Category: Essay

30秒前の攻防

僕は麺類が好きで、家ではパスタやラーメンをよく作る。工夫らしい工夫は何もしてないけど、茹で時間には妙なこだわりがある。

たとえば、茹で時間11分のパスタなら、キッチンタイマーを11分にセットして寸胴で茹ではじめ、10分30秒になったら火を止め、湯を捨てる。ラーメンも同じで、茹で時間が3分なら、キッチンタイマーを3分にセットして茹ではじめ、2分30秒になったら火を止める。というのも、指定通りの時間で茹でたら、火を止めてコンロから鍋を移動させたりしてるうちに麺に余熱が通り過ぎてしまうんじゃないか、という疑問がずっとあって、ならば火を止めてからの余熱の時間も見越して早めに火を止めよう、と考えた次第。

だったら、最初から10分30秒とか2分30秒とかにタイマーをセットすればいいのに、と思う人もいるだろうが、僕としては、それでは意味がない。セットした時間の30秒前に作業を始め、麺を湯切りして器によそい終わるかどうかというタイミングで、チャララ〜♪とタイマーが鳴り響く。これが大変気持いいのだ(笑)。

‥‥何だろう。自分で書いてて、すげーバカっぽい(笑)。

夢と対価と覚悟

最近、ぼんやりと思うこと。

人が夢や目標を目指す時、自分一人の力だけでは実現できないことがほとんどだ。たいてい、誰かの力を借りることになる。それはけっして悪いことではない。ただ、最初からあまりにも他人の力やお金をあてにしすぎると、それは夢でなく、ただのおねだりでしかない、と思う。

たとえば、出版社から自分が書いた本を出したい、と思い立ったとする。その夢を実現するには、出版社をはじめ、たくさんの人の力を借りなければならない。力を借りるには、それに見合う対価を支払う必要がある。その本の内容にどんな価値があるのか、出版するに値するものなのか、どのくらいの売上が見込めるのか。そういったことを一つずつ明らかにして、対価が支払えるのだと説得しなければならない。そして、自分自身の覚悟も示す——己の時間と労力のすべてを注ぎ込み、文字通り骨身を削って取り組み、果たせなかった時にはすべての責任を背負う、という覚悟を。

夢を実現するには、対価と覚悟が必要なのだ。

ソーシャルが見せる幻

ちょっと前まで、世間ではソーシャルメディアという言葉がこれでもかというほどもてはやされていた。以前、僕がブログの作り方についての本を書いていた時も、版元の上層部から「ソーシャルメディアという言葉をタイトルにしろ」と、トンチンカンな提案をされたこともあるくらいだ(苦笑)。

そんなソーシャル狂想曲も、最近は少し世間の熱が冷めてきたように感じる。飽きてきた、というのもあるだろうし、FacebookにTwitterにミクシィにPinterestに‥‥そんなにたくさん面倒でやってられない、という人も少なからずいるだろう。ソーシャルなら何もかもうまくいく、ソーシャルなら何でもできる、という期待が必ずしも実現しないことに、気付いた人も増えてきているのかもしれない。

ソーシャルメディアは結局、今の時代のコミュニケーションのインフラでしかないのであって、現実を現実以上のものにすることはできないのだと思う。ソーシャル上でブレイクして有名になる人は、その人自身にそうなるべき魅力が備わっていたからであって、ソーシャルメディアはその手段の一つだったに過ぎない。売れないラーメン屋がしゃかりきになってTwitterやFacebookで宣伝しても、それでその店のラーメンがおいしくなるわけではない。

他人のツイートを読む気もないのに、フォロー返しをもらってフォロワーを増やすためだけに一度に何千人もフォローする人とか、あの手この手でFacebookページの「いいね!」を押させることだけに汲々としている企業とかを見かけると、他にもっとやるべきことがあるだろうに、とおせっかいにも思ってしまう。ソーシャルが見せる幻に、踊らされてるのだな。

自分らしい写真

写真家の石川梵さんが、「“決まり写真”はあまり好きではない。写真のよさは非演出の中にあるはず。現実は想像よりもずっと緩い」ということを書かれていたのだが、自分が日頃からうっすら感じていたことを言われた気がして、すとんと腑に落ちた。

僕自身、構図やポーズを作り込みすぎた写真というのはあまり好きではなくて、撮るかどうかは、その場の雰囲気や偶然に委ねてしまうところがある。狙って撮ることはあまりしないし、狙って撮る技術もあまりない。それは、専業の写真家として生きていくには致命的な欠点なのかもしれない。

でも、ラダックという場所で撮影の枚数を重ねてきた中で、僕が「自分らしい」と思える写真というのは、その場の偶然に身を委ねた中で、被写体との関係がたまたま映り込んだ写真なのかな、と感じている。自分の力でものにしたのではなく、対峙した人や風景に助けられた写真。その場所に、時間に、どっぷりと身を浸していたからこそ撮れた写真。あまり仕事にはならなさそうだけど(苦笑)、そんな写真をこれからも撮り続けていけたら、と思っている。

一年が過ぎて

3月11日。東日本大震災が起こってから、一年が過ぎた。

一年前のこの日、凄惨な光景が映し出されるテレビの映像を見ながら感じていたのは、「またか」という思いだった。その半年ちょっと前の2010年8月に滞在していたラダックでは、集中豪雨による洪水で600人以上の命が奪われていた。僕は、トレッキングで訪れていた山の中で、濁流に呑まれそうになりながらも命からがら生き延びたのだが、その後は土石流で変わり果てた被災現場の写真を撮って、日本に送ることくらいしかできなかった。自分にとってかけがえのない場所や人々を襲った悲劇を目の当たりにした時の無力感とやりきれなさ、情けなさは、胸の奥にこびりついたままだ。震災の映像を見た時、その感覚がまざまざと甦った。

東北や北関東の被災地に比べれば、当時の東京の状況はどうということはなかった。計画停電なんて、ラダックは無計画停電が当たり前だし(苦笑)、菓子パンを買い占めたところで、食べ切れずに腐らせるだけだし。自分自身については、必要な用心さえしていれば何とでもなる、と開き直っていた。ただ、自分が被災地の人々に対して何か効果的なことができるのかと考えると、ラダックの洪水の時と同じ無力感に苛まれて、暗澹とした気分になった。

震災から数カ月後、父が急に逝ったことも、僕と家族にとっては大きな打撃だった。去年の初め頃から実現を目指していたラダックのガイドブック企画も、こうした想定外の出来事でたびたび頓挫し、ほとんど諦めかけた時期もある。そんな僕を奮い立たせてくれたのは、日本で、ラダックで、僕を支えてくれたたくさんの友人たちだった。

ラダックの洪水や東日本大震災の時から感じていたあの無力感は今も消えないけれど、自分が選んだ生き方の中で、自分にできること、やるべきことを一つずつ積み上げていこう、という気持にはなれた気がする。僕にとって、それは本を作ること。それしか能のない役立たずだけど(苦笑)、やるしかない、と。

みんながそれぞれの人生の中で、できることを精一杯やっていれば、きっと誰かに繋がる。今はそう信じている。