Category: Diary

こういう時にかぎって

昼のうちから、あれこれと細かい仕事に追われる。ガイドブックの地図職人さんからは次々と作成済みの地図の校正が届くし、先週取材した案件の依頼元からは新しい取材依頼が来るし、夕方には、ガイドブック本編の最初のレイアウトデータがアップされてくるしで、ばたばたしてるうちに、もう深夜。

僕みたいにフリーランスで仕事をしていると、一年を通じて平均的にまんべんなく仕事が入ることはあまりなくて、来ない時はさっぱり来ないし、来る時は一度にわっと来たりして、なかなか思うようには捌けない。「あー、こういう時にかぎって、何でまた‥‥」と、惜しい断り方をしなければならないこともあったりする。

それはさておき、こういう時にかぎって、近所の道路工事が夜の10時頃までゴロゴロと続けられてるというのは、まじで勘弁してほしいのだが。武蔵野市には、ほんとに愛想が尽きた。

生き方を選ぶ

昨日の夜は、渋谷のしまぶくろという沖縄居酒屋での飲み会。以前、ジュレーラダックの事務局で働いていた荒川さんが、カナダの農場でのWWOOF生活から一年ぶりに帰国したので、そのおかえりなさい会だったのだ。

僕がジュレーラダックの人たちと知り合ったのはかれこれ五年も前のことになるが、その頃からの顔なじみの面々もたくさん揃って、何だかとても懐かしい気分になった。五年の間に、仕事が変わった人、結婚した人、いろいろあったけれど、それぞれの人生が続いているのだなあ、と感じたり。

人生では往々にして、どういう道を進むか、誰とともに生きるか、生き方を選ばなければならないことがある。そういう選択を一度も誤らずに一生を終える人はまれで、ほとんどの人は、間違えたり、つまずいたり、踏み外したりする。感情に左右されて冷静な判断ができずに、時には誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。僕自身、今まで何度も間違いを重ねてきた。

でも、最近になって思うのは、生き方を選ぶ時は、それを選ぶ自分自身を後からでも肯定できるような選び方をしたいな、ということ。あとで後悔するかもしれないけど、その時の自分自身まで否定したくはないから。

最後の最後に、「まあ、そんなにひどい人生でもなかったな」と思いながら終われたら、と思う。

音楽のない人生なんて

欲しいCDが何枚か見つかったので、ひさしぶりに店に買いに行くことにした。最近は、アマゾンのアフィリエイト収入として送られてくるギフト券でオンライン購入することがほとんどだったので、かなり新鮮。

出かけたのは、某大手CD量販店。入口から中に入って感じたのは‥‥「あれ?」という違和感。昔はこういう店に入ると、すべてが鮮やかにきらきらと輝いていて、ぶらつきながら棚を眺めてるだけで、不思議にわくわくしたものだった。でも今は、そこかしこに貼られているパネルなどの宣材も、安っぽいというか、色褪せているというか、そこまで気を配る時間もお金もないという感じ。手描きのポップも、すっかり古びてしまってるものが多い印象だった。あくまで個人的な印象だが‥‥苦しいんだろうな、音楽業界も。

だからというわけではないけど、今日は高めのCDを二枚、大人買い。ちょっとは貢献できたかな。音楽のない人生なんて、考えられないし。

いい仕事への対価

昨日の夕方、ガイドブック制作関連のメールがダダダッと届いて、それに対応するためにあれやこれやと動いていたのだが、どうにか落ちつく。今日は平穏な時間を過ごしている。ふー。

今作っているガイドブックでは、とても有能なスタッフの方々と組ませていただいていて、僕はすっかり大船に乗った気でいるのだが(早いって)、今回はいつにも増して、とても気持よく作業させてもらえている気がする。その理由を考えると、それぞれの作業のスペシャリストががっちりサポートしてくれる体制が整っているからだと思い当たった。編集は編集者さん、デザイン・レイアウトはデザイナーさん、地図製作は地図職人さん、校正は校正者さん、DTP作業と印刷は印刷会社さんといった具合に。

「そんなの当たり前じゃん」と言われそうな気もするが、最近の中小規模の出版社では、出版不況で予算が制約される関係で、編集者が校正まで全部やったり、細かいDTP作業までやったりするのが常態化しているのだ。多少の兼務なら効率化に役立つかもしれないが、大きなボリュームをがっつりとなると、時間的にも質的にも、やはり差が出る。そして、いろいろ兼務させられる編集者やデザイナーも、ギャラの上乗せどころか減額が提示されるという有様(涙)。

いい仕事には、それにふさわしい対価が発生するものだし、それが支払われるのが当然だと個人的には思う。各分野のスペシャリストたちがきっちり報われるような環境作りを、あきらめてしまいたくはない。同じ内容の仕事を昔のギャラの半額でやらせるような出版社の姿勢は、やはり間違っていると思うから。

春のホロにが

今週初めに取材した件の執筆を進める。ボリュームがそれほど大きくないので、夕方までにはだいたいメドがついて、ゆったり気分。ここのところ手抜き気味だった自炊を、ひさびさにしっかりやってみることにした。

友人たちとのアフリカ旅行帰りの母が、菜園で採れた野菜を送ってきてくれていた。その中に菜の花(といっても正確にはチンゲンサイの菜の花)が入っていたので、これをシンプルにおいしく食べてやろうと思い立つ。フライパンにオリーブオイルを熱し、スライスしたニンニクを入れて香りを移し、刻んだベーコンと菜の花を投入し、じゃじゃっと強火でさっと炒めて、どんぶりによそった炊きたてごはんの上に、どーんとのっける。仕上げに醤油をちょろっと回しがけて完成。「しっかりした自炊」と呼ぶにはほど遠い簡単さ(笑)。

しゃっきり炒めた菜の花は、どこかホロにがくて、それが何ともいえずうまい。苦味をうまいと感じるようになったのは、いつからだったのだろう。子供の頃は、菜の花を進んで食べようなんて、思いもしなかったのに。