Category: Diary

無水調理に挑む

先日買ってカレーを作ってみて以来、すっかり気に入ってしまったストウブの鍋。その後、この鍋を使った調理法をまとめた本を本屋で探してるうちに「ストウブで無水調理」という本を入手。今夜はこの本に載っていた「鶏肉の無水煮込み」というレシピを試してみた。

鍋にオリーブオイルを入れて中火にかけ、大きく櫛形に切った玉ねぎを入れて少し焼き目をつけ、その上に事前にしっかり塩で下味をつけた鶏もも肉を並べ、ぶなしめじをどっさりと。塩を振って蓋をして、隙間から湯気が出てきたら弱火にして、約40分から1時間。その後も鍋が冷めるまで放置して余熱調理して、食べる前に少し温めて塩胡椒をしたら完成。

……という手順で挑戦してみたのだが、結果は、失敗。無水調理で出てくるはずの煮汁があまり出て来ず、玉ねぎが鍋底で焦げ付いてしまった。原因としては、玉ねぎの量がちょっと少なかったこと、最初に蓋をしてからの加熱がやや足りず、その後の弱火の火加減は逆にやや強すぎたこと。弱火にかける時間もちょっと長すぎた。反省。

ただ、玉ねぎは大半が鍋底で焦げ付いてしまったのだが、その上の鶏肉やぶなしめじはとてもいい感じで火が通っていて、ほぼ塩だけで味付けしたとは思えない柔らかさとうまさだった。ストウブの鍋のポテンシャル自体に間違いはない。これから先、何度かトライしていけば、うちの台所での最適な調理の段取りもつかめると思う。

まあ、無水調理という手法自体にそこまでこだわりがあるわけでもないんだけど。明日は普通にホワイトシチューを煮るつもり。

憤死寸前

昨日は夕方から、渋谷にある旅行会社の事務所で飲み会。7月にラダックで実施した、写真家さんたちの取材ツアーの打ち上げ。僕の帰国が遅かったせいで、打ち上げも今頃になってしまったのだった。

ブータンから届いた松茸をグリルで焼いたものや、角田明子さん入魂の餃子の数々、鮫島亜希子さんお手製のチキンビリヤニとイカカレーなど、豪華なメニューがずらり。話もとても盛り上がって、愉しい飲み会になった。

途中、僕以外の方々が秘密裏に仕込んでいたという、入籍祝いに用意してくださっていたケーキがローソクを灯されて運ばれてきた。そして、ケーキを持たされている僕を、プロの写真家5人がスマホで激写するという状況に(苦笑)。あまりにも恥ずかしすぎて、憤死寸前だった……憤死という言葉の本来の意味合いとはちょっと違うけど、まじでこめかみの血管が破裂しそうなくらい、しんどかったので。

人前でああいう風にされるのは、自分にはやっぱり、無理だ……。でも、みなさんのご好意、嬉しかったです。ありがとうございました。

気分をアゲる

午後、淵野辺方面で取材。昨日の昼頃に急にメールで依頼されたのだが、依頼元からの指示が二転三転して、相当カオスな状況に陥っていた。だから、家で身支度をしている時もかなり憂鬱だった。

こういう日は、ほんのちょっとでもいいから、気分がアガるようなことをしよう。

少し前にネットで買った、新しい靴をおろす。blueoverのMARCOという、ちょっと変わった革靴。新しい靴を履くこと自体、割とひさしぶりだったから、僕的にはまずこれで気分爆アゲである。

次に、予定より1時間ほど早く家を出て、途中の八王子で途中下車。この街に来たらほぼ必ず立ち寄ってる煮干しラーメンのうまい店で、特製煮干しラーメン。これでさらに気分がアガった。

肝心の取材の方は、取材対象の方にいろいろ助けていただいたこともあって、どうにかつつがなく終了。いや〜、ほっとした。何だかんだで仕事が無事に終わるのが一番だ。さて、晩ごはんは、宝舞の餃子にするか。

ストウブの鍋

引っ越しが終わって、新しい生活もようやく少しずつ落ち着いてきた。で、先日、煮物用の鍋を新しく買った。家でカレーなどの煮込み料理を作る時、手元にある鍋だと、イマイチ小さくて作りづらかったので。

新しく買ったのは、ストウブのココット・ラウンド、22cmモデル。今日さっそく、ナスとキノコのキーマカレーを煮込んでみた。

いやあ、すごい。びっくりするくらい、おいしく煮えた。

ストウブの鍋は、本体も蓋も分厚い鋳物琺瑯なので、いったん火にかけて熱すると、鍋自体が熱を蓄える。薄い片手鍋とかだと中火や強火にする場面でも、弱火で十分調理できてしまう。重い蓋のおかげで、水蒸気もほとんど逃げない。だから、材料に対する熱の伝わり方に偏りがなくて、全体的にじんわり、いい感じで煮ることができる。

僕自身は別に料理慣れしてるわけでもないけれど、ストウブの鍋での具材の煮え方は、素人目にも、今まで使ってきた鍋とは全然違う。ごつくて重い鍋と蓋は扱いにちょっと注意が必要だが、一度これを使ってしまうと、もう他の煮物鍋には戻れない気さえしてしまう。

ネットで検索すると、ストウブのファンサイトがたくさんヒットするのだが、みなさん、5つも6つも、人によっては何十個もサイズや型番違いのストウブの鍋を買い集めていて、びっくりした。調理鍋にも、沼の世界があるのか。

天からの災厄

今年の日本は、大規模な自然災害が、とにかく多い。西日本の豪雨による洪水、関空を閉鎖にまで追い込んだ台風21号の暴風雨、そして今朝の北海道の震災。ヘリからの空撮で、山という山がまるで冗談のように根こそぎ崩れて土肌を晒してる写真を見て、唖然とした。

こういう自然災害のニュースを見ていると、不安になる一方で、「いや、自分たちは大丈夫だ」と根拠もなく思い込みたくなったりもする。当たり前だが、そんな保証はまったくどこにもない。いつになるか、どの程度になるかはわからないけれど、自分たちの番は必ず来る、と思っておいた方がいい。実際、その通りだろうし。

天からの災厄と、人の営みの儚さ。ほんと、次は自分たちの番、かもしれない。

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J.D.サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」読了。「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンが登場する作品を中心にしたいくつかの短編と、グラース・サーガの最後の作品、7歳のシーモアが書いた長い手紙という形の中編「ハプワース16、1924年」が収録されている。サリンジャーの小説を読んだのはものすごくひさしぶり(20年ぶり?)だったのだが、その文体のみずみずしさと、繊細に組み上げられた構成の巧みさに、あらためて舌を巻いた。第二次世界大戦に従軍した時の経験が彼の心の奥に深い傷を負わせていたことも、この本で実感した。

気になったのは、訳者が「ハプワース〜」で、レスを「父さん」、ベシーを「母さん」としたという点。そこは、訳者として違和感があったとしても、原文のまま「レス」「ベシー」としてほしかった。シーモアはそのくらい、ぶっちぎりにこましゃくれた子供だったわけだし。

ともあれ、再びサリンジャーに興味が湧いてきたので、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「フラニーとズーイ」、柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」など、最近の新訳で読み直してみようかな、と思う。