Category: Diary

ココイチの福神漬け

終日、部屋で仕事。昨日の取材の原稿を書いたり、出版社からの要請で企画書を作ったり。ばたばたしていたので、晩飯は近所のココイチへ。

ココイチでカレーを食べるたびに、どうにかならないかなあと思うのが、福神漬け。それ自体はとてもおいしいと思うのだが、テーブルの上にある容器から福神漬けをよそうためのスプーンが扱いづらく、油断してるとぽろぽろこぼれてしまう。適当な大きさのトングにしてくれた方がいいと思うのだが、いかがなものか。

ココイチ的には、たたでさえ食べ放題の福神漬けをトングでさらによそいやすくしてしまうと、採算が悪くなってしまうので、あえて扱いづらいスプーンにしているのかもしれない、と余計な詮索をしてみたり。ま、どうでもいいか。

密林で一喜一憂

本づくりの仕事に携わっている者にとって、アマゾンでの順位やレビューというのは、本当に一喜一憂させられる指標だ。書店での動向と異なる場合も多々あるとはいえ、あれだけリアルタイムに、そして直接的に反応が表示されてしまうのだから、気にならない方がおかしい。

本の内容に対して的確な評価のレビューがついて、それに伴って順位が推移するのなら別に問題はない。でも、他の本のページとかを見ていると、時々、どう見ても的を射ていない見方や、明らかに筋違いな悪意によって低い評価をつけているレビューもある。購入を検討してくれている人が、みんながみんな、そういう的外れなレビューを差し引いて判断できる人ばかりではないし、少なくとも商品の第一印象には大きく影響してしまう。悩ましいシステムだ(苦笑)。

その一方で、何年も前に出した本に、忘れかけた頃にぽつんとレビューがついたりすると、自分の本が世の中でまだ読み継がれているのだ、と、ほっとした気持にもなる。便利でもあれば、困った面もあるけれど、何とかうまく使いこなしていかなければならないのかな、このシステムを。

名前のない原稿

前から予想はしていたのだが、これから来月末にかけて、やたらめったら忙しくなる。

大半は、一年前から受注している大学関係の取材とライティングの仕事。僕が企画して主導権を握るわけではないし、僕の名前が記事に残るわけでもない。依頼された取材を次から次へと捌き、原稿を書いて納品する。自分で企画して本を丸々一冊作るのに比べれば、達成感などは正直少ない。

でも、この仕事にはこの仕事なりの意味がちゃんとある。僕が書いた原稿は、名前を持たぬまま多くの人の目に触れ、時にはその背中をほんの少し、後押しする。その行方を僕が見届けることはできないけれど、もしかしたら何かの力になれているのかもしれないと思うと、キーボードを叩く指が少し軽くなる。

名前のない原稿にも、役割はある。

著者と編集者との関係

午後、六本木へ。「ラダックの風息」の担当編集の方とひさしぶりに会う。

仕事柄、編集者の知人は大勢いるけれど、本当の意味で互いの手の内をすべて晒して、あれこれぶっちゃけて話し合えるような編集者の知人は、たぶん数人しかいない。そういう信頼関係がないと、書き手あるいは撮り手としては、自分が大切にしている企画を委ねられないし、意見をぶつけあって質を高めていくこともできないと思っている。

今日のミーティングはすぐに何かにつながるというものではないのだが、僕が今抱えている悩みや葛藤について本当にざっくばらんに話し合うことができたので、それだけで何だか気持が軽くなった。いつかまた、こういう関係で本を作れたらいいなと思う。

当たり前の日常

朝起きて、メールをチェック。うどんを茹で、コーヒーをいれ、しばらく仕事。原稿をメールで送り、スーパーに食材の買い出しに行き、コンビニでちょっと立ち読み。当たり前の日常。

あれから、二年。

思い返してみると、あの年は本当に大変だった。世間は震災でてんやわんやで、夏には父が突然逝ってしまった。今も色々苦労はしているけれど、あの頃に比べればずっとましだ。それも、当たり前の日常があるからこそ。何気ない物事への感謝を、忘れないようにしたいと思う。