Category: Essay

比較対象外

今の自分の仕事に関して、別の誰かの仕事と比較された経験が、ほとんどない。

そもそも、編集とライティングに写真まで、三足もの草鞋を履く人は今でも稀だ。その上、一番の専門分野がインドの山奥。比べようにも対象となるような仕事の仕方をしてる人が誰もいない、というのが実際のところだ。

文章も写真も編集力も、どれも取り立てて人より秀でてるわけではない。せいぜい並の能力だと自覚している。でも、争う相手が誰もいない場所で、並の能力をあれこれやりくりしていけば、僕みたいなのでも、どうにかこうにか生き残っていける。狙ってこうなったわけではないけれど、結果的に選ぶべくして選んだ道だったのかなと思う。

誰かと無理に争わなくても、自分自身との戦いにさえ勝てば、やっていける場所はいくらでもある。

「プロ意識」の基準

「プロ意識」という言葉には、職人や専門職の人たちが持つその分野ならではの考えという意味合いがあるが、最近では比較的一般的な職業の人たちでも、担当領域で持つべき意識という感じで使われている印象がある。僕自身は、もともと編集者でありライターであり、最近は写真もやっているが、いずれもプロ意識なるものを持ってなければ食べていくこともままならない立場なので、自分なりに意識してきた基準めいたものはある。

それは、自分自身の担当領域に対する「責任」と、他人の担当領域に対する「敬意」、そして何か判断を下さなければならない時の「論理性」だ。

自分の担当領域への「責任」というのは、当たり前すぎるように思えるかもしれないけど、それがどのような結果をもたらすかを見通した上で責任を持てるような取り組みをするには、結構な覚悟がいる。結果というのは必ずしも経済的な数字だけとは限らないので、なおさらだ。

同時に、他人の担当領域に対して「敬意」を持つことも大事だと思う。これは他に問題があってもナアナアの馴れ合いでスルーしていいということではない。きちんと敬意を持って接し、互いに理解に努めた上で、問題があればフォローし合う関係を築けなければ、まともなチームワークは期待できないからだ。

その上で、仕事を進めていく上で何らかの判断を下さなければならない時は、好きとか嫌いとか他人との関係とか、そういうものには左右されず、「論理性」を持つ根拠に基づいて判断できるようでなければならない、と思う。

まあでも、仕事の種類にもよるけれど、関わる人が増えれば増えるほど、理想通りに仕事に取り組むのは難しくなっていくんだよな……。かといって、そこで「プロ意識」を譲って妥協してしまうのは、絶対にしてはいけないことだとも思う。たとえ立場的にやせ我慢だとしても、どれだけ矜持を保っていられるのかは、プロであるか否かの基準だ。

フォロワーを金で買うことについて

僕の周囲の人も含め、知らない人も意外と多いようなので、一応書いておくが、TwitterやFacebookやInstagramなどの主要SNSのフォロワーは、その気になれば、金で買える。「いいね!」やリツイートの類も、金を払えば購入できる。

直リンクを張るのはバカらしいのでやめておくが、「フォロワー 買う」などのキーワードで検索すれば、その手のサイトや関連情報は山ほどひっかかるはずだ。ここで言う金で買えるフォロワーとは、ほとんどの場合、実在の人間に見せかけて作っているダミーアカウントだ。プロフィールやツイート内容を少し見れば、生きている人間が日々の生活の中で使っているリアルなアカウントでないことは、すぐにわかる。それらのダミーアカウントを大量に保有している業者が、購入を希望した人間のアカウントをフォローする。フォロワーを買ったことがバレにくいように、日本人に見せかけたダミーアカウントを売りにしている業者や、一度にではなく少しずつフォロワー数を増やすプランを持っている業者もいる。たとえば、膨大なフォロワー数の割にリツイートや「いいね!」の数が極端に少ない人がいたら、ちょっと警戒してみてもいいかもしれない。

言うまでもないことだが、フォロワーなどを金で買う行為は、どのSNSサービスにおいても利用規約違反だ。何らかの証拠を掴まれて通報されるなどしたら、購入した人間のアカウントは凍結される。つかの間の虚栄心を満たしたいがために手を染めるにはリスクが高すぎる行為だ。そもそも、見る人が見ればフォロワーを買ったことなどすぐにバレるのだから、指摘されて露見した時の社会的ダメージも大きすぎる。有名人の場合は特にそうだ。

それでもこの手の業者の横行が未だに後を絶たないのは、人気がなくて焦ってる政治家とか、売れなくて焦ってるアイドルとか、ノルマに焦ってる企業のPR担当者とか……要するに、自分を人気者に見せかける必要に迫られている人が少なからずいるからだろう。だが、その見せかけの人気を何らかの形で金を稼ぐ行為に結びつけようとすれば、その人はもう立派な詐欺師だ。まあ、そんな見せかけにだまされる人も相当チョロいと思うのだが。

金を払えば、見せかけのフォロワーたちは買えるかもしれない。だがもちろん、血の通った本当の人間とのつながりは絶対に手に入らない。それでも金でフォロワーを買いに走る人たちは、つくづく可哀想だなと思う。

自分は自分以上になれない

考えてみると、今という時代は、至るところで自己紹介やプロフィールを書く必要に迫られている気がする。昔ながらの履歴書や職務経歴書なんてものだけでなく、Webサイトやブログ、FacebookにTwitterにInstagramに……何でもかんでも。

匿名にしたい場合はプロフィールも煙に巻くような内容で別に構わないわけだが、実名の公表が必要な場合、あるいは自ら実名の公表を望んでいる場合は、それなりにちゃんとした内容のプロフィールを載せなければならない。これもまあ普通に考えれば、事実に基づく自分の経歴と現在の立ち位置をそのまま書けばいい。でも最近は、経歴や実績を事実以上に盛ってみせたり、嘘で塗り固めたり、実際は何の裏付けもないのに相手に都合よく受け取ってもらえそうな耳ざわりのいい言葉を選んだりしている人もいる。そういう、いかにも前のめりな虚勢を張っていそうなプロフィールの人を見かけたら、僕はとりあえず用心してかかることにしている。

詐欺師か何かならともかく、普通の人が自己紹介やプロフィールで自分を優れた能力のある人間に見せかけても、あとでメッキがはがれた時のダメージが大きくなるだけだと思うのだが、どうだろう。自分は結局自分以上にはなれないのだから、そんな上っ面のごまかしに頼るのではなく、日々の生活の中で自分のすべきことに淡々と取り組んで、ありのままの結果を示せばいい。僕はそう思う。

旅の本、冬の時代

旅の本が、売れていない。書店の旅行関連コーナーに行っても、平積みされている新刊の点数が明らかに少ない。各社でシリーズ化されている旅行ガイドブックも軒並み低調だそうで、コスト的に改訂のメドが立たないものまであるという。

そもそも、海外旅行業界全体が思わしくない状況のようだ。長引く円安傾向に加え、混迷を極める中東の政情不安は、テロという形で欧米諸国にも波及している。地震などの自然災害や、少し前のエボラ出血熱の流行など、マイナス要因を挙げはじめたらきりがない。プラスになりそうな要因は、原油安による燃油サーチャージの低下くらいだろうか。今、日本からの旅行先で安定して人気なのは、台湾だけではないかと思う。その証拠に、台湾関連の本や雑誌、ムックの刊行点数だけが、最近飛び抜けて多い。

こういう状況になると、しばらく前からいつのまにか「トラベルライター&フォトグラファー」みたいなレッテルを貼られている(苦笑)僕のような人間は、やっぱり困る。僕自身は別に旅だけを専門にしてるわけではなく、今も旅とはまったく関係ない本を編集していたりするのだが、個人的に大切にしている企画のいくつかが旅にまつわる本であることは間違いないので、こういう旅行書の冬の時代の到来はきつい。

新しい旅の本の企画書を作っても、出版社では今、前にも増してなかなか相手にしてもらえない。多くの出版社が望むのは、とにかく確実に売上が見込める本。斬新なアイデアは敬遠される。だから、他社の売れ筋企画を臆面もなくパクった本が次々と出てしまったり、同じ地域についての本ばかりが妙に増えてしまったりする。本が売れないから、出版社が用意する予算はどんどん少なくなり、それにつれて品質も下がっていく。

そんな冬の時代に、僕のような人間には、何ができるのだろう?

この仕事をしている以上、常に心のどこかで、カキーンと逆転満塁ホームランを放つためのアイデアを考え続けてはいる。でも、その確率はあまり高くないし、たとえ打てたとしても、実際はそれほど潤沢に報われるわけでもない。

それよりもたぶん大事なのは、逆転満塁ホームランとは別に、本当の意味で自分が大切にしているもの、作りたいと思える本のアイデアを、ぶれずに心の中で持ち続けることなのだと思う。仕事をどうにかこうにかやりくりして持ちこたえながら、チャンスが訪れるのを、息を潜めて虎視眈々と待ち続けるしかないのだ。

‥‥ほんと、バイトでもしようかな(苦笑)。でも、もうしばらく、がんばろう。作りたい本を、作るために。