Category: Essay

プロの書き手であり続けるための二つの基準

僕は30歳を過ぎた頃にフリーランスとして本格的に独り立ちして、編集者兼ライターとして、いくつかの雑誌で仕事をするようになった。未熟ながらもどうにかこうにか生活できていたのは、すこぶる優秀とまでいかなくても、各編集部からの要求を満たす結果をそれなりに出し続けていたからだと思う。クライアントが求めるものに可能な限り近い成果を上げるためのスキル。それを持っていることは、プロの書き手として最低限の基準だった。

でも、そうしてクライアントからの要求に応えるための仕事を何年か続けていくうちに、このままでいいのか、という気持が胸の奥で芽生えた。自分が本当に心の底から作りたいと思える一冊は、まだ作れていないのではないか。そこから僕は、なぜか日本の仕事を全部ほっぽり出してラダックくんだりまで行って本を書く、という素っ頓狂な道を選んでしまったのだが(苦笑)、今考えるとそれは、当時の自分にはまだ欠けていた、プロの書き手に求められるもう一つの基準を満たすための模索だったのかもしれない。

クライアントが求めるものに応えられるスキルを持っているのは、プロとしての最低基準。その上でクリアすべきもう一つの基準は……自分が書きたいと思えることを自分らしい形で書き、なおかつそれを周囲からも認められる仕事として成立させられるだけのスキルを持っているかどうか。そのスキルには文章力のほかに、企画力や交渉力、苦境にもへこたれない意志の強さなども含まれる。これは書き手だけでなく、写真家やイラストレーターなど他の分野でのフリーランサーにも通じる話だと思うし、それらの分野におけるアマチュアの方々との決定的な違いにもなると思う。

僕自身、自分のやりたいことだけ好きに書いたり撮ったりして生活しているわけではなく、生活費の大半はクライアントから依頼された仕事でまかなっているのだが、自分の仕事の芯となる部分に自前の企画で個性を発揮できる仕事を持ち続けることは、他のクライアントとの仕事にも好影響をもたらすし、いい形で新しい仕事につながっていくきっかけにもなる。

クライアントの要求に応えるためのスキルと、自分のやりたいことを仕事としても成立させるためのスキル。僕自身まだまだ未熟だけれど、これからもプロの書き手、そして写真家であり続けるために、二つのスキルを磨き続けていこうと思う。

孤独の意味

「誰もいない原野の真っ只中で、たった一人でいることが、嬉しくて、嬉しくて、仕方なかった」

20年以上前、ある人が、ある人と、ある人について話した言葉。当時、それを耳にした僕は、その意味がまったく理解できなかった。でも、今はたぶん、ほんの少しだけ、その真の意味が理解できるような気がしている。

危険をかえりみずに冒険をしたことを後で人に自慢しようとか、そんな薄っぺらい気持では断じてない。他の人間と関わるのが嫌で一人になりたかったというのとも違う。たった一人で、誰もいない原野にいる。でも、つらくはないし、寂しくもない。完全な孤独の中に身を置くからこそ、理解できる感覚。世界のすべての存在の中で、自分はそのほんの一部分に過ぎないということ。

あの感覚を、人に説明するのは、とても難しい。

キュレーションメディアとリライトライターの闇

最近、巷で話題になっている、DeNAのキュレーションメディアの問題。きっかけは、医療情報サイト「WELQ」が日々大量にアップロードし続けていた信頼性に乏しい粗悪なクオリティの記事の数々が、「医療デマ」の流布にあたるのではという批判が相次いだことだった。

DeNA側は専門家による監修や通報フォームの設置を実施すると表明したものの、最終的には「WELQ」の記事をすべて非公開状態に。その後には、同社系列のキュレーションメディアのうち、「MERY」以外の8つのサイトの記事もすべて非公開にされた。唯一残った「MERY」も、10万本以上あった記事の大半が非公開状態となっている。「WELQ」の医療デマに対する批判がここまで燃え広がったのは、BuzzFeed Newsの告発記事の影響が大きい。

DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言

キュレーションメディアというのは、一般の人が投稿した記事を集めて掲載するサイトという建前になっているのだが、上の記事によると、DeNAは自社系列のキュレーションメディアを運営するにあたり、ランサーズやクラウドワークスといったクラウドソーシングサービスを通じて、社名を隠しながら1000人単位でライターを集め、指定した内容の記事を大量生産させていた。報酬は1文字あたり0.5円かそれ以下という極端に安い金額。作業内容も、会社側が指定した複数のサイトからその内容をパクってツギハギにし、写真も同じく適当にパクってきて、記事っぽく仕立てさせるというものだった。コピペだとバレないようにリライトさせるための指示マニュアルまであったのだという。

DeNAに限らず、世間一般のキュレーションメディアと呼ばれているサイトのほとんどは、記事の内容の面白さやオリジナリティは関知していない。とにかく大量の記事を、サーチエンジンの検索結果の上位に来るように細工して投入する。少しでも多くの人間にクリックさせて、広告収入を稼ぐ。彼らの目的はそれだけだ。DeNAのキュレーションメディアはその最大手クラスだが、ほかにも有象無象のキュレーションメディアは山ほど存在する。

ここで問題になるのは、1文字0.5円以下という極端に安い料金の募集でも、それに応募してくる人がいるということだ。その多くはいわゆるプロのライターではなく、お小遣い稼ぎの内職として申し込んでいる素人の人たち。ランサーズやクラウドワークスは、完全に確信犯的にそうした素人ライターを集めてキュレーションメディアに送り込んでいる。DeNAと同様に彼らもまた、一般のサイトからパクってきた内容をバレないようにリライトさせるためのマニュアルを用意して、それを自社サイトで堂々と公開していた。

初心者にも分かる!リライト作業の具体的な進め方とは?」(元ページは内容が書き換えられたので魚拓から)

「リライトライターでも立派なライターであり、ライターとはまた違う能力が求められていると自覚しましょう」とまで書いてある。正直、読んでいて気持悪くなって、吐き気がした。何? リライトライターって? パクリライターじゃないのか?

文章を書くことに対するモラルや志や愛着をまったく持たないまま、単なる小遣い稼ぎの内職としてこういうリライトライターに応募してくる人は、これからも後を絶たないのかもしれない。最近では、コピペだとバレないかどうかを判定する自動診断ツールや、コピペ元のテキストを入力すれば自動的にリライトした文章を生成するツールまであると聞く。粗悪なパクリ記事を大量投入してそのページビューで広告収入を稼ぐというこの悪辣なビジネスモデルが駆逐されないかぎり、こうした傾向はなくならない気がする。

僕のようなフリーライターは、淡々と、コツコツと、自分自身の言葉で文章を書いていくことしかできない。今までも、これからも、それだけだ。でも僕は、そういう自分の仕事に誇りを持っている。こんな時代だからこそ、なおさらそう思う。

つまらないこと

生きていると、つまらないな、と思うものや出来事に出くわすことは、しょっちゅうある。

どう考えてもやりがいの見つけられない仕事。ただの時間つぶしにしかならない娯楽。他人の顔色を伺いながら調子を合わせるだけの会話。

でも、よく考えてみたら、毎日々々、楽しい仕事ばかり手がけて成功し続けて、プライベートも何もかも、幸せいっぱいで充実しきっている人って、この世界にどのくらいいるのだろうか、とも思う。たぶん、いるのかもしれないけど、きっとそういう人は自分が満ち足りているとは気付いていないだろうし、それに、そういう状態は、それはそれで別の意味でつまらないんじゃないかなと思う。

日々の仕事や生活の中に、つまらないものや出来事が山ほどあるからこそ、人はそこから這い出して何かを目指そうとするのかもしれない。途中で何度もきついことに出くわして、つらい思いをするからこそ、その先に辿り着いた時の嬉しさを味わえるのかもしれない。

だからそういう意味では、つまらないものや出来事も、まったく無駄というわけではないのかな、と思う。

アイデアは無料ではない

今年の初め頃、人づてに、とあるWeb制作会社からライティングの仕事の依頼を受けた。ある航空会社が運営するサイト内で、全国各地の観光スポットを季節やテーマに応じて紹介していくコンテンツで、スポットの選定と写真素材の提供交渉(予算がないというので観光局などから無料で貸してもらうように交渉する)、そしてスポット紹介のテキストやリードコピーの執筆が僕に依頼された仕事だった。二回目からは季節に合わせたテーマ案とスポット候補の提案から参画させられた。

しかし、二回目のコンテンツが完成した後、三回目の制作は、他のWeb制作会社とのコンペになった(僕は知る由もないが、先方に航空会社のご機嫌を損ねる何事かがあったらしい)。僕は当初そのコンペにはいっさい関与していなかったが、インドから帰国した直後あたりに、先方の社内で配置換えさせられたばかりの女性プロデューサーから「こちらで提案した企画が差し戻されて、再提出の期限が迫っています。何かいいアイデアはありませんか?」という泣きのメールが送られてきた。そもそもコンペのこと自体、僕は詳細をまったく聞かされていなかったし、だったらなぜ最初から僕を企画会議に参加させなかったのかと訝ったが、前に継続案件になることを想定して温めていたテーマ案とスポット候補のリストをメールで送った。

それから一カ月間、そのWeb制作会社からはまったく何の連絡も届かなかった。三回目の制作のスケジュールを考えれば、とっくに時間切れだ。で、アラスカから戻ってきた後に、件の女性プロデューサーにメールで問い合わせると「ついさきほどクライアントから連絡があったのですが……」と(そんな遅すぎる上に同日というタイミングで連絡が来ることはありえないので、もちろん言い逃れのための嘘だ)彼らがコンペに負けたことを知らされた。その結果は僕には別にどうでもいい。だが、こちらから提供したテーマ案とスポット候補の企画の処遇について聞くと、それに対するコンペフィーは払えないという。その件で別の男性ディレクターが送ってきたメールには「そこに費用が発生するなどとは我々は想像もしていませんでした」と、しれっと書かれていた。

こういう場合にアイデアを出してほしいと依頼する時、コンペに負けたらコンペフィーが払えない事情があるなら、あらかじめそう伝えた上で「それでもよければご協力いただけませんでしょうか?」と頭を下げて依頼すべきだ。僕が依頼する側なら必ずそうするし、それが常識だと思う。アイデアは無料ではない。なぜなら、それは人が知恵と労力を費やしてゼロから生み出したものだからだ。でも、最近の世の中には、人の頭の中にあるアイデアはタダで拝借できると勘違いしている輩が多いようだ。個人だけでなく、企業のレベルでも。あきれてものが言えない。

件のWeb制作会社とは、完全に縁を切った。ああいうしょうもない会社がどういう運命を辿るのかは、自ずとわかる。