Category: Diary

スパイスカレーはじめました

自炊を始めて以来、家でカレーを作る時、ルウはジャワカレー辛口、一筋だった。それも固形のルウではなく、プライムジャワカレー辛口という粉末タイプのもの。二人前ずつ小分けにされているので、家で作るにはとても便利だったのだ。

ところが最近、この粉末タイプのルウを店頭で見かけなくなった。中辛はあるのだが、辛口がないのだ。ネットでも売り切れ状態。なので、中辛のルウにカレー粉を足したりしてみていたのだが、だったらいっそ、ルウを使わずにスパイスカレーを作ってしまえばいいのでは、と思い立った。

ネットでいくつかのレシピを調べてみると、凝りすぎなければ、そこまで難しくもないことがわかった。スパイスはクミン、コリアンダー、ターメリック、レッドチリの4種類。そのほかの材料は、鶏もも肉、タマネギ、ニンニクと生姜、トマトかトマトペースト、生のコリアンダー、塩、少量の砂糖、オリーブオイル。これだけあれば、とりあえずOKらしい。

作る時のコツ(というほど難しくもないが)は、みじん切りにしたタマネギをじっくり炒めて飴色のペースト状にしていく時のやり方だろうか。炒めはじめる時に軽く塩を振るとタマネギから水分を出やすくなることと、ある程度焦げ色がついてきたところで差し水をすると一気にペースト化が進むということを押さえておけばOK。そこにニンニクと生姜のすりおろし、トマトペースト、スパイス4種と塩を投入し、カレーのペーストに仕上げ、肉を炒め合わせてから、水(今回は野菜だしのスープを使った)を加えて煮る。今回はスーパーで生のコリアンダーが売り切れてたので、カルディで売ってるフリーズドライのコリアンダーを最後に放り込んで仕上げた。

初めて作ったスパイスカレー、我ながらまずまずいい感じの味になったと思う。あと、何というか、達成感というか(笑)。もちろん、カレールウで作るカレーも依然として好きなので、これからは気が向いた時に、気が向いた方のカレーを作ろうかなと思う。

道半ばにて

書いている。毎日、本の原稿を書き続けている。

今の時点で、全五章のうちの第二章の終盤まで来ていて、ボリューム的には全体の4割に届くかどうか、というところ。ただ、最初にプロットを作った時の想定より、全体の文字数が増え気味な傾向がある。このテンションで、予定のスケジュールに間に合うように書き進めていくのは、かなり大変だ。

1500メートルや5000メートルの中長距離走で、スタートしてトップスピードに乗った後、苦しくなってきてもペースを緩めるに緩められず、限界を超えるまで耐えに耐えて突っ走っていく、あの感じに似ている。まだまだ、執筆は道半ばだ。きついけど、弱音を吐いてペースを緩めるわけにはいかない。やるしかない。

iPhoneで本を書く

今取り組んでいる本は、今までとは違う(僕的には)新しい方法で書いている。

原稿を書く時、僕はMacのテキストエディタ(Jedit Ω)を使ってきた。で、今回は、テキストエディタをメインで使いつつ、ある程度書き進めたら、同じ原稿をMacのメモアプリにコピーしている。MacのメモアプリはiCloud経由でiPhoneのメモアプリと同期させているので、外出先でも、iPhoneで原稿の内容を読み返すことができる。

もともとは、本の各章のプロットをメモアプリで共有して、外出時などにプロットの検討と調整をiPhoneでやってみたのがきっかけだった。移動時間やちょっとしたスキマの時間、あるいは何かアイデアを思いついた時などに、ちまちまとプロットをブラッシュアップしていけるのは、思っていた以上に便利だった。なので、原稿本体を書き進める時にも、同じ方法を試してみよう、と考えた次第。

ただ、僕の場合、iPhoneでの作業は、基本的にMacで書いた原稿の推敲と、何かアイデアを思いついた時の追記に限定している。iPhoneのメモアプリでゼロから原稿を書き進めることはしないつもりだ。というのも、iPhoneの画面だと、文章の1行あたりの文字数が少なすぎる。ある程度の文字数、単行本と同じ1行43文字くらいはないと、文章の佇まいが違ってきてしまう気がするのだ。ちょっとした長さの文章ならともかく、単行本に収録するような長文をゼロから書くには、僕の場合、iPhoneでは無理があると思う。

とはいえ、スキマの時間も有効活用できるのは、やっぱり便利だ。脳内のスキマを四六時中みっしり原稿で埋め尽くされそうな気がして、ちょっと怖くもあるけれど(苦笑)。

潜る日々

毎日、本の原稿を書き続けている。

進捗としては、まだ全体の2割に届くかどうかというところ。予想していたよりも、はるかに手強い。この密度感の文章を最後まで書き続けるのかと思うと、慄然とさえしてしまう。今の自分でコントロールできるのか。自分自身が納得のいく形にまで仕上げられるのか。妥協に逃げないでいられるのか。不安でしかない。

毎日、暗い水の中に飛び込んで、潜り続けているような感覚だ。無数の言葉が漂う海。記憶の海。心と感情の海。どこまで潜っても、底が見えない。求めているものを掴み取って、水面に浮かび上がることはできるのか。そこまで息は続くのか。

しんどい日々が続く。

それは誤解などではなく

「誤解を招きかねない表現でしたので、撤回してお詫びします」

最近、こういう文言をやたら目にする。少し前までは、政府与党の政治家が何かしら失言・放言をやらかした後に言い訳する時のテンプレートみたいなものだったが、最近では、最大手の新聞や出版社、テレビ局ですら、判で押したように同じテンプレの言い逃れをするようになった。

たいていの場合、彼らの失態には、我々の側の誤解という要素は含まれていない。国際社会の常識とは相容れない彼らの本音が、ボロボロとはみ出しているだけである。たちの悪いことに、政治家もメディアも、叩かれて炎上しないぎりぎりのラインを狙って、本音をちらちらのぞかせようとしている輩が多い(たいてい失敗するのだが)。それは一部の層の人気取りのためであり、メディアにとっては目先のはした金のためでもある。

社会が行き詰まってくると、人間は憎悪をたぎらせて、憂さ晴らしをしようとするのだな。一歩間違えば取り返しのつかない、危険な憂さ晴らしを。愚かなことだ。