Category: Essay

「すごい写真」と「いい写真」

先日のトークイベントの時、「いい写真って何だろう?」というかなりアバウトなお題について、出演者の方々と少し話をした。それについて、その後も一人でちょっと考えてみたので、つらつらと書いてみる。

世間で「すごい写真」と捉えられがちなのは、見た目のインパクトやテーマの珍しさ、撮影時の設定や構図の完成度の高さなどで、「うわ、すごい!」と受け止める人が多い写真という気がする。一方、「いい写真」というのは、最初から問答無用に「すごい写真」と思われるほどインパクトが強くなくても、眺めているうちにいろんな想像をかきたてられたり、撮り手の気持がじんわり伝わってきたりするような写真が多い気がする。まあ、それも一概には言えないけれど。

インパクトや作品としての完成度は確かに「すごい写真」だけど、あまり深みを感じられないという写真は結構あると思うし、逆に、見ててじわじわくる「いい写真」だけど、技術的にちょっと惜しかったりする写真も多いと思う。趣味で撮ってる分には別にそこまで気にしなくていいんだろうけど、仕事でお金をもらう形で撮っている身としては、「すごくて、しかもいい写真」を目指さなきゃならないのも確か。なかなか難しいことなのだが。

僕自身、旅先で写真を撮る時は、あーでもない、こーでもない、と思い悩んで右往左往しながら、失敗に失敗を重ねつつ撮っている。あれこれ考えたところで狙い通りに撮れるとはかぎらない。でも、常に考えていなければ、いざという時に絶対に反応できない。失敗をくりかえすうちに、ふとした瞬間に、思いがけない形で、「これだ」と思える一枚が撮れることがある。その時の自分の気持を、すとんとそのまま素直に込めることができた写真。そういう一枚が、僕にとっては「いい写真」なのだと思う。

踏み外しまくる人生

今までの自分の人生をふりかえって、日本の社会の価値観みたいなものに照らし合わせてみると、何というか、とにかく踏み外しまくってきた人生なんじゃないかなと思う。

大学では自主留年して、卒業するまで六年もかかっている。その後も、正社員として企業に就職することは一度もなく、バイト(肉体労働もやった)や契約社員の仕事を転々としては、ふらっと旅に出ていた。やがて、成り行きでフリーランスというわけのわからない立場になり、それでもそれなりに安定してきたと思ったら、全部放り出してインドの山奥に一年半も行ってしまった。今、受験勉強や就職活動にいそしんでる若い人たちから見れば、たぶん絶対に真似したくない、ちゃらんぽらんな人生だろう。

僕自身、その時その時は何の余裕もなくていっぱいいっぱいだったけれど、今思うと、そうして踏み外しまくってきたからこそ出会えた、かけがえのない体験もたくさんあった。そうした体験の一つひとつが、今の自分を形作ってくれたと感じている。安定しているように見えた道を踏み外してから初めて、本当の意味で自分自身の人生が始まったとさえ思っている。実際、結構いろいろ面白かったし(笑)。

受験に失敗したり、就職活動に行き詰ったり、その後の人生でつまずいたりしても、きっと大丈夫。踏み外した先には、必ず別の道が続いている。他人に迷惑をかけないことを心がけながら歩いていけば、そのうち何とかなると思う。たぶんね。

バスからバスへ

昨日の夜、沢木耕太郎さんがラジオで、旅の運についての話をしていた。たとえば旅先でトラブルに遭遇して、めためたな状態の時でも、そこにちょっとでも面白がれる部分を見つけられたら、それはより濃い体験となって、次につながる運を引き寄せるのではないか、と。

それを聞いて、今年のタイ取材の時の出来事で、まだ書いてなかった話があったのを思い出した。まあ、どうということのない話なんだけど。

仕事の価値

仕事というものの価値について考えてみる。世の中にはいろんな職業があるから、一概に言えることではないけど。

いい仕事、価値のある仕事って何だろう? たっぷりと報酬がもらえる仕事? そうとはかぎらない。昔頼まれたある仕事は、確かに報酬はよかったけれど、それをしても世の中に何ももたらさない、ただその依頼主が公的機関から金を吸い取るためだけの仕事だったと知った。あれほど無駄な時間はなかったかもしれない、と今でも思う。

逆に、報酬は正直ちょっぴりだけど、隅々までとても気持よく関わらせてもらえた仕事というのも、時々ある。それは結局、目指しているものの世の中における大切さとか、関わっている人たちの熱意とか、そういうものを感じられるから「やってよかった」と思えるのだろう。

とはいえ、いい仕事には相応の対価が支払われるべきだということも、僕は大切だと常々思っている。いくら熱心に依頼されても、たとえば1文字0.1円で文章を書いてくれと言われたら、断るしかない。そんな依頼をする人は、その仕事の価値や求められる能力をまったくわかっていないからだ。

文章を書く仕事、写真を撮る仕事、本を作る仕事。依頼してくれる人たちと気持が通じ合って、よいものを世の中に届けていけるような仕事に携わりたいな、と思う。

役に立つ本、心動かす本

昨日のエントリーから、うっすらと続きみたいな感じでつらつらと。

二年前に「ラダック ザンスカール トラベルガイド」を出した時、本を読んで実際にラダックを旅した読者の方々から、「ありがとうございました」「助かりました」と言っていただいた機会が何度もあった。それまで僕はガイドブックの類の仕事はまったくしてこなかったから、自分の作った本が誰かの役に立っているというのは新鮮な経験だった。まあ、ラダックという特殊な場所のガイドブックだったからというのもあると思うけど。

ガイドブックのような類の本は、必ず「役に立つ本」でなければならない。そのためには、地図や情報を綿密に確かめつつ、その土地の各種スポットをなるべく公平な目線で紹介する必要がある。でも、そこであまりにも作り手の主観や思い入れを排除しすぎると、無味乾燥で当たりさわりのない内容になってしまいがちだ。そういう旅関係の本や雑誌、残念ながら結構多い気がする。

ラダック ザンスカール トラベルガイド」を作った時、僕は「役に立つ本」としてだけでなく、「心動かす本」にもしたいと思っていた。安直な釣り文句で煽ったりはしなかったが、写真とコピーとページ構成と、ぱっと見は何気ない説明文にまで、伝わらないかもしれないと思いつつ、めいっぱい気持を込めた。自分はラダックが好きなのだということ。この土地の魅力を、一人でも多くの人に伝えたいのだということを。

ガイドブックや実用書のような「役に立つ本」に、作り手の主観や思い入れは一切いらないという考え方の人もいるかもしれない。でも僕は、たとえガイドブックでも、「役に立ち、心も動かす本」にすることを目標にしたい。旅の本は特に、そうであるべきだと思うし。

それで「面白かったです! ありがとうございました!」と読者の方に言ってもらえたら、きっと最高なんだろうな。かなり欲張りだけど(笑)。今までもこれからも、そういう本作りを目指したいと思っている。