Category: Diary

校了したら焼肉

昨日、今日と、ちょっと根を詰めた作業。編集作業を担当している書籍の初校の、関係各所からの赤字の取りまとめ。

このまま順調に進行すれば、来月の下旬にはこの書籍も校了して、二月中旬には店頭に並ぶことになる。校了‥‥何て甘美な響き。ここ最近、書籍の仕事が校了を迎えると、自分的打ち上げで、吉祥寺の李朝園に焼肉を食べに行くのが恒例になっている。カルビ、ミノ、タン塩、特上リブロース。ごくり。ゆめのよーだ。なので、今回も必ず行きたい。

俺、この本が校了したら、焼肉食べに行くんだ‥‥って、何のフラグだ(笑)。

一人で生きるという力

昨日の深夜は、J-WAVEで「沢木耕太郎 MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ 2012」を聴いた。年に一度、クリスマスの夜に放送される恒例の番組。沢木さんの飾り気のない穏やかな言葉と、それに符合するような渋い選曲を今年も楽しませてもらった。

番組の最後に沢木さんが口にした言葉がある。「一人で生きるという力を身につけるために、人生から降りずに何かをし続ける」。沢木さんのお父様が、ご高齢になられても辞書を引きながら英語の本を読もうとされていた痕跡を見つけたというエピソードからの言葉だったのだが、心に沁みた。

人は、誰かと関わり続けながら生きている。だからといって、一人で生きる力がなくてもいい、というわけではない。一人でも生きられるけど、集団や社会に属している。一人でも生きられるけど、他の人と支え合っている。一人の人間としての生きる力、逞しさを高めるために、常に何かにトライし続けることの大切さ。沢木さんが言いたかったのはそういうことだったのかな、と僕は思った。

一人で生きるという力。僕がその大切さをまざまざと思い知らされたのは、ラダックで過ごした日々でのことだった。少数民族ならではの小さくて緊密なコミュニティで、ラダックの人々は互いに支え合って生きている。でも、これ以上ないほど苛酷な自然の中で暮らす彼ら一人ひとりの「生きる力」の強さは、僕の想像をはるかに上回る、とてつもないものだったのだ。それはいささかショックだったし、自分をさらに高めよう、少しずつでも一人でできることを増やしていこう、と思い直すきっかけにもなった。

で、今は‥‥どうなんだろ(苦笑)。とりあえず、自炊くらいはできるようになったけど。まだまだだな。

食い倒れ連休

この週末の三連休は、完全に「食い倒れ連休」だった。

土曜日は、春先以来ひさしぶりに、荻窪の潮州へ。ブリの黒豆ソース蒸しや和牛の煮込み、エビチリやレタスチャーハンなど、腹が張り裂けそうなくらい食った。で、一日おいて今日は、リトスタで恒例のクリスマスディナー。カボチャとさつまいもの入ったミニグラタンや白身魚のフリットが美味で、またしても腹が張り裂けそうに。どちらもたいへんおいしゅうございました。

で、その結果、明らかに身体が重い(笑)。絶対に太ったな、こりゃ。まあいいか。

ごはんと味噌汁の配置

前々から、うすぼんやりと思っていたことなのだけれど。

外のお店で定食などを注文すると、ごはんが左、味噌汁が右、という配置で配膳される。これには由来がいくつかあるらしいが、遠い昔から食卓の作法として定まっていた配置なのだそうだ。

でも個人的には、この配置、何となく食べづらい。僕の場合、飯椀はたいてい左手で持ちながら食べ続けるし、右に汁碗があると、右手を主菜に伸ばす時に微妙に干渉しそうで。逆の方がよくない?とついつい思ってしまう。

似たような配膳の疑問は、ラーメン屋でつけめんを食べる時にも感じる。つけめんが出される時はたいてい、つけ汁が左、麺が入った器が右に置かれる。これがやっぱり、自分としては食べづらい。麺が左にあった方が、つけ汁に麺を浸して口に運ぶ時、右手が麺の器に干渉しないのでは?と思うのだ。なので毎回、自分で左右入れ替えている。

‥‥何だろう。ものすごくどうでもいいことを書いている気がする(笑)。

やりきれるか

昨日は誕生日だった。といっても何か特別なことをするでもなく、いつも以上に地味に過ごした一日だったけど。

次の一年は‥‥仕事の面で、もっとしっかりやらなければ、と思う。単純に生計をもっと安定させる必要もあるし、自分が好きな仕事‥‥旅にまつわる仕事をもっとスムーズに、コンスタントに続けていくための地盤づくりもしなければならないと思っている。その先のステップに歩を進めるために。

次のステップで、ぼんやりと、やってみたいと思っている場所がある。でも今は、正直言って、どうやったらそれにうまく取り組めるのか、そこで何をものにできるのか、見当すらつかない。ただ、やらなきゃいけない、やらずにはいられないという、駆り立てられるような気持だけは、確かにある。かつて、ラダックを初めて訪れた時のように。

文章や写真に関して、自分は卓越したセンスや能力を持ち合わせている人間じゃないことは、わかりすぎるほどわかっている。でも、自分がいつかやろうとしていることで大事なのは、できるかどうか、ではない。やるか、やらないか、最後までやりきれるか。それがすべて。

その時のために、しっかり準備をして、力を蓄えようと思う。