Category: Review

「この世界の片隅に」

昨年暮れからずっと観に行きたいと思っていた映画「この世界の片隅に」を、ようやく観ることができた。公開されてからずいぶん日が経ったのに、映画館はぎっしり満席。聞くと、年明けから、各地で上映館が大幅に増えたそうだ。興収は10億円を突破し、「キネマ旬報ベスト・テン」では日本映画の第1位に選出。日本の社会にまだ、こうした作品が受け入れられてきちんと評価される土壌が残っていたことに、正直、ちょっとほっとしている。

舞台は昭和初期の広島。18歳の少女すずは、縁談が決まって、軍港の街、呉に嫁いでくる。ずっと穏やかに続いていくはずだった、当たり前の日常。しかし世界は少しずつ、ひたひたと、恐怖と狂気に浸されていく。やがてその狂気は、すずにとって大切な人やものを、喰いちぎるように奪い去ってしまう。そしてあの夏が来て……それでも、人生は続いていく。

観終わった後、子供の頃に父から聞かされた、終戦の頃の話を思い出した。岡山で大空襲があった後に降った雨。シベリアで抑留されるうちに身体を壊してしまった祖父。祖父が留守の間、一人で畑を耕しながら父を育てた祖母。故郷に戻ってきた祖父が父への土産に持ってきたキャラメルが、本当に甘くておいしかったということ。最近では、そんな話をしてくれる大人も、すっかり少なくなってしまった。

今の日本は、うすら寒い狂気と恐怖に、再びひたひたと浸されはじめているように僕は感じる。ふと気付いた時には、いろんなことが手遅れになってしまっているかもしれない。だから、この作品は、一人でも多くの人に、特に10代、20代の若い人たちに、観てもらいたい。ありふれた日々のかけがえのなさと、それを守るためには何が必要なのか、「普通」であり続けるために僕たち一人ひとりがどう生きるべきなのかを、考えてもらえたら、と思う。

「カプール家の家族写真」

年末年始のキネカ大森でのインド映画鑑賞、2本目に観たのは「カプール家の家族写真」。観る前は、ポスタービジュアルのイメージから、明るい家族モノのコメディだと思い込んでいた。確かに笑わせどころは各所に散りばめられているものの、全体的にはかなりシリアスに、家族というテーマそのものについてがっちりと描いた作品だった。

南インドの美しい避暑地クーヌールに暮らすカプール一家は、祖父アマルジートと父ハルシュ、母スニーターの3人暮らし。ある時、心臓発作で倒れて入院した祖父を見舞いに、実家を離れていた2人の息子、ラーフルとアルジュンが戻ってくる。事業に失敗した上、女性の影もちらついているハルシュ。ケータリング事業のアイデアを夫に反対され、険悪な関係になっているスニーター。ベストセラー作家として成功しているものの、人に言えない苦悩を抱えるラーフル。何をやっても長続きせず、優秀な兄に引け目を感じているアルジュン。ひさしぶりに再会しても言い争いばかりの家族たちは、それでもアマルジートの90歳の誕生日を祝おうと、たくさんの人々を招いてのパーティーを企画したのだが……。

幸せになろうとして、それぞれがんばっているのに、うまくいかなくて。誰にも言えない秘密を抱え、でも自分を理解してもらいたいのに、気持はすれ違うばかりで。やがて家族は、ある日、床に落としたコップのように、粉々に砕けてしまう。それでも家族は、かけらを一つひとつ拾い集め、どうにかこうにかつなぎ合わせようとする。たとえ、もうどこにも見つけられないかけらがあったとしても。

家族というつながりは、ある意味、とてもめんどくさい。でも、ほかのどんな人とのつながりにも代えられない絆でもある。現実の世界はなかなかハッピーエンドにはならないけれど、それでも人は、家族は、ほんのいっときでも幸せでありたいと願うのだ。

「ボンベイ・ベルベット」

ありがたいことに年末年始の恒例となりつつある、キネカ大森でのインド映画特集上映。毎年10月に開催されるIFFJには、僕はタイ取材と重なる関係で参加できないので、大森方面には足を向けて寝られない(笑)。今回はまず、ランビール・カプールとアヌシュカー・シャルマが出演したギャング映画「ボンベイ・ベルベット」を観た。

物語の舞台は、独立後まだ間もないインドの魔都、ボンベイ。貧しい娼婦に育てられたチンピラのジョニーは、仲間のチマンとともに、スリや賭けボクシングでその日暮らしの日々を送っていた。ジョニーが酒場で一目惚れした歌手のロージーは、左翼系新聞社を経営するジミーの愛人となってしまう。「大物になる」ことを目指すジョニーたちは、裏社会に通じる資産家のカンバーターの手下となり、彼の野望の邪魔となる人物を次々と排除していく。殺したり、スキャンダルを盗撮したり、誘拐したり……。それらの見返りに、ジョニーはカンバーターの経営する高級クラブ「ボンベイ・ベルベット」のマネージャーとなる。そんな彼の前に、ジミーからカンバーター側へのスパイの役目を背負わされたロージーが現れる。ジョニーに雇われ、瞬く間に「ボンベイ・ベルベット」の花形歌手となったロージー。二人の関係、そして運命は……。

まるでアメリカのギャング映画を観ているような錯覚に陥るほど、細部まで凝った造りのスタイリッシュな映像と、ロージーの歌を中心としたジャジーな音楽。そういう要素は観ていてかなり楽しめたのだが、その一方で、ジョニーやロージーをはじめとする登場人物たちの内面描写が乏しい印象で、感情移入できる部分がなかなか見当たらず、「まあ、そういう末路を辿るのも仕方ないよね……」と思ってるうちに終わってしまった感がある。もうちょっと、何とかなったんじゃないかな、という。いろんな意味で惜しい映画だった。

ちなみにこの作品、インド国内では興行的にまったくふるわなかったそうだ。そこまでひどい出来とは感じなかったのだが、やっぱりかの国では、シンプルでわかりやすい映画が受け入れられやすいのかな、と思う。

理想的な取材ノート

ライターの仕事で取材に臨む時、僕はノートに手書きでメモをとる。ノートパソコンでメモをとるライターの方も大勢いると思うが、それだと相手との間にノートパソコンのモニタが挟まるのが「壁」っぽく感じられて、個人的にはどうもしっくりこない。常にノートパソコンを開いてキーボードを叩ける環境で取材できるとも限らないし。なので、いまだに紙のノート派だ。

今までいろんなメーカーや種類のノートを試してきたのだが、ここ数年はすっかり、コクヨのキャンパスノート A5 B罫 70枚の一択。大きすぎず小さすぎず、罫も太すぎず細すぎず、ページ数も十分。70枚のノートは町の文具店はそれほど見かけないのだが、うちの近所の文具店では常に置いてあるので助かっている。何より値段が安い。

世界一周旅行の間に日記を書くためとか、そういう用途にはもっとお洒落なノートを使えばいいと思うのだが、なにしろ僕の取材ノートはひたすらミミズがのたくったような殴り書きのオンパレードなので(苦笑)、何も気にせず、雑にがしがし使えるキャンパスノートが、僕には一番合っている。

この間、新しいキャンパスノートをおろしたばかりなのだが、たぶん数カ月後にはボロボロになっているだろう。悪いけど、よろしくね。

「君の名は。」

予想以上の大ヒットで映画館がずっと混雑していたのと、ここしばらくのせわしなさで、なかなか見られないでいた新海誠監督の「君の名は。」を、ようやく観に行くことができた。

千年ぶりに現れた彗星が近づきつつある日本。とある山奥の田舎町に住む高校生、三葉は、不思議な夢を見るようになった。東京にいる見知らぬ少年となって、彼の生活をまるで現実のことのように体験する夢。一方、東京で暮らしている高校生、瀧も、山奥の町にいる見知らぬ少女になってしまう夢を見るようになった。やがて二人は、実際に互いが入れ替わる現象がくりかえされていると気付く。まだ出会ったことのない、出会うはずもなかった二人が、不思議な形で結びつけられた意味は……。

新海監督はもともと独自の世界観と個性的な作風を持っていた方で、これまでの作品は必ずしも万人受けするものとは言い切れないところがあった。SF寄りの作品でも、現実世界寄りの作品でも、大切にしていたのに失ってしまったものを取り戻せない切なさ、やりきれなさのような後味を残す作品が多かった。でも、この「君の名は。」は、そこから立ち上がって、運命に抗ってさえ、大切なものを取り戻すためになりふり構わず駆け出していくような、そんな作品になっていたと思う。

作中には、これまでの新海監督の作品(CMも含めて)のセルフオマージュとも言える要素が数多く盛り込まれている。逆に言えば、過去のそうした蓄積がリブートされてエンターテインメント作品として最適なバランスで昇華されたのが「君の名は。」と言えるのかもしれない。

とりあえず、このピュアで王道なストーリーを素直に楽しめるくらいには、自分に人並みにノーマルな感情が残っていることにほっとしている(笑)。観客は圧倒的に10代、20代が多いのだそうだ。ティーンエイジャーのうちにこういう映画を観ることのできる人は、幸せだと思う。まだの人は、ぜひ映画館へ。