Category: Review

「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」

Joni Mitchellジョニ・ミッチェルの名前は、ずいぶん昔から知っていた。彼女の曲は今もラジオでよく耳にするし、日本のミュージシャンでも彼女の曲をカバーする人は多い(ものすごく難しいらしいけど)。だからCDを手に入れてまとめてじっくり聴きたいと思っていたのだが、何しろ作品数が多いので、どこから手をつければいいのか迷っていた。

で、去年の暮れだったか、何気なくネットで検索したら、この「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」という、全盛期のアルバム10枚組ボックスセットが存在することを知った。しかも、その時のアマゾンでの値段が3254円。この名盤の数々が、1枚あたり325円で手に入るのだ。何だかジョニに対して申し訳ないような気分になったのだが、これを見つけたのも何かの縁だと思い、購入することにした。

ボックスに収められた10枚のアルバムはいずれも紙ジャケ仕様で、CDを頻繁に出し入れしていると傷がつきやすそうだ。僕はiTunesにリッピングして全曲まとめたプレイリストを作り、もっぱらAirPlayでステレオに飛ばして聴いている(iTunes Storeでダウンロード販売もしているが、値段はCDの倍近くする)。静かな夜に、小さな音量でひっそりと彼女の歌を聴くのはとても心地良い。

ジョニ・ミッチェルの音楽について、僕みたいな門外漢が知った風なことを書くのはおこがましいけれど、今の時代に彼女の曲を聴いていても、まったく古さを感じないというか、流行や時代感覚を超越してしまった孤高の音楽性のようなものを感じる。頬を撫でる風のような軽やかさと、暗い水の底に潜っていくような深みと。これからもずっと、多くの人々に聴き継がれていく音楽なのだと思う。

3月末に自宅で倒れているのが発見されて以来、今も入院して治療を受けているというジョニ・ミッチェル。彼女が再び元気な姿を見せてくれることを願って止まない。

ロープロ プロタクティック 350AW & 450AW

Lowepro Protacticしばらく前からの懸案だった取材用のカメラバッグの問題に、ようやく一つの結論を出した。選んだのは、ロープロのプロタクティック350AW。去年の秋にリリースされた、新しい設計のカメラバッグだ。

今回、選ぶ基準として考えていたのは、標準ズームをつけたカメラとレンズ2、3本、予備のカメラ、13インチくらいまでのノートパソコン、そして撮影機材以外のものもそれなりに収まる収納力を持っていること。なおかつ、できるだけ取り回しやすいサイズで、頑丈でもあるということだった。

バックパック型のこのカメラバッグは、上部のメインの取り出し口のほかに左右下部にも取り出し口があり、スリングパックっぽい使い方もできる。背中側からはフルオープンにできるので、中身の整理や間仕切りの調整もしやすい。入れようと思えばレンズをつけたカメラ2台を上下に収めることもできるが、D800クラスのボディだと、上部の取り出し口は問題ないものの、左右下部からの出し入れはちょっと窮屈。一方のカメラに70−200mmクラスのレンズをつけっぱなしにするなら、同型で一回り大きいプロタクティック450AWを選んだ方がいい。僕の場合は、350AWの上半分に24−120mmをつけたD800、下に16−35mmや70−300mm、空いた隙間に50mmやサブのGRD4、予備バッテリーなどを収めるつもりでいる。

取り出し口が多い割に、全体の造りは結構がっちりしていて、それなりに安心感がある。背中側には13インチ程度のノートパソコン用収納スペースが用意されているほか、内外には小物整理用ポケットがいくつか。それ以外にも、このバッグには外装全体にスリップロックループが張り巡らされているので、対応するボトルポーチやアクセサリーケース、三脚固定用のストラップなどを自由に装着できる。僕がプロタクティック350AWを選んだ最大の決め手は、この拡張性の高さだった。だって、水筒もなしでラダックやタイを歩き回るなんて考えられないし、脱いだ上着やレインポンチョはストラップで留めておきたいし。撮影機材しか持ち運べない設計のカメラバッグは、結局、僕にとっては使いにくいだけなのだ。

こちらの公式の動画で、どういう感じで機材が収まるかを見せてくれているので、参考までに。

一通り機材を詰めて、背負ってみると、なかなか軽快。上部からのカメラの出し入れもスムーズだ。実際に使ってみなければわからない部分もあるだろうけど、僕にとっては、通常の取材ならこれで十分対応できそうだ。昔からロープロとは相性がいいので、もし強烈に気に入ってしまったら、450AWも買い足すかもしれない(笑)。現場に持ち出すのが今から楽しみだ。

「Hawaa Hawaai」

hawaahawaai先日のノルウェー取材の時に乗った飛行機では、なぜかインド映画のラインナップが充実していた。ミュージカルシーンがばっさりカットされた残念なものも多かったのだが、この「Hawaa Hawaai」はほぼノーカットだったようで、じっくり楽しむことができた。

一家の大黒柱だった父を亡くして貧しくなった家族を助けるため、ムンバイの街の駐車場にあるチャイ屋で働く少年、アルジュン。その駐車場は夜になると、お金持ちの子供たちが集まるインラインスケートの練習場になる。インラインスケートに憧れを募らせるアルジュンを見た仲間の貧しい少年たちは、スクラップ置き場で拾い集めた材料で、アルジュンのためにスケート靴を作ろうとする。そのスケート靴「ハワー・ハワーイ」が彼らにもたらしたものは‥‥。

日本でも公開された「スタンリーのお弁当箱」のアモール・グプテ監督の新作であるこの作品、主演を務めるのは前作と同様、監督の息子さんのパルソー君。あらすじだけを見れば、少年が才能と努力で困難を克服して高みを目指していくという、割とよくある設定だし、演出や俳優の演技も、あまりにもナチュラルだった前作に比べるといくぶんオーソドックスな印象だ。ただ、そこでよくあるオーソドックスな映画で終わらせないのがグプテ監督らしいところ。理不尽な貧富の格差の中で、学校にも行けずに過酷な労働を強いられている、今のインドに無数にいる子供たちの問題をきっちりあぶり出している。その点では、「スタンリーのお弁当箱」の延長線上にある作品なのだろうし、最後の最後がああいう終わり方だったのも、「この子たちにとって一番大事なのは、勝つか負けるかとかじゃなく、これなんじゃないの?」という監督のさりげないメッセージだったのかもしれない。

いきいきと瞳を輝かせる子供たちの演技は素晴らしいし、英語でなく日本語字幕で観たら、もっといろいろ腑に落ちる部分もあると思うので、日本でも公開されるといいなと思う。ぜひに。

「女神は二度微笑む」

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僕はふだん、サスペンスものの映画はあまり観ないのだが、この「女神は二度微笑む」の日本での公開が決まってからは、必ず観に行かなくてはと思っていた。国内の映画祭で観た人からの評価が異様に高かったし、インド映画界きっての演技派女優、ヴィディヤー・バーランの主演作は、これが日本初上陸のはずだったし。

インドのコルカタ国際空港に降り立った身重の女性、ヴィディヤ。彼女は、この街に出張してきたのに一カ月前から行方不明になっている夫を捜しに、はるばるロンドンからやってきていた。だが、夫が泊まっていたはずのゲストハウスにも、勤務先だったはずのNDCにも、夫を知る者は誰もいない。やがて、その先に浮上したある人物の素性と行方をめぐって、事態は思いもよらない方向に‥‥。

‥‥あー、難しい。ネタバレさせずに書くのが難しい(苦笑)。でも、期待に違わぬ傑作だったことは保証する。緻密でありながら、いくつもの驚きに満ちた脚本。ヴィディヤー・バーランの、文字通り素晴らしい演技(先週観た「フェラーリの運ぶ夢」で陽気なアイテムソングを踊ってた女性と同一人物とはとても思えない)。サスペンスやホラーによくある、激しい場面展開やアクションやでかい効果音などで観客をびびらせるのではなく、脚本と演技の力だけで、観る者を完全に映画に没入させて、最後の最後に「うわー!!!」とさせる(としか書きようがない)。すごい映画だ。

舞台となったコルカタの街の、熱気と喧騒と埃がどんよりと澱んだ猥雑な雰囲気も、なくてはならない舞台装置だ。そこかしこに挿入される街や人々の描写が、謎めいた雰囲気をさらに盛り上げる。この映画、ハリウッドでのリメイクの話も持ち上がっているようだが、舞台がコルカタでないと、その魅力も半減してしまうだろう。個人的には、昔、マザーハウスでボランティアをしていた時に乗り降りしていた地下鉄のカーリーガート駅や、大河にかかるハウラー橋が出てきた時は、何とも言えない懐かしい気持になった。

とりあえず、観た方がいいと思うし、観てもらえれば必ず納得してもらえると思う。傑作。

「フェラーリの運ぶ夢」

ferrari
昨日は、千葉にあるイオンシネマ市川妙典まで遠征して、インド映画「フェラーリの運ぶ夢」を観た。日本でもヒットした「きっと、うまくいく」のスタッフががっつり関わっているこの作品、面白くないはずがないのだけれど、どういう大人の事情か、都内での上映館がないのである。公開初日だった昨日、館内はのんびりとした雰囲気だったが(苦笑)、観終わった後は「なんで? こんなにいい映画なのに!」と思わずにいられなかった。

交通局に勤めるルーシーは、バカがつくほど正直な男で、信号無視をしたのをわざわざ警官を見つけて自己申告するほど。早くに妻を亡くした彼は、気難しい父のベーラムと、一人息子のカヨと三人で、つつましく暮らしていた。クリケットで素晴らしい才能を持つカヨは、ロンドンで行われる強化合宿のセレクションを受けることになるが、その遠征には15万ルピーもの大金が必要だった。頭を抱えるルーシーのもとに、突拍子もない話が持ちかけられる。インドのクリケット界のスーパースター、サチン・テンドゥルカルのフェラーリを借りてきてくれたら、15万ルピーを払うというのだ‥‥。

この映画、話の展開だけを見ればかなりぶっ飛んでいるのだが、脚本がとにかくよくできていて、すんなりと楽しく観続けることができる。どうなるんだろう?と思っていた各登場人物の行動が最後にしゅるるっと収斂していって、細かい伏線まで見事に回収されていくのが気持ちいい。「きっと、うまくいく」でも好演したシャルマン・ジョシとボーマン・イラニも役にハマっていたし、カヨ役のリトウィク・サホレは、ショッピングモールで家族で食事していたところをスカウトされた、まったく普通の男の子だったそうなのだが、そうとはとても信じられない、みずみずしい演技をしていた。

笑って泣いて驚いての起伏を何度もくりかえして、観終わった後に感じる何とも言えない多幸感は、「きっと、うまくいく」の系譜に連なる作品ならではのもの。それにつけても思うのは、「なんで? こんなにいい映画なのに!」。良い映画は、みんなで映画館に足を運んで、スクリーンで観ることで応援してあげるしかないのかなと思う。