Category: Diary

標高5400メートルの記憶

ちょっとした思いつきで、ブログのデザインを変えてみることにした。背景の木目調のテクスチャを明るい梨地のものにして、ヘッダ部分の写真も入れ替えた。

この写真を撮ったのは、2008年の夏、ラダック南東部の高原地帯、ルプシュ地方をトレッキングで旅していた時のこと。標高約5400メートルのキャマユリ・ラという峠から、遥か彼方、標高4500メートルのところにあるツォ・カル(白の湖)をふりかえった光景だ。

数十歩ごとに膝に手をついて呼吸を整えなければ歩けないほど酸素が薄い場所なのに、足元にはなぜか、小さな黄色い花が一面に咲いていた。二日前に通り過ぎてきたツォ・カルの岸辺には、名前の由来となった、白く凝固した塩の塊が広がっているのが見える。その向こうに連なる山々には、すぐ上に浮かぶ雲が、まだらに影を落としていた。

峠の頂上で、岩に腰を下ろして水筒の水を飲んでいると、馬に跨がった遊牧民の若者が、下から駆け上がってくるのが見えた。こんな途方もない世界で、何物にも縛られることなく、自由に生きている人々がいるのだ。

あの時、頬をなぶっていた風のひんやりとした感触を、僕は今も憶えている。いつか、あの場所に戻る時が来るのだろうか。

ごはんを食べる

終日、部屋で仕事。週明けの書籍の入稿までは、気の抜けない状態が続く。今日もあれこれバタバタしたが、とりあえずずっと家にいられたので、落ちついて対処できた。

今日のおひるは、例の謎のパン屋でクリームパンやあんぱんを買って、昨日の夜に仕込んでおいたアイスコーヒーと一緒に。夜はひさびさのまともな自炊で、カレーを作って食べた。どちらもうまかった。

ここのところ、仕事の合間にテキトーに食べ物をかっ込むような状態が続いていて、前の日に何を食べたかもろくに覚えていない時もあった。でもやっぱり、食事はしっかり、落ちついてとらなきゃダメだな。それだけで、すーっと気分が鎮まって、性根が据わるような気がする。

困ったことが起こったら、まずは落ちついて、ごはんを食べる。昔観た「サマーウォーズ」という映画で、そんな場面があったことを思い出した。まさにその通り。

いい編集者、ダメな編集者

今日は朝から緊急事態発生で、バタバタしっぱなし。どうにかメドは立ったが、これが不測の事態というやつか‥‥。

—–

このブログで時々書いている、編集者という仕事についての話。僕もそこそこキャリアが長いので、今までいろんなタイプの編集者の方と仕事をしてきたが、周囲が認める優秀な編集者と、そうでない編集者との間には、どんな差があるのだろう、と折に触れて考えていた。クリエイティブのセンスの優劣というのは、その人の得意分野や読者の好みにも左右されるから、簡単には比べられない。でも、そうではないもっと基本的な部分で、両者の差を分ける決定的な違いがある、と僕は思う。

いい編集者は、スタッフに仕事を「やっていただく」と考える。ダメな編集者は、スタッフに仕事を「やらせる」と考える。

実際、一事が万事、このスタンスの違いがすべてではないだろうか。編集者はあくまで「黒子」であって、間違っても「黒幕」みたいな気分になってはいけないのだ。でなければ、さまざまな業種のスタッフを結束させて、いい本を作れるわけがない。少なくとも僕は、「こいつにやらせとけ」とふんぞり返っているような編集者のために、心を込めて仕事をしようとは思わない。

最近、僕が携わっている仕事で、こういう違いを如実に感じる人々と関わる機会があったので、書いてみた次第。

誠実な本

終日、部屋で仕事。書籍の再校ゲラを突き合わせ、チェックを重ねていく。

こんなことを書いたら関係者全員にボコられそうだけど(笑)、今作っているこの本は、僕が当初思い描いていたよりも、ずっといい本に仕上がりつつあるような気がする。それは僕の能力でも何でもなく、ひとえに今回力を貸してくださっているスタッフの方々のおかげだ。僕一人では、限界値はたかが知れている。

まったく異なる個性や能力を持つ人たちでも、同じビジョンの目標をしっかりと共有して、それぞれの長所を持ち寄って力を合わせると、こういう化学反応が起きるのだろうか。今回作っているのは、別に読んだ人が涙を流して感動するような類の本ではなく、ある意味コテコテの実用書なのだが、本を手に取ってくれた人を裏切らない誠実さは、しっかりと込められているのではないかと思う。

さて、あともう一息。

名曲喫茶

昼、新宿へ。知人のライターさんと、今作っている本の打ち合わせ。

打ち合わせ場所は、新宿東口にある名曲喫茶らんぶる。店の前は何度となく通っていたので場所は知っていたが、中に入ったのは初めて。地下に降りると、入口からは想像もできない広々とした空間。特に何かがスペシャルというわけではないけれど、どこか昔懐かしい、落ちつける雰囲気。つまり、打ち合わせをするにはちょうどいい(笑)。

どうも僕は、カフェと名のつく店よりも、普通のオーソドックスな喫茶店の方が性に合うようだ。でも東京では、こういう昔ながらの喫茶店が、次々に閉店しているという残念な話も聞く。ブルータスやHanakoとかの雑誌で、レトロ喫茶店特集をやって盛り上げてくれたらいいのに。