Category: Essay

淀まず、あわてず、後戻りせず

二十代の初めの頃、色川武大の「うらおもて人生録」という本を読んだ。かつては筋金入りの博打打ちとして幾多の修羅場をくぐってきた彼は、カタギになるために小さな出版社で働きはじめた頃、自らに三つの約束事を課した。

一つめは、一カ所で淀まないということ。いいところならともかく、悪い条件のところは、自分の生きたいように生かしてくれない。少しでも自分らしく生きるために、一つのところに満足したりあきらめたりしないようにする。

二つめは、階段は一歩ずつ、あわてずに昇るということ。その時の自分の実力に合わせて、決して先を急がない。焦って二、三段駆け上がると、転んだり落っこちたりする。いいところに行きたいなら、そのための力をつける。

三つめは、でも決して後戻りはしないということ。一度昇った場所でやったことに対しては、きちんと責任を持つ。きついからといって楽な方に安易に逃げない。

僕は色川さんのように冷静な勝負眼を持ち合わせているわけではなく、かなり、いや相当に行き当たりばったりな人生を過ごしてきた。でも、自分の職歴について振り返ってみると、結果的に「淀まず、あわてず、後戻りせず」というセオリーを踏み外すことなくやってこれたのかなという気がしている。もし、最初から運よく大手出版社に入っていたとしても経験と実力不足で脱落していただろうし、一時期関わっていた雑誌の編集部にあれ以上依存し続けていたら、その分野のネタしか扱えない井の中の蛙になっていただろう。後戻りしないというのは、今まさにやせ我慢してる真っ最中だが(笑)。

ただ、ラダックの本を書こうと思い立って、それまでの仕事を全部チャラにして日本を飛び出した時は、正直、人生最大の大博打だったなと思う。「この本をものにできなかったら、俺は物書きを廃業する」と本気で思い詰めていたから。結果的にうまくいったからよかったが‥‥(汗)。でも、長い人生の中では、時には大勝負をしなければならない時もあるのかもしれない。

色川さんの「うらおもて人生録」は、他にも含蓄のある言葉が詰まった名著なので、人生に迷っている方は一度読んでみたらいいんじゃないかなと思う。

ロストバゲージ

10月初旬、ラダックでの取材を終え、飛行機でレーからデリーに向かう時のこと。

レーの空港でチェックインする時、僕が手荷物で持ち込んでいた手提げ袋が、セキュリティチェックで引っかかった。その中には、お土産に買ったナチュラルソープが1ダースほど入っていたのだが、担当者曰く「固形石鹸は機内に持ち込めません」とのこと。‥‥あんないい香りのするものが、プラスチック爆弾に思えるのだろうか(苦笑)。ジェットエアウェイズのキャビンアテンダントが預かって運んでくれることになったので、僕は言われるままに石鹸を別の袋に入れて渡すことにした。

飛行機は一時間ほど遅れたものの(この路線では日常茶飯事)、約一時間後、デリーに到着。きらびやかなターミナルに降り立った僕は、自分のバックパックを引き上げた後、別に預けていた石鹸を受け取るため、バゲージエンクワイアリーのカウンターに行ってそのことを告げた。

10分経ち、20分経ち、30分経ち‥‥我が石鹸は、いっこうに出てくる気配がない。で、40分後。男の担当者がおもむろに「残念ながら、あなたの手荷物はロストしてしまいました。つきましては‥‥」としおらしく言いはじめた。

ちょ、ちょっと待て。たった一時間のフライトで、そんな簡単にロストバゲージするのか? 石鹸といっても、合計で1000ルピー近くも払って買ったものだ。あきらめるわけにはいかない。

「あなた方の会社のキャビンアテンダントに直接渡したんですよ。まだ機内に置いてあるんじゃないですか? もう一度、探してきてください! すぐに!」

で、さらに20分後。「見つかりました。機内に残ってました。機内にはこういうものは持ち込めませんので、以後気をつけてください」

あー、やっぱりね(苦笑)。「ゴメンナサイ」のひとこともないけれど、まあ、見つかっただけましだった。あきらめなくてよかった。ジス・イズ・インディア。

プロになるということ

先月中旬、あるフォトグラファーの方にインタビューした時、印象に残っている言葉がある。

「プロのフォトグラファーになりたいと思っている若い人は大勢いますが、実際にプロになる人は、ごくわずかですよね。写真の仕事だけで生活できるかどうかわからないから、みんな尻込みしている。そういう人に、僕はよく言うんです。自分が本当にプロになりたいかどうか、真剣に考えろ。本気でなろうと思えば、何にでもなれる。でも、『なれるものならプロになりたい』と思う程度だったらやめておけ、と」

まったくその通りだなと思うし、フォトグラファーに限らず、ライターにも、編集者にも、ほかのあらゆる職業にも通じる話だと思う。実際、なろうと思えば、僕たちは何にでもなれる。その上で必要なのは、自分が選んだ道で生き抜いていく覚悟。どんなに打ちのめされても、折れない心。たとえ先が見えなくても、前に踏み出す勇気。

それが、何者かになるということ。プロになるということなのだと思う。

気持で撮る、気持で書く

ラダックの風息」の読者の方などから、時々、こんな質問をされることがある。

「どうやったら、こういう写真が撮れるんですか?」

僕自身には、「こういう写真」というのがどういう写真なのか、正直よくわからない。ただ、他の人から見ると、僕が撮ったラダックの写真から、何かしら特殊な印象を受けるのだという。同じような質問は、僕がラダックについて書いた文章でもよく訊かれる。こちらについても、具体的に何が違うのか、自分ではよくわからない。

写真も、文章も、とりあえず、それらを商品として売り物にできる最低限のスキルは、僕も一応、持ち合わせていると思っている(でなければ、プロを標榜する資格がない)。でも、ほかのプロのフォトグラファーやライターよりも飛び抜けて秀でた才能を持っている、とはまったく思っていない。世の中には、僕よりも才能に恵まれたフォトグラファーやライターが、星の数ほどいる。たとえば、そういった人たちがラダックを取材すれば、きっと素晴らしい写真や文章をものにするに違いない(実際、僕はもっと多くの人にラダックを取材してほしいと思っている)。

でも、そういった人たちの写真や文章は、たぶん、僕が手がけたラダックの写真や文章のようにはならない。どちらがいい悪いという問題ではなく、何かがそこはかとなく、しかしはっきりと違ったものになると思う。その違いが生じる原因は、何となくわかる気がする。

それは、気持。

たとえ才能はなくても、ラダックの自然や人々に対する気持の強さは、僕は、ほかの誰にも負けない。それだけは、自信を持って言い切れる。そのありったけの気持を込めて、写真を撮り、文章を書いてきた結果が、ほかの人の写真や文章との違いになっているのだと思う。

気持で撮る、気持で書く。そんな仕事に取り組めている今の自分は、幸せなのかもしれない。

父について

2011年7月27日未明、父が逝った。71歳だった。

当時、父は母と一緒に、イタリア北部の山岳地帯、ドロミーティを巡るツアーに参加していた。山間部にある瀟洒なホテルの浴室で、父は突然、脳内出血を起こして倒れた。ヘリコプターでボルツァーノ市内の病院に緊急搬送されたが、すでに手の施しようもない状態で、30分後に息を引き取ったという。

父の死を報せる妹からのメールを、僕は取材の仕事で滞在中だったラダックのレーで受け取った。現地に残っている母に付き添うため、翌朝、僕はレーからデリー、そしてミラノに飛び、そこから四時間ほど高速道路を車で移動して、母がいるボルツァーノ市内のホテルに向かった。

車の中で僕は、子供の頃のある日の夜のことを思い出していた。その夜、僕たち家族は車で出かけて、少し遠くにある中華料理店に晩ごはんを食べに行ったのだ。店のことは何も憶えていないが、帰りの車で助手席に坐った時、運転席でシフトレバーを握る父の左手にぷっくり浮かんだ静脈を指でつついて遊んだことは、不思議によく憶えている。指先に父の手のぬくもりを感じながら、「もし、この温かい手を持つ人が自分の側からいなくなったら、どうすればいいんだろう?」と、不安にかられたことも。

翌朝、病院の遺体安置所で対面した父は、まるで日当りのいい場所で居眠りをしているような、綺麗で穏やかな顔をしていた。腹の上で組まれた父の手に、僕は触れた。温かかったはずのその手は、氷のように冷たく、固かった。

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