジョイスの著作には、この映画の原作になった作品のほかに、クイーニーの側から描いた物語と、モーリーンの側から描いた物語もあるという。二つのアザーストーリーと併せ読むことで、彼ら三人の想いが絡み合った物語は、はじめて完結することになるのだろう。

「タイガー 裏切りのスパイ」

サルマン・カーンとカトリーナ・カイフが凄腕スパイ夫妻を演じる「タイガー」シリーズの第三作。第二作は日本では劇場公開されていないのだが(僕はエアインディア機内で観た)、前二作をすっ飛ばして、いきなりこの作品だけ観ても、特に支障はない。前二作に加えて「パターン」を観ているとフフッとくる仕掛けも、もちろん随所にあるが。

元RAWのエージェント、タイガーと、元ISIのエージェント、ゾヤの夫婦は、オーストリアの湖畔の街で息子とともに暮らしていた。アフガニスタン潜入中に拘束されていたRAWのエージェント、ゴービーを救出するため派遣されたタイガーは、ゴービーが息を引き取る寸前に、ゾヤが二重スパイであると告げられる。半信半疑のまま、次の任務でサンクトペテルブルクに向かったタイガーは、思いもよらない窮地に追い詰められることになる……。

今回の敵役は、パキスタン国内で軍と結託して民主派の首相(ちなみに女性)を暗殺してクーデターを起こそうと企てている人物。その策謀を阻止するため、インドの元スパイであるタイガーが仲間たちとともに立ち向かうという筋立ては、ここしばらくナショナリズムに染まった作品の多いインド映画界においても、少し異彩を放っているように感じた。安易にインド中心主義でパキスタンを敵役にするのではなく、かの国にも善き人々はいるのだ、という……。ともすると、公開前からものすごいバッシングを受けかねない最近のインド映画界なので、ぎりぎりのバランスを探った結果のような印象を受けた。

物語の組み立ては、「パターン」に似ている部分もある。あるものを厳重な金庫から奪取するために潜入し、拘束されてから助っ人(笑)と協力して脱出し、最終決戦に臨む……という感じで。このシリーズは、基本的にタイガーとゾヤの強さがチートなので、今作でもそこまでピンチに陥ったりはしなかったのだが、今後、YRFスパイ・ユニバースの制作が進むにつれ、さらなる強敵と渡り合うようになる……のかもしれない。パターン対タイガーとか。そんな気がする(笑)。

「テルマ&ルイーズ」

30年以上前に公開されたリドリー・スコット監督の「テルマ&ルイーズ」が、監督自身の監修によって4Kレストアされた。未見だったこの映画を昨日観に行ったのだが……いやー、最高。不朽の名作と言われるだけのことはある。めちゃめちゃ面白かった。

横暴な夫に虐げられている専業主婦のテルマと、場末のレストランで給仕として働くルイーズ。ある週末、二人はオープンカーに乗って旅行に出かけるのだが、思いもよらない災難が次から次へとふりかかり、気がつけば警察に指名手配までされて、はるか彼方のメキシコを目指して逃げ続けるはめになってしまう。その逃避行を経るうちに、二人は……。

運が悪すぎる災難の連続で追い詰められているのに、逆にテルマとルイーズは、逃避行の旅を通じて、がんじがらめの日々から解き放たれ、自由と、本来の自分たちらしさを獲得していく。そのプロセスが、何とも言えず痛快で。物語に登場する男たちの大半が、固定観念に凝り固まったろくでもない連中ばかりだったのと対照的だった。ブラッド・ピット演じるJDの、あまりにもどうしようもない底なしのクズっぷりは、逆に面白くもあったけれど。

僕たちが生きている世界は、昔も今も、複雑で憂鬱で理不尽な現実に満ち満ちているけれど、テルマとルイーズを乗せたフォード・サンダーバードは、そんな世界を軽やかに飛び越えていく。彼女たちの物語が、これからの世界を生きる女性たちの希望になりますように。