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「牯嶺街少年殺人事件」

台湾のエドワード・ヤン監督が1991年に発表した映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」。当時、日本では短縮版で公開されたものの、それ以来ソフト化されることもないまま、幻の作品となっていたという。その作品がデジタルリマスタリングされ、オリジナル版の尺で公開された。3時間56分。観始めたら、あっという間だった。まるで、映画の中に飲み込まれてしまったような気分だった。

この映画は、1961年に台北で起きたある殺人事件をモチーフにしている。当時の台湾では、第二次大戦後に中国から台湾に移住してきた外省人たちが、大陸に戻りたくても戻れない焦燥感にかられながら、穏やかながらも鬱々とした日々を過ごしていた。彼らの子供たちもまた、将来の見えない行き詰まり感に苛まれて、徒党を組んで他のグループと争い合っていた。そんな中でも、どちらかというと真面目だった一人の少年が出会った、一人の少女。そこからすべてが軋みはじめる。

少し前に見た同監督の「台北ストーリー」は、良い作品だなと思ったものの、観終えた後に、何か、もやっとする後味が残っていた。この「牯嶺街少年殺人事件」は、そこからさらに突き抜けて、監督自身が撮りたかったものを徹底的に撮り切った、そんな感触が伝わってきた。一切の感傷を排した冷静なまなざしで、一つひとつの場面が丁寧に描かれていく。当時の台湾が抱えていた社会の歪み。若さゆえのみずみずしさと危うさ。何気ない日常の中に突如現れる闇。激しい雨。血塗られた刃。

「私を変える気? この社会と同じで、何も変わらないのよ」

観終えてしばらくたった今も、映像と言葉の断片が頭の中で渦巻いて、うまく整理できないでいる。美しく、残酷で、どうにも忘れがたい映画だった。

「チャーリー」

昨年秋のキネカ大森での公開時、僕はタイ取材の真っ只中だったので観れないでいた、インドのマラヤーラム語映画「チャーリー」。昨日、ユジク阿佐ヶ谷での上映にようやく行くことができた。

都会で自由気ままに生きるテッサは、親が決めようとした縁談に反発して、コーチンにある古いアパートを借りて、しばらく身を潜めようとする。鍵も壊れているその部屋には、前の住人が置き去りにしたままの家財道具と、無数の奇妙な絵画やスケッチ、写真、オブジェがひしめいていた。チャーリーという名のその持ち主に興味を抱くようになったテッサは、一人、また一人と、彼を知る人物から、まだ会ったこともない彼についての物語を聞くことになる……。

いい映画だった。豪放磊落なのに超がつくほどのおせっかいのチャーリーはぐいぐいと物語を引っ張っていくし、ヒロインのテッサは本当に表情豊かでチャーミング。医師のカーニをはじめ、登場人物の中には心に深い傷を抱えている人も少なくないのだが、それでもみな、前を向いて再び歩き出そうとしている。ケーララ州の美しい風景が、そんな彼らを穏やかに包み込んでいく。

物語は、普通に考えるとありえないような確率での偶然の連鎖でつながっていくように見える。でも、偶然を偶然任せにしているだけでは、きっとあんな風には人と人は出会えないのだ。その人が勇気を持って踏み出す一歩が、偶然を必然に変え、人と人とを結びつけるのだと思う。

観終わった後、みんなで「いい映画だったね!」と笑い合いながら映画館を出られる映画は、間違いなく、いい映画だ。

「ルシア」

南インド映画祭で公開された12本の作品のうち、唯一のカンナダ語映画「ルシア」。カルナータカ州で主に話されている言語の作品だ。クラウドファンディングで調達した資金で作られた低予算作品なのだが、いい意味で、今年観た中で一番の「してやられた感」を感じた映画だった。

大都会バンガロールの片隅で、客の入りの悪いカンナダ語映画にこだわって上映を続けている古い映画館。田舎者で学のないニッキは、その映画館で客の案内係をして暮らしている。同居人の男たちのいびきで眠れない夜を過ごしていた彼は、胡散臭い売人たちから「ルシア」という睡眠薬を買う。それはただの睡眠薬ではなく、自分の思い通りの楽しい夢を見ることができて、薬を飲むたびにその夢の続きを見られるという薬だった……。

何をやってもうまくいかない、どん詰まりの現実から逃れるように、彼は夢を見る。夢の中での彼は、誰もが羨む華々しい立場の人間で、仕事も、恋人も、思うがまま。のはずだった。夢は微妙にぎくしゃくしはじめ、現実は予想外の方向に転がりはじめる。そして……これは夢なのか。それとも現実なのか。この映画そのものが夢なのか。

観る者を翻弄するこの「ルシア」の中で、常にまっすぐに届いてくるのは、映画への愛情だ。現実のつらさをつかの間忘れさせ、小さくても生きる希望を心に灯してくれる映画というものの存在と役割を、この作品の作り手たちは本当に大切に考えているのだと思う。

誰かにとっての小さな夢は、別の誰かにとっては大きな夢かもしれない。一人ひとりが現実の中で、それぞれの夢を抱えて生きることの意味。観終わった後の不思議な余韻の中で、そんなことを考えさせられた映画だった。

モンベル「リゾッタ」

アウトドア用のごはんといえば、尾西食品のアルファ米シリーズが不動の地位を築いている。僕もこれまでさんざんお世話になってきたが、特に和食系のやつは本当に申し分のない味。ただ、お湯を注いでから食べられるようになるまで15分ほどかかってしまうのが、難点といえば難点だった。

というのも、僕はごはん物と一緒に味噌汁かスープ(これに関してはアマノフーズのフリーズドライが味もバリエーションもダントツである)を飲みたいたちなのだが、ごはん物の待ち時間が15分もあると、一緒に沸かしたお湯でスープを作ると冷めてしまうので、もう一度お湯を沸かさなければならないのだ。アルファ米の袋自体も何かでカバーして保温しておかないと15分でかなり冷めてしまう(僕はいつもニットキャップをすぽっとかぶせている)。サタケのマジックパスタは待ち時間が短くて便利なのだが、米っぽいものを食べたい時も多いし。

そんな折、モンベルから「リゾッタ」という新しいごはん物のシリーズが発売された。これはアルファ米ではなく、フリーズドライの米なのだそうだ。待ち時間はなんと3分。これは試してみなければ、と思って、昨日の丹沢表尾根縦走のおひる用に、カレーリゾッタを買って持って行った。

リゾッタに必要なお湯の量は175ml。袋の内側の注水線にお湯の量を合わせると、それよりやや多くなると思う。僕は指示通り175mlくらいのお湯で作ってみたが、べちゃべちゃにもならず、米の粒々の食感がほどよく残っていて、ドライカレーかカレーピラフのような味。なかなかおいしかった。お湯はやや少なめと心がけた方が失敗しないだろう。他社製品には袋の内側に小さなプラスチック製スプーンが入ってるのだが、リゾッタには入っていない。あのスプーンは資源の無駄だなあと常々感じていたので、いい傾向だと思う。

リゾッタの味のバリエーションは現時点で5種類。税込で400円ちょいとやや値は張るが、調理時間は短くて済むし、時間や燃料を節約したい時には良い選択肢だと思う。僕も今度は別の味を試してみたい。

「レモ」

今年、4月末から5月上旬にかけて、東京と大阪で開催されている、南インド映画祭。都合が合う日にどれか観に行こうと、各上映作品の予告編動画を見ていて、これは相当面白そうだな、と思ったのが、タミル語映画の「レモ」。で、昨日、観に行ってきた。

うだつの上がらない役者志望のSKは、オーディションで出会った映画監督に、次回作の主人公にはナースの女装をさせるという話を聞く。街の中で見かけて一目ぼれした女性、カヴィヤに婚約者がいることを知り、失意の中でナースの扮装をして監督に会いに行ったSKは、帰りのバスの中で偶然カヴィヤと話をするようになり、彼女が医師として勤める病院で働かないかと誘われて……。

いやー、楽しかった。ありとあらゆるところに「いやいやいや」とツッコミたくなるポイントが満載なのだが、それ自体が面白いというか、この映画の魅力になっている。いい意味での「おやくそく」がたっぷり用意されている安心感。シヴァカールティケーヤンのナースの扮装と演技は異様に完成度が高くて、ちゃんと品があるのもよかった。まさかの「PK」オマージュもあったり(笑)。笑ったり、ハラハラしたり、ひゃーっとなったりをくりかえして、観終わった後に包み込まれる、何とも言えない多幸感。こういうのが、インド映画ならではのよさの一つだよなあ、とあらためて思う。

「レモ」は、来週8日(月)と11日(木)にも上映されるそうなので、興味のある方はぜひ。