Category: Diary

お気に入りのジーンズ

昼、編集者さんとの打ち合わせのため、都心へ。うららかな日和だけど、風はまだちょっと冷たいかも。ジーンズに長袖シャツを一枚着て、その上にコートを羽織って出かける。

真夏を除けば、僕は外を出歩く時、七割以上の確率でジーンズを穿く。高価なヴィンテージジーンズにはまったく興味ないけど、一度気に入ったら、同じ型のジーンズを何度も買ったりするたちだ。今までにハマったのは、リーバイスの502XX(レプリカ)と、今も持ってるリーの101Z(これもレプリカ)。で、現在一番お気に入りなのは、去年の秋に買ったフェローズの421SW

フェローズのこのジーンズの何がいいのかというと、デニムの風合いやゆったりした穿き心地もいいのだが、細かいところに遊び心がちりばめられていること。フロントの五つのボタンが全部違う種類だとか、ポケットにネルシャツのようなチェック柄の生地が使われてたりとか、思わず「むふふ」としてしまうディテールがとても気に入っている。

惜しむらくは、「見てみて、このジーンズ、すげーんだよー。ボタンが全部違う種類で、ポケットもネルで‥‥」と言いながらベルトを外して人に自慢しようとすると、間違いなく変態扱いされるということだ。残念。

戻ってきた静寂

先週取材した案件の原稿は、昨夜のうちにだいたい形にできたので、今日はガイドブックの方の作業。制作途中の地図をチェックしたり、本文のゲラをチェックしたり。目がショボショボする。気がつけば夜半過ぎ。

この三カ月間、僕をさんざん悩ませ続けていた近所の道路工事は、先週末にようやく完了したらしい。今日は水を打ったように、しーん、と静まり返っていた。ていうか、これが当たり前なんだよな、この界隈では。毎朝ドリルの振動とともに目覚め、パワーショベルが地面を掘り返す音でラジオも聴こえず、電話の打ち合わせがローラー車の轟音に遮られるような日々も、これで終わりだ。やれやれ。

しかし、武蔵野市にはほとほと愛想が尽きた。引っ越そうかな‥‥。

「伝える者」としての仕事

昨日の午後は、ジュレーラダック主催のトークイベントにゲストとして出演して、写真をスライドで見せながら話をした。持ち時間は30分だったのだが、結局、10分以上もオーバーして喋ってしまった。会場は思ってたよりも盛況で、終了後にも何人かのお客さんと話をさせていただいた。自宅からわざわざ僕の本を持ってきて、サインを依頼してくださった方も二人いて、何だかとても嬉しかった。

僕はライターで、編集者で、時々はフォトグラファーでもあるけれど、トークに関しては、技術的にもとてもプロとは言えないと思う。でも、トークイベントで人前に出る時は、いつも「これも大切な仕事だ」と自分に言い聞かせて、万全の準備をして臨むようにしている(今回はギャラは発生していないけど)。わざわざ時間を作って、遠路はるばる足を運んで、お金を払ってまで見に来てくれるお客さんに対して、いいかげんなことはできないし、したくない。ちょっとでも「見に来てよかったな」という気持を持って帰ってもらうために、全力を尽くす。それも、「伝える者」としての自分の仕事なのだと思う。

これからも、折々に機会があれば、そういう役割をきちんと果たしていきたいと思う。

ミルクホール

朝早くから家を出て、尾山台にある大学で取材を二件。一件目が終わった後、構内の学食でおひるを食べる。学食で食事をするなんて、何年ぶりだろう。‥‥思い出せない(苦笑)。

僕が大学に通ってた頃、母校の古い校舎の一階には、とにかく安いけどそれ以外に長所を見つけにくい(笑)メニューを揃えた生協の学食があった。確かあれは、ミルクホールと呼ばれてたんじゃなかったかな。

そう思ってググってみると、母校のキャンパスにはものすごく豪華な学食が新設され、件のミルクホールはこじゃれたベーカリーショップに変わっていた。いいもん食ってるんだなあ、最近の学生さんは。

僕の学生時代は、正直、いい思い出を見つけることが難しいくらいの蹉跌の日々だった。ただ、そこで鬱屈したパワーを溜め込んだことが、その後社会に出てからのさらに苛酷な日々を乗り越える原動力になった気もする。

まあでも、もし、もう一度学生時代に戻れるとしたら、普通に遊びたいな。せめて人並みに(笑)。

ありのままを

昨日の夜、ラダックガイドブックの初校が上がってきた。紙のゲラは明日届くのだが、一足先にPDFで全体の様子を見渡してチェックしている。

見ていて思うのは、何というか、「ラダックの風息」と同じ気配をまとった本だなあ、ということ。今回の本はガイドブックだから、内容も造りもまったく違うはずなのだが、全体を通じて伝わってくる気配は、まぎれもなく「風息」のものだ。書き手と撮り手とデザイナーが前と同じだから、というだけでは説明できない理由がある気がする。

たぶん、どちらも「ありのままのラダック」を伝えようと悪戦苦闘している本だから、そんな風に感じられるのかもしれない。伝わっているかどうかは、わからない。でも、僕が伝えたいことは、どちらの本にもありったけ、ぶち込んでいるという自負はある。

編集作業も、いよいよ佳境。最後まで気を抜かずに、いい本を作る。