Category: Essay

はなさんの歌

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取材先から家に戻る電車の中で、iPhoneでニュースを見ていた時、羊毛とおはなのボーカル、千葉はなさんの訃報を知った。

ぼんやりとした気持のまま、雨の中を歩いて帰り、何かを書かずにはいられない気がして、机の前に坐ってはみたものの、何を書けばいいのか、言葉が見つからない。

羊毛とおはなの音楽に最初に接したのは、リトスタの店内でBGMでかかっていた「LIVE IN LIVING’07」が気になって、CDを買って聴きはじめた時からだと思う。羊毛さんが爪弾くギターに、はなさんの歌声が、深く、高く、遠く、響いて重なる。以来、二人の音楽はいつも、僕にとって、部屋で淹れるコーヒーのようにとても身近な存在として、当たり前のようにそこにあった。穏やかに晴れた日の朝も。冷たい雨に窓ガラスが曇る午後も。

二人は意外なほどうちの近所でたびたびライブをやっていて、僕も吉祥寺のキチムやアムリタ食堂で催されたライブに足を運んだことがある。本当にお互いが手を伸ばせば届くほどの近い距離で、はなさんと羊毛さんのおなじみのゆるい掛け合いに笑いながら、二人の歌に耳を傾けた。2013年10月に銀河劇場で開催された十周年記念ライブでは、出演者には内緒で観客全員に造花が一輪ずつ配られて、終盤のクライマックスでスタッフの合図とともに、みんないっせいにそれを頭上に掲げた。幸せなひとときだった。その時の花は、今も僕の手元にある。

2014年2月に品川のグローリア・チャペルでのライブ(この時の「Hyperballad」は本当に凄かった‥‥)を観た後、しばらくしてから、はなさんが病気療養のためしばらくお休みすると聞いた時も、でも、いつかまたライブに足を運べる日が来るに違いない、次はどこに行こうと、ほとんど何の疑いも持っていなかった。それから一年もしないうちにこんな報せを受け取るとは‥‥。やっぱり言葉が見つからない。

好きな曲はたくさんあるけれど、やっぱり、自分にとって一番しっくりくるのは、この間TOKYO FMの番組に出演した時にも最後にリクエストさせてもらった、「ただいま、おかえり」。歌詞にある通り、旅立つ時にすっと背中を押してもらえる、大切な曲。

はなさんの歌は、これからも、ずっと聴くよ。

インタビューに事前準備は必要か?

最近、自分のクライアントの担当者や同業者の知人から似たようなことを聞いたので、それについてつらつらと。

僕のようなライターが、仕事で誰かにインタビューをしてそれを文章にする時、取材前にはあらかじめ、相手についてある程度下調べをしたり、質問項目のリストを用意したりする。ところが最近は、そういう事前の下調べをあえてせず、アドリブの質問でインタビューをするライターの方も結構いるのだという。

個人的には、「事前準備もせずにインタビューするなんてありえない!」と頭ごなしに否定しようとは思わない。予定調和を排除してアドリブによるライブ感を重視したいインタビューなら、事前準備をしない方がいい場合もあるかもしれない。そのライターの方に卓越した実力(インタビュー術、文章力、その他もろもろ)があるなら、下調べなしのアドリブスタイルのインタビューをしてほしいという依頼も来るのかもしれない。ただ、僕自身のライターとしての今までの経験から言えるのは、世の中にあるインタビュー案件のうち、そういう類の仕事はほんのわずかだ。下調べをしていなければ相手はすぐ気付くし、気分を害する人も少なくない。ほとんどの場合、手抜きとしてしか受け取られないんじゃないかと思う。

じゃあ、とことん徹底的に前もって準備をして、インタビュー本番は計画通りに質問を重ねていけばいいのかというと、それもちょっと違う。あらかじめ決めた質問をするだけなら、誰にだって、機械にだってできる。大切なのは、自分は(あるいは依頼元は)なぜその人に会いたいのか、自分はその人に何を聞きたいのか、その2点をきちんと考えて、はっきりさせておくこと。それさえぶれなければ、予備知識や質問項目はいったんポケットに入れておいても構わない。インタビューでは相手の表情や言葉に全力で集中しながら、時には臨機応変に質問を変えたり、話の流れを微妙に調整したりして、自分が会いに来た理由を相手に伝え、自分が聞きたいことの核心を相手から引き出し、あわよくばプラスアルファの何かをつかみとることを目指す。それが良いインタビューの条件だと思う。

ちなみに、まだ駆け出しのライターの方は、事前準備はしすぎるくらいしておいた方がいい。その誠実さはきっと相手にも伝わるはずだし、たとえ途中でちょっとバタバタしたとしても、どこかで心の通じ合うやりとりはできるんじゃないかと思う。そういう経験を少しずつ重ねていけば、アドリブの質問なんて、そのうち意識しなくても自然にできるようになるはずだ。ぶっちゃけ、アドリブ自体は別にたいした技術でもないと思う。

あとは、ひたすら丁寧に原稿を書く。がんばりましょう、お互いに。

カメライターについての考察

最近、といってもここ一、二年くらいなのだが、初対面の人から仕事について聞かれて、「基本的には編集者兼ライターで、必要に応じて写真も撮ってます」と答えると、「ああ、カメライターなんですね」と言い放たれることが時々ある。

「カメライター」という言葉自体、微妙な造語だなと思うのだが、その使われ方も結構ネガティブというか、「写真と文章を両方できると売り込んで、安く仕事を取ってきてる、どっちつかずの連中」みたいなニュアンスの蔑称として使われている場合が多いように思う。特に同じ業界の人たちから。

僕自身に関して言えば、写真が仕事の範疇に入ってきたのは本当にたまたまだった。最初のガチな仕事が自分の初の単著に使う写真の撮影で、それも他に誰にも頼めなかったから(ラダックに一年半も住んでくれる人なんていない、笑)というだけのこと。その一回こっきりで終わらずに撮影や写真の貸し出しの依頼が続くようになるとは、想像もしていなかった。

文章についても、写真についても、自分の能力はどちらもまだまだだということははっきり自覚しているけれど、文章だけ、あるいは写真だけでも、仕事として依頼されれば、お金を受け取るのに恥ずかしくない結果を残す自信は、それなりにある。なければプロとは名乗らない。あと、少なくとも「写真と文章の合わせ技にできますから人件費をコストダウンできますよ」といったこすっからい売り込みは、僕は一度もしたことがない。もらえるなら倍もらうか、撮影は信頼できるカメラマンさんに依頼する。

実力のあるフォトグラファーの方々は、自分自身で語るに足る言葉を持っている。実力のあるライターさんたちは、何が大切かを見抜く目を持っているから、ペンをカメラに持ち替えてもそれを捉えられる。個人的には、「カメライター」という言葉自体、そのうちそういうポジションの人が当たり前になりすぎて使われなくなると思っているし、「カメライター」をよろず屋とみなしていた人も消えていくだろうと思っている。

要は、世間からどんな呼ばれ方をされようが、結果を出せばいいだけのことだ。

ガイドブックのない旅

二十代の頃、割と長めの旅を二度やった。生まれて初めての一人旅は、上海まで船で渡り、シベリア鉄道に乗った後にヨーロッパを回る約四カ月の旅。二度目の旅は、ロサンゼルスからバスを乗り継いでメキシコと中米を回る約三カ月の旅。この二度の旅の時、僕はガイドブックの類を日本から持って行かなかった。確か最初の旅の時は、バイト先の人から餞別にもらったヨーロッパ全体の地図をバッグに入れてたっけ。

今思い返してみると、別に何か思うところがあったわけでもなく、単にカッコつけてイキがってただけに違いないのだが(苦笑)、最初にガイドブックのない旅から始めたことは、僕にとって、とてもいいレッスンになったと思う。

見知らぬ街に着くと、まず情報を探す。ツーリストインフォメーションや街の本屋で地図を探し、あれこれ人に聞いてみたり。どこに安宿やユースホステルがあるのか、どこに市場や安食堂があるのか、歩いて探す。もちろん不安にかられはするのだけれど、それ以上に、何ともいえない、ぞくぞくするような愉しさがあった。うまくいく時もあれば、いかない時もある。それもこれも全部ひっくるめたものが、僕にとっての旅だった。

今は、世界のどんな辺境でも何かしらのガイドブックや、Webにまとめられた情報がある。スマートフォンが一つあれば、見知らぬ街でも目的の場所まで迷わず一直線に辿り着ける。どこにどんな安宿があって、どこで地元の名物が食べられるのかもすぐに調べられる。確かに便利だ。でもそこには、僕が二十代の頃に感じていた旅の愉しさはない。

おすすめはしないけれど、ガイドブックのない旅も、愉しいものだよ、とは言っておきたい。

リスクについて

十数年前、約半年をかけてアジアを横断する旅の途中、パキスタンのペシャワールに何日か滞在していたことがある。当時のパキスタンは今と比べるとまったく平穏な状態だったが、隣国のアフガニスタンは、タリバンの台頭に伴う内乱によって混迷を極めていた時期だった。

ペシャワールの安宿のドミトリーには、僕以外にも結構大勢の日本人旅行者が泊まっていた。彼らの間では、どうやったらペシャワールからアフガニスタンに入って戻ってこられるか、という話題でもちきりだった。カメラなどをいっさい持たない状態で入れば、途中でタリバンに捕まっても大丈夫らしい、とか何とか。彼らがアフガニスタンに行きたい理由は、単に怖いもの見たさの好奇心と、危ない国に行ってきたと周囲に自慢したい功名心でしかなかった。僕はそんな彼らの話を聞きながら、心底くだらない、と思っていた。

異国を旅したり、あるいは暮らしたりしていると、常にある程度のリスクがつきまとう。時にはどうにも避けようがない事態も起こりうる。ただ、常に用心深く行動して、冒さなくてもいいリスクを冒さないようにすれば、そうした確率をぐっと減らせることは間違いない。あの時、ペシャワールから物見遊山な気分でアフガンに行こうと話していた日本人たちは、まったく冒す必要のないリスクをわざわざ抱え込もうとしていた。

世界各地の紛争地帯で活動するジャーナリストたちは、その地で起こっていることの真実を伝えるという目的のため、リスクを冒してまでも危険な場所に赴く。ジャーナリストにも正直ピンからキリまでいろんな人がいるが、彼らは危険な状況下でも、彼らなりに最大限のリスクマネジメントをして、身の安全を図ろうとしている。それでも時には判断ミスをしたり、万全を期していたのにどうにもならない事態に巻き込まれたりすることはありうる。

心あるジャーナリストであれば、自分がリスクを冒して危険な地域に入った結果、危機的な状況に陥ってしまったら、それを非難されても仕方ないと思うだろうし、逆に聖人君主のように祀り上げられたら違和感を感じるだろう。常にそういう覚悟を持って取材に臨んでいる人は少なくないと思う。

ただ、さしたる覚悟も切実な目的も持たない人が、異国の地で、単なる油断と不注意によるリスクを冒し続けるのは、愚の骨頂だ。自分自身、あらためてそのことを肝に命じたいと思う。