Category: Diary

本は一人では作れない

先週書き上げた本の草稿を、一週間放置して、昨日から推敲作業に取りかかった。少し冷却期間を置いた方が、冷静に俯瞰しながら読み返すことができるから。一巡目はとりあえずさらっと読み通して全体的なバランスのチェックをする。細かいところを詰めていくのは、二、三巡目以降だ。

草稿は出版社の担当編集さんにも送って、率直な感想を教えてくれるようにお願いしておいた。ついさっき、その感想が送られてきたのだが、自分が一番大事に書いたくだりについて、特に伝えていなかったのに強く反応してくれていて、何だかとても嬉しくなった。ああ、よかった、この本は、人の心にちゃんと届く形に仕上げられそうだ、と、正直とてもほっとした。

一冊の本を作るには、多くの人の力が必要になる。執筆、撮影、イラスト、地図、編集、デザイン、校正、印刷、製本などなど。一人で何役もこなせる人もいると思うが(僕自身も何役かこなしてはいるが)、個人的には、本は何もかも一人でコントロールして作るより、頼める分野ではプロフェッショナルの力を素直に借りる方が、よりよい本に仕上げられると思っている。今までの経験から、そう確信している。

本は一人では作れない。今度の本も、大勢のプロフェッショナルの方々と一緒に作る。きっといい本になると思うし、いい本に、してみせる。

知命

本の原稿に追われて、あくせくしている間に、気がつくと、五十回目の誕生日を迎えていた。

五十ともなると、もう、正真正銘のおっさんである。ここ数年の地味なトレーニングの甲斐あって、体力的には十年前とそんなに変わらないか、むしろ前よりやや動ける状態だとは思うが、そうはいっても、やはり、おっさんである。今も、家でボウモアのオンザロックをすするという、典型的なおっさんの行動パターンに従っている。

四十歳のことを「不惑」と呼ぶのは割とよく知られているが、五十歳のことを「知命(ちめい)」と呼ぶのは、意外にあまり知られてないような気がする。知命は、不惑と同じく、論語にある例の有名なくだりの中の「五十而知天命(五十にして天命を知る)」のことだ。

天命……自分にはそんな大層なもの、あるのかしらん、と、しばらく前までは思っていた。でも今は、なんとなく、そういうことだったのか、と腑に落ちるような思いもある。今作っている本が、そのことにつながっていくものの一つになるような気がしている。

とにもかくにも、知命。すっかり、おっさんである。

草稿完成

今取り組んでいる本の草稿を、昨日の夕方、ようやく最後まで書き上げた。文字数は11万字超。ページ数は200ページを少し超えるくらい。

正直、ものすごく、ほっとした。もちろん、これから推敲と細かい修正を時間をかけてやっていかなければならないし、写真のセレクトや台割の調整も大変なのはわかっているのだが、とりあえず、土台となる草稿が最初から最後まで揃っている、という安心感は大きい。昨日までは物書きとしての感覚で取り組んでいたけれど、今日からは編集者目線での取り組みに移行していくことになる。

あー、それにしても、本当にほっとしたなあ。僕にとっての「書く旅」が終わってしまったことに、一抹の寂しさはあるけれど。

この一行のために

夏からずっと取り組んでいる本の草稿の執筆も、そろそろ終盤に差し掛かってきた。

今日は、この本の中で、一番大切な部分の文章を書いた。全体を書き始める前から常にイメージし続けていた文章だし、そもそも現地で取材していた時から「この話は、何が何でも書かねば」と思い詰めていた文章でもあった。この本を作るというプロジェクトそのものを、僕に決意させた文章だ。

書く作業自体には、何の迷いも苦労もなかった。頭の中で、長い間、ずっと思い浮かべてきた文章だったし。でも、慎重に書き終えて、読み返して確認し、形を整え終えたとたん、ほっとして、かくっ、と力が抜けてしまった。ようやく、これを書くことができた。この一行のために、ここまで10万字以上、積み重ねてきたのだ。

本全体を締め括るまで、あともう数千字から1万字くらいは書かなければならないし、その後は果てしのない推敲作業が待っている。台割も確定させて、写真を膨大な数の中からセレクトしなければならない。編集作業、校正作業、色校チェック……道程は、まだまだ遠い。

でも、今日はもういいや。力が抜けた。今夜は寝る前に、ボウモアでオンザロックを作って、ちびちび啜ろうと思う。

イッツ・ア・スモール・ワールド

僕が台所で使っているキッチンタイマーは、かれこれ10年以上前に買ったものだ。電卓のような形をしていて、調理中でも指一本で時間を入力できるし、正確に時間を測れるので、ずっと気に入って使っていた。

タイマー音は何種類かの中から選べたようなのだが、僕は特に理由のないまま、ずっとデフォルトの「イッツ・ア・スモール・ワールド」にセットしていた。別に何の思い入れもなかったけれど、いつのまにかあの曲は、僕が自炊する時の一種のテーマソングみたいになっていた。

そのキッチンタイマーが、数日前から少しずつ変調をきたしはじめた。「イッツ・ア・スモール・ワールド」のメロディが微妙にピロリッと調子はずれになったり。で、今日の夜の調理中、カレーを煮る時間をセットしておいたら、「イッツ・ア・スモール・ワールド」が上に下にめちゃめちゃ調子はずれな感じで鳴りはじめ、しかも、いくらボタンを押しても音が止まらない。強烈にマッドネスなメロディがヒステリックに鳴り響き続ける。だめだ。完全に壊れた。ホラーだ。

あわてて裏蓋をこじ開け、電池を外すと、キッチンタイマーはようやく沈黙した。長い間、おつかれさん。新しいの、買ってこなくては……。