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「銃弾の饗宴 ラームとリーラ」

ramleela年末年始のキネカ大森詣での個人的な〆は、「銃弾の饗宴 ラームとリーラ」。去年、エアインディアの機内で一度観たのだが、これは映画館のスクリーンで字幕付きで観なければ、とずっと思っていた作品だったので、今回観ることができてよかった。

舞台はグジャラート州のとある町。武器の密造と売買が横行しているこの町では、ラジャーリとサネラという二つの部族が長らく敵対関係にあった。ラジャーリの頭領の次男坊、争いを好まない女たらしのラームは、ホーリー祭の日にサネラの領分に忍び込み、サネラの頭領の娘、リーラと出会う。あっという間に惹かれ合うようになる二人だったが、ラジャーリとサネラの争いは、彼らの運命を引き裂いていく……。

サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督のこの作品、とにかく絢爛豪華で、大胆かつ緻密な映像美が素晴らしい。映画館のスクリーンで観ると極彩色の奔流に飲み込まれて茫然としてしまう。その一方で、物語自体はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」が基底にあるものの、なぜ憎しみ合うのか、なぜ愛し合うのか、というこの映画としての必然性は希薄に感じられた。あと、古典的な映像美の世界に自動車やテレビやスマートフォンといった現代のツールを織り交ぜる手法はバンサーリー監督特有のものらしいのだが、個人的には正直「それ、無理に織り交ぜなくてもいいんじゃね?」と思えてしまった。その点、昨年末にインドで公開された同監督の「Bajirao Mastani」は完全な歴史物なので、機会が観てみたいと思う。出演しているのもこの作品と同じ、ランヴィール・シンとディーピカ、そしてプリヤンカー(この映画ではアイテムガールとしての出演)だし。

ツッコミどころは数々あれど、この映像美、観る価値は十二分にある。本当に美しかった。

「バン・バン!」

Bang Bang!仕事も山積み状態だというのに、今日も夕方からキネカ大森へ。観たのは「バン・バン!」。

英国とインドの間で締結されようとしていた犯罪人引き渡し条約を妨害するため、国際的テロリストのオマルは、ロンドン塔に保管されているインド原産の有名なダイヤモンド、コヒヌールを利用することを画策する。ところが、そのコヒヌールが突如何者かによって盗まれてしまう。場所は変わってインド北部の街、シムラー。祖母と二人暮らしで銀行の受付嬢をしているハルリーンは、何の気なしに登録した出会い系サイトを通じて、初対面の男性と会うことになった。その待ち合わせ場所に現れたのは……。

……いやー、笑った。笑って笑って、笑いすぎて、今、まじで腹筋が痛い(笑)。リティク・ローシャンとカトリーナ・カイフ、世界屈指の美男美女で運動神経も抜群な二人が、これでもかというくらいにダンスとアクションでキメまくってるのに、どうしてこんなに面白いのか(笑)。狙ってやってるにしてもその上を行くぶっ飛びっぷりだ。この作品、ハリウッド映画の「ナイト&デイ」をベースにしたいわゆるリメイクなのだが、面白さとぶっ飛びっぷりという点では、完全に本家を超えていると思う。

ロケ地も世界各地を贅沢に飛び回るだけでなく、雪景色のシムラーやデラドゥンの描写もたっぷりで、ダンスシーンにはなんとチベット仏教の僧院まで登場する(シムラーにある僧院かな?)。そういう部分も個人的にはかなり楽しめた。

ストーリーとか伏線とか、細かいツッコミどころとか、そういうのはとりあえず置いといて、いろんな意味で振り切れまくってるアクションとダンスを頭をカラッポにして楽しむ。こういう映画の楽しみ方もあったっていいじゃないか、と思う。だって面白いんだもの。

「ピクー」

Piku2015年春にインドで公開され、日本では10月のIFFJで上映された映画「ピクー」。僕は毎年10月はタイ取材で日本にいないため、IFFJにも行けなくて、ぐぬぬ、とくやしがっていたのだが、なんとこの年末年始、キネカ大森がIFFJで紹介された作品をいくつか上映してくれるというではないか。千載一遇のチャンスとばかり、どうにか仕事の都合をつけて、観に行ってきた。

デリーで建築家としてバリバリ働くピクーは、同居する父のバシュコルの気難しさが悩みの種。彼は異様なまでに自分の健康と便秘を気にかけ、周囲の人々には歯に衣着せず、きつい言葉を言い放つ。一方のピクーも父親譲りのかんしゃく持ちで、朝から晩までバシュコルといがみ合い続けている。そんな風変わりな父娘が、かつて住んでいたコルカタの実家まで、タクシー会社社長のラーナーの運転する車で旅することになった……。

インド映画界の大御所アミターブ・バッチャンとディーピカー・パードゥコーン、イルファーン・カーン。芸達者の3人の演技が見事に噛み合っていて、観ていて本当に楽しかった。特にバシュコルとピクーはどちらも相当エキセントリックで振り切れた役柄で、台詞もよくこんな脚本が書けたなと感心するくらいぶっ飛んだ内容なのだが、それでいて微妙な感情の起伏や思いの移り変わりもちょっとした部分でうまく捉えていて、それがじわじわと心に沁みてくる。

ディーピカーが誰かと車に乗って旅をするロード・ムービーといえば、同じく今年のIFFJで上映された「ファニーを探して」もそういう話なのだが、個人的には「ピクー」の方が圧倒的に面白かったし、心に残る場面が多かった。今年観た映画の中でも5本の指に入ると思う。日本語字幕付き(でないととても台詞を追い切れない)で大きなスクリーンで上映してくれて、本当に感謝。

「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」

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家でネットをぼんやり見ていて、たまたま情報を見つけ、気になったので観に行ったドキュメンタリー映画。日本語字幕を担当したのが柴田元幸さんというのにも惹かれたので。

ソール・ライターは、1940年代後半という非常に早い時期からカラーで作品を撮りはじめた写真家で、「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バザー」といった錚々たるファッション誌で活躍した人だ。しかし、1980年代に第一線を退いてからは、それまでの名声を避けるようにひっそりと暮らし続けた。彼の未発表作品がシュタイデル社から写真集となって出版されたのは、2006年。彼が82歳になってからのことだ。その後、2013年に彼はこの世を去った。

この映画自体は、映画監督が構えるカメラの前で、一人の老人が穏やかに、時に茶目っ気を見せながら、ぼそぼそとおしゃべりをしたり、モノが多すぎる部屋の片付けをしたり、たまに散歩に出かけて街角でスナップを撮ったりする、言ってみればそれだけの映画だ。ただ、そうした中で何気なく口にされる言葉の端々に、彼ならではの達観した人生観がにじんでいて、「そうだよな、それでいいんだよな」と、すとんと腑に落ちる。時折挿入される彼の作品‥‥徹底して縦位置にこだわり、ガラスや水滴の映り込みを利用ながら、色彩と陰影を大胆に写し取った写真の数々も素晴らしかった。

ただ個人的に、正直言っていきなりぶん殴られたような衝撃を受けたのは、彼の助手を務めていた女性が言った言葉だった。彼はイースト・ヴィレッジで暮らしてきた55年間、ずっと同じスタイルで、発表するつもりもあてもない写真を、街を歩きながら撮り続けていたのだ、と。55年間。忍耐とか努力とか執念とか、そういうこととはもはや別次元の話だ。彼はなぜ、そんなにも長い間、ただ淡々と同じ街角で写真を撮り続けていたのだろう。たぶん、生前の彼にそんな質問を投げかけたとしても、適当な冗談ではぐらかされてしまったのだろうが。

同じ場所で、同じスタイルで、気の遠くなるほどの時間をかけて。そういう世界との向き合い方もあるのだと、僕はこの映画を観て知った。

奥華子「プリズム」

prism奥華子がデビュー10周年の節目にリリースした8枚目のアルバム「プリズム」。無色に見える太陽の光も、プリズムを通せば、七色に分かれて見えることに気づく。日々の暮らしの中で、あるいは自分自身の心の中で、さまざまなことに「気づく」のがこのアルバムのテーマかもしれない、と彼女は以前ラジオで語っていた。

確かにこのアルバムの中では、いろんな「気づき」が歌われている。思い出の中にいる人への気持ち。いつも支えてくれていた家族のぬくもり。身近すぎて気づかずにいた大切な人の存在。何気ないけれど自分にとってかけがえのないもの。気づくことで大切にしていけるものもあれば、気づいてしまったがために傷つくことや、取り返しのつかない後悔に苛まれることもある。そういったさまざまな場面での「気づき」を選び取り、シンプルな言葉で詞に置き換えていく彼女のまなざしの確かさには、毎度のことながら唸らされる。

曲の方も、いい意味ですっぱり開き直ったというか、自分自身にとても素直に向き合って、作りたい曲を作ったんだろうなという印象。彼女の代名詞の一つでもある弾き語りの曲は、意外なことに今回は一曲しかないのだが、アレンジのトーンは全体的にとても安定していて、特にストリングスの加わった曲の繊細なアレンジは、彼女の新しい一面を感じさせる。

12月23日には、昭和女子大の人見記念講堂で開催されるライブに、ひさしぶりに足を運ぶ。このアルバムに収められたさまざまな「気づき」の曲たちがどんな風に歌われるのか、楽しみだ。