Category: Review

「巡礼の約束」

岩波ホールで公開が始まったチベット映画「巡礼の約束」を観に行った。チベット人のソンタルジャ監督の前作「草原の河」は日本で初めて商業公開されたチベット映画で、静謐な気配に満ち満ちた印象的な作品だったので、今作も楽しみにしていた。

ギャロン地方の山間に暮らしていた、ロルジェとウォマの夫婦。ある日突然、ウォマは「五体投地礼でラサまで巡礼に行く」と言いはじめる。理由を訝り、諫めるロルジェだが、ウォマは聞く耳を持たず、ラサへと出発してしまう。やがてロルジェと、ウォマと離れて暮らしていた前夫との息子ノルウが巡礼に合流する。つかの間訪れる、三人の穏やかな時間。しかし、ウォマは、ロルジェに対して大きな秘密を抱えていた……。

この映画の原題「阿拉姜色(アラ・チャンソ)」は、チベットの民謡の名前で、劇中にも印象的な形で登場する。それもとても良い題だが、邦題の「巡礼の約束」も、この映画のテーマにぴたりとフィットしていて、良いアイデアだなあと思った。夫から妻へ、母から息子へ、受け継がれていく、巡礼の約束。個人的には、特にロルジェが損な役回りすぎて不憫で仕方なかったが、行き場のない愛情とやりきれない思いを抱えて巡礼のバトンを受け取る彼の祈りの姿には、胸を打たれた。

良い映画です。チベット好きの方は、ぜひに。

「Simmba」

台湾からの帰りの飛行機の機内で、インド映画「Simmba」を観た。「ガリーボーイ」の公開で日本でもよく知られるようになったランヴィール・シンが主演。監督は「チェンナイ・エクスプレス」のローヒト・シェッティー。

身寄りのない孤児として育ったシンバは、幼い頃からの「警官になって権力を握る」という夢を実現し、警部としてやりたい放題の放埒な日々を送っていた。赴任先のミラマーでも、地元の黒幕ドゥルバーの悪行を黙認どころか加担までする始末。しかし、妹のように目をかけていた医学生アクリティの身に起こった事件を機に、シンバの生き様も大きく変わることになる……。

今回のランヴィールは、珍妙な髭をたくわえ、軽妙な台詞をマシンガンのようにまくしたてる、コミカルな役。「ガリーボーイ」のムラドとも、「パドマーワト」のアラーウッディーンとも全然違う役で、ある意味、CMの「チンさん」に一番近い(ローヒト・シェッティーも以前このCMの監督を担当しているし)。この「Simmba」でも、軽薄ながらもキメる時はキメてくれて、観終わった後にすっきりさせてくれるような役回りなのかな、と思っていたのだが、さにあらず。

インドではしばらく前から、フェイク・エンカウンター(偽装遭遇戦)という事象が社会問題になっている。警察や軍が、犯人が刃向かったとでっち上げて、自分たちで超法規的に粛清してしまうというものだ。理由は、凶悪犯罪だが裁判による立証が難しいとか、警察や軍にとって都合の悪い犯人の口封じとか、いろいろあるようだが、いずれにしても、まっとうな方法ではない。去年の暮れにも、ハイデラバードで起きた集団レイプ殺人事件の犯人4人が、現場検証に連れ出された際に「警官から銃を奪って発砲したため」その場で射殺される、という事件が実際に起こったばかりだ。

ネタバレになるので詳細は書かないが、「Simmba」では終盤、フェイク・エンカウンターによる粛清を礼賛していると受け取られかねない展開があって、観終えた後の後味は、正直言ってすこぶる苦い。娯楽映画なのだから、もっとまっとうに、知恵と勇気と人情で逆境を跳ね返す展開にできなかったものか……。そのあたり、かなり残念だった。

「ウスタード・ホテル」

9月のインディアン・ムービー・ウィークで気になってたものの、時間が取れなくて見逃していた、マラヤーラム映画「ウスタード・ホテル」。新宿ピカデリーで再上映されると聞いて、今度こそは、と無理やり都合をつけて観に行った。

幼くして母を亡くし、4人の姉に囲まれて育ったファイジは、料理が好きで、シェフになるのを夢見ている。彼に実業家の道を歩ませたい父親に嘘をつき、留学先のスイスで料理を学び、ロンドンのレストランでの就職も決まっていた。しかし、故郷のインドに一時帰国した時にその嘘がばれ、父親にパスポートとカードを取り上げられてしまう。行き場に困ったファイジは、海辺で安食堂を営む祖父の元に身を寄せるが……。

この作品、とにかく、ビリヤニに尽きる。独特のレシピで作られるマラバール・ビリヤニが、もう、ほんとに、めちゃくちゃうまそうで。それが画面を通してグイグイ伝わってきて、台詞だけでは伝わらない説得力を映画に持たせている。物語としては正直、練り込みが甘いんじゃないかという部分、展開を端折りすぎなんじゃないかという部分もちらほらあるのだが、ビリヤニをはじめとするウスタード・ホテルの料理の説得力がすごくて、それで帳消しになっていた感もある。逆に言えば、たとえば敵役に窮地に追い詰められてからの逆転の展開などを、もっと料理そのものに軸を置いたアイデアにした方が、この映画のテーマにより近い仕上がりになったかもしれない、とも思う。

「腹を満たすだけの料理は誰にでも作れる。でも、心を満たす料理は本物の料理人にしか作れない。それには、最高のスパイスが必要なんだ」という意味だったと思うのだが、カリームじいさんのこの台詞がカッコよくて、思い返しても、しみじみしみる。

「ジェントルマン」

ここ最近、仕事で根を詰め続けてるので、息抜きがしたくなって、今日はオフ。キネカ大森にインド映画「ジェントルマン」を観に行った。

マイアミで大企業の営業担当として働くゴーラブは、イケメンで仕事もできるけれど、あらゆることに安定志向で、ガールフレンドのカヴィヤにも退屈がられている。一方、インドでは、彼と瓜二つの顔を持つ男リシが、政府の秘密組織の工作員として、苦悩を抱えながらも暗躍していた。ゴーラブとリシをめぐる謎。彼の正体とは……。

今日は本当に、頭を完全にカラッポにして、何にも考えずにスクリーンを見続けて、あー、すっきりした!と思いながら映画館を後にしたかったので、実際にその通りの気分を味わうことができて、満足。物語としては、ゴーラブとリシをめぐる謎がこの作品最大の仕込みどころで、その後はどうやって話をうまく畳むか、作り手もちょっと悩んだのではないかなと思う。アクション映画にしては、主人公が絶体絶命のピンチに追いやられる場面はほとんどなくて、良くも悪くも危なげなさすぎたし、悪役たちの店じまいのされ方も、至極あっさりしていた印象だった。

でもまあ、いいか。すっきりしたし。これはそういう楽しみ方をする映画だと思う。こういう映画も、あっていい。

「盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~」

ひさしぶりにアップリンク吉祥寺で観たインド映画「盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~」。主演はアーユシュマーン・クラーナーとタッブー。いやあ、ものすごい怪作だった。もちろん良い意味で。

盲目のピアニスト、アーカーシュは、ひょんなことで知り合った女性、ソフィの父親が経営するレストランでピアノ演奏の仕事をすることになり、評判の人気者に。店の常連で往年の映画スター、プラモードはアーカーシュの演奏を気に入り、後添いの妻シミーとの結婚記念日に自宅でプライベートコンサートをしてくれないかと依頼する。当日、プラモードの家を訪ねたアーカーシュが「見た」ものとは……。

この作品、とにかく脚本がトリッキーで、先の展開や伏線の回収の仕方がまったく予想できない。二転三転、四転五転と振り回され、最後の最後で「うわあ」とシビれ、「えっ、どういうこと?」と放り出されて終わる。おそらくかなりの低予算で撮られていると思うのだが、この緻密な構成には恐れ入ったと言う他ない。アーユシュマーンはこういう胡散臭いコミカルな役をやらせると最高に上手だし、タッブーは、まさに怪演、だった。

ちなみに、未見の方でこの作品に興味を持ったは、日本語版の公式サイトや予告編動画(このエントリーに埋め込んでるのは本国版の予告編)を見るのは避けて、映画館に直接行った方がいいと思う。主に序盤の展開に関する結構重大なネタバレがあるので……(何でこれをオープンにしちゃったんだろう?)。ただ、うっかり公式サイトや予告編を見てしまった方で「ああそういう映画か」と思い込んでる方も、やっぱり全編観た方がいいと思う。序盤のネタバレが吹っ飛ぶくらいの怒涛の展開が、中盤から後半にかけてあるので。